いいな金印

 金印。日本人ならほぼ100%知ってると思われる,超有名なものであります。
 なぜ知っているか,というと,歴史の授業の序盤で出てきてインパクトが強いからだろうと思います。日本の歴史の授業が古代史重視で近現代軽視なことについての是非はいろいろあろうかと思いますが,本当に打製石器や磨製石器が近現代の歴史より重要なのかは確かに一考の余地がある気がします。
 まあそれはさておき,そんな金印。「いいなきんいん」というゴロで57年の後漢書東夷伝掲載,という覚え方をしております。これが高校生までの知識でした。あと冊封体制がどうたらこうたらとかはもちろん覚えますね。

 で,大人になって心が汚れてきますと,実はこの金印とかいうのがなかなかに議論百出のものであることを知るに至るわけです。個人的には福岡市博物館の解説が学芸員さんの金印への思いも含めてうまく書かれてるので好きです。Wikipediaもノートも含めて楽しい。いやぁ,歴史って奥が深いですね。

 さて。そんな金印が出土した志賀島。せっかくなので行ってみることにしました。尤も,時間もないし日も落ちるので,船で往復するだけです。まあ,船旅も嫌いじゃないし旅行としてはいい感じではなかろうかと。

 博多から志賀島は,陸続きなので道路から行くこともできるようですが,船が出ております。「市営渡船」と名がついておりますので,市営なんでしょう。途中大岳と西戸崎を経由して30分の船旅。博多港から出発です。なぜか当時の自分の写真には水鏡天満宮の鳥居の写真が残っていて,いったい自分が何をしていたのか謎であります。なお,2015年現在,大岳寄港は廃止されており,今は西戸崎経由で志賀島となっているようです。

水鏡天満宮 窓から外を見る
ピントがあってなかったり水平にできてなかったり
なにかとひどい写真だな……
当時の時刻表
大岳に寄港してます
当時のルート 博多港に別れを告げる 海保の船がいました
船内の様子 後部甲板 水しぶきを上げて 船内のトイレ 志賀島 案内図
ぶれた……

 そんなわけで,志賀島に到着いたしました。金印がなぜここで発見されたのかは未だに解明されていない謎のようでありますが,本当に謎ですね。2000年前にこの地がどうなってたのか知らんけど,興味深い。
 時間がないので,志賀島探索はまた今度ってことで,外の道や海岸を眺め,来るときに乗った船に乗って博多港に戻ることにいたします。無駄っちゃあ無駄だけど,こうでもしないとここに来ることはないからな。
 そういえば,金印それ自体は先般の東博国宝展で大人気だったようですが,僕はスルーしました。今度福岡行ったときに見に行こう。

 夕食は,これまでに買っていた駅弁を博多港のベンチに腰掛けて食しました。うむ,ごちそうさまでした。

 ちなみに,博多ポートタワーに登ったような気がするんだけれど,写真が1枚もない。ということは,登ってないのだろうか……。

志賀島ターミナル きんいん2 ターミナル内
きれいですね
漢委奴国王 原寸 ターミナル前の道路
砂浜 灯籠 漁港 さらば志賀島 博多港に戻ってきました




博多港 かしわ飯弁当 焼麦@鳥栖 夜の博多港
夜のきんいん2

 てことで,この日の夜は祇園のカプセルホテル。

佐賀競馬太宰府天満宮


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