ヒメノアコウ

 うどん県に滞在していた当時,にわかお城マニアとして,2日間の休みを利用して姫路に乗り込みました。もちろん,主目的は姫路競馬場です。
 この当時,まさかのちに姫路競馬が長期放牧に出るとは思いもよらず,ここで姫路を潰していたことが自分の旅打ち&国内競馬場全踏破にとって非常に大きなことだったのでありました。

 さて,姫路に行く前に赤穂を一叩きします。

 実は赤穂はじぶんの曾祖父が住んでいた街でして,小さいときにこの町には何回か来たことがあります。
 本当に自分が小さかった頃のことなので記憶は極めて少ないのですが,夏祭りに行ったこと,すいかや素麺を食べまくったこと,かまぼこの板で遊んだこと,曾祖父が運転する自転車の後ろに乗ったことなんかは断片的に思い出として残っております。そして,赤穂最大の思い出は,曾祖父が年老いて寝たきりになった際に一度訪れたことです。子供というのは,基本的には常に家族の主役です。しかし,そのときに限っては,家族は寝たきりの曾祖父の介護でてんてこ舞いで,自分が主役の座から滑り落ちたのです。いや,それでも相応に構ってもらってたんだと思うんですが,それまで主役だった自分からしてみたら,かなりショッキングな出来事だったのです。大人になった今思えば,「そりゃそうだ」「ガキはおとなしくしてろ」としか思わないんですが,このことが強く記憶に残るだけの衝撃だったのでした。

 そんな赤穂。訪れるのは何年ぶりかちょっと記憶にない感じです。
 実は,これを書いている10年後時点では,その後赤穂に住んでいた叔母が介護施設に入った際にお見舞いに行き,その際に赤穂の家にも行っております。これが自分と赤穂の最後であります。そのとき,祖母にも会ったんだけれど,その後祖母も体調を崩し,亡くなりました。なんか書いてて涙目になってきた。いかんいかん。

 気を取り直して,赤穂です。
 赤穂と言えば,忠臣蔵。浅野内匠頭と吉良上野介のやりとりは,史実がどうなのかはよく分からんのではありますが,とにもかくにも,浅野内匠頭がやらかしたために当時の家臣が路頭に迷ったのは間違いの無いところで,他方でそのおかげで忠臣蔵ストーリーが日本中に広まり,20世紀〜21世紀の赤穂市民にとって重要な観光資源になるんだから,世の中なにがどう働くか分かりません。
 ちなみに。赤穂をローマ字表記するのはどうするのが正解なのか自分でも扱いが雑で,写真だとAkoh,このファイル名はAkouにしてしまったのだけれど,駅なんかは”Ako(oの上に横棒)”にしてるみたいです。また,町中の椅子は”Ako”でした。

忠臣蔵 義魂 播州赤穂駅 風鈴 Akoの椅子
Oの上に棒はありません

 赤穂はどうも水の街として売り出そうとしているようです。まあ,忠臣蔵だけだと不定期に放送される大河ドラマや大型時代劇頼りになっちゃうからな。あとは石川島播磨重工がどれだけ頑張るか,ということでしょうか。まあ,上水道の整備が立派だったとして,これを観光資源としてどうやってお金にするかはなかなかに難しいですね……。
 赤穂の上水道は,日本三大上水道の1つということです。ほんまかいな,と思って検索したところ,日本三大上水道を誇っているのは赤穂ばかりで,不安は的中したかに思えたのですが,福山旧水道のWikipediaにまさかの「江戸三大上水道」の引用が。ついている脚注の内1つは赤穂市のものなので参考外だとしても,もう1つ土木学会のサイトへのリンクが貼られているので,これは本当に三大上水道の1つで間違いなさそうです……と思って引用箇所を見ても,「日本三大上水道」の文字がないな。やはりこれ,赤穂が言ってるだけじゃないか。まあ,これも言い続けたらいつか定着するだろうから,言い続けることに意義がある。
 そして,電線が地中化された気持ちのよい商店街を歩くと,大手門に到達です。大手門はいいとして,大手門隅櫓は狭間ががまったくないのっぺりした外観なんですが,そういうものだったのでしょうか。

井戸 商店街
電柱がありません
日本三大上水道の1つ 井戸
大手隅櫓と大手門 とってつけたようなポスト 家紋

 続いて,三の丸の旧大石邸に鎮座する大石神社。てっきり赤穂浪士を祀るだけの神社かと思ってたら,実は「赤穂大石神社」という名称で,赤穂神社と大石神社が合祀されていたんですね。このあたりの経緯はみんな大好きWikipediaに任せますが,森家の七武将も祀っているようです。そうです,みんな大好き鬼武蔵こと森長可も祀られているのであります。てか,赤穂浪士の忠義を表に出すのならば織田家の中の忠義者として筆頭クラスに挙げられる森可成をもうちょっと表に出していいようにも思います。が,赤穂の観光協会はやっぱり蘭丸さんの名前を出しているのですな。

大鳥居 赤穂義士を祀る
大石神社
こんなこと書かれたら
「赤穂」大石神社だとは
思わないじゃないか
参道 拝殿 義士発祥の地 大願成就 大石内蔵助の像
心響石
香川高松のサヌカイトを使っております
浅野家大阪藩屋敷の舟石 参道には四十七士の像が並びます 大石内蔵助 息子の主税

 ここから,二の丸へと向かっていきます。
 この日は暑かったことと,姫路に行くので時間がタイトだったこと,さらにはまだそこまで庭園に興味が無かったことが合わさり,二の丸庭園はスルーしております。

縄張り 石垣は復元中
北隅櫓台と石垣越しに
本丸城門が見えます
二の丸城門跡から外堀を左右に見る
山鹿流軍学でおなじみの山鹿素行大先生
二の丸の虎口の縄張りを変えたらしい
二の丸門の礎石?

 そして,本丸へ。本丸の堀は注意書きがないと降りて歩いてしまいたくなります。あなおそろしや。これも山鹿素行大先生の仕掛けた罠でしょうか。
 そして,ここって城門がなにかとシンプルなんですよね。さすがにこのあたりは考証した上で復元してるだろうから(新しいし),このあたりはやっぱり平和な時代に築かれた城なんだろうな。
 そして,ここの本丸は,御殿を復元する予算がつかなかったためだと思いますが(あるいは間取りは分かっても具体的にどういう建築だったのかが分からなかったのかもしれない),かつての間取りをコンクリートで固めてその様子が分かるようになっております。松山城二の丸庭園方式ですね。
 天守台はしっかり残っているので,

本丸門への橋 本丸虎口への門
こっちはシンプル
注意!! 正面を見て左
本丸虎口からの
本丸城門
こっちはさすがに厳重
入って正面をぐるっと
左奥が厩口門ですね
天守台へ 大池泉
のぼる途中からぐるっと,大池泉〜御殿跡 天守台からの眺め
左が刎橋門奥が本丸城門

 下におりまして,大池泉や本丸御殿跡地を眺めつつ,櫓門内部へとすすみます。

大池泉 本丸御殿解説
石組暗渠 本丸城門 櫓に入ります 櫓内部 櫓門からの眺め

 で,清水門から外に出てちょっと散歩。時間が無いので,我ながら雑なまわりかたをしています。今なら赤穂に1日使ってるから,もうちょっときちんとぐるっと回ってるだろうな。

三の丸 武家屋敷公園入り口 櫓台 清水門跡
清水門の先の橋から見る堀の様子 戻って大手門隅櫓と堀 大手門橋

 そんなわけで,慌ただしく城を見終えました。お金の限界は感じつつも,きちんと可能な限りの整備はする,という感じで,もうちょっと涼しい時期にもうちょっと真面目に時間をかけて見てみたかったところですが,こればっかりは人生夢幻のごとくなので仕方が無い。

 あとは,もうちょっと上水道の遺構・オブジェを見ながら駅へと向かいます。

大手門の向かいの一区画 大手門から駅方向
電線が見当たらない
百々呂屋裏大桝 分かったような分からないようなモニュメント

 ちなみに,昼食はラーメン。赤穂らしく,塩ラーメンであります。


 てことで,姫路へ。