福岡探訪

 楽しかったゴールデンウィークも最終日。
 最後は飛行機の時間まで,福岡市内をぷらぷらします。

 まずは櫛田神社。この神社は,祇園の安いホテルや安いカプセルに泊まるたびに翌朝に参拝してる気がします。なので,いままで何回参拝したかよく分からない。本来はこういうときに回数をカウントするための旅行記のような気もしますが(ただ,2回目からは参拝するたびに御朱印いただいてる記憶なので,それをきちんとカウントすればたぶん参拝回数が計算できる。ちなみに,櫛田神社の御朱印帳をいただいたのはこのときだった記憶がありますが,いかんせんこれを書いてるのが外出先なので確かめることができません)。
 おそらく,このときは時間的余裕を持って櫛田神社に参拝できた珍しい機会でして,それゆえあちこちふらついた形跡があります。
 基本的に説明を写真に撮って後で見よう,という方針で臨んでることが多く,訪問から5年以上たって初めて知った事実なんかもあります。おそまつにもほどがあるな……。

櫛田神社へ 狛犬。どっちも角があるので,どっちも狛犬かな 「博多山笠」という四字熟語は
知っておりましたが,
この神社のお祭りだとは
知らなかった
奉納力石
意識してなかったのですが
手前に曙と大乃国の石がある
次に行ったときはもうちょっと
意識してみよう
(5年間気付いてなかったわけだが)
試石 恵美須神社 花本大神がなんなのかは
よく分からない
左にあったのが児安社
観音様に見えません
夫婦銀杏
写真撮るならもうちょっといい角度があったようにも思う
楼門 座牛像 櫛田神社案内
手水社もお祭りモード 神馬 こっちの狛犬はどっちも角なしに見えます おみくじが安い
そして各国語対応
霊泉鶴の井戸
飲んだ感じ味は特に何も
拝殿 うさぎ 風神雷神。あっかんべー
なんか涙目に見える まっすぐ見られるとつらい 干支恵方盤 神門
こっちから入ることの方が多い気がする

 続いて,「敵国降伏」でおなじみの筥崎宮へ。なお,今最初に「敵国幸福」と変換されました。博愛精神万歳。

 地下鉄に乗って筥崎宮へ。何回も博多に行ってますが,こっち方面を訪れたのはこれが唯一の機会だな。
 敵国降伏の扁額を見られたのはよかったんだけれど,思ったよりそれ以外に歴史的なものが残ってない印象。神仏分離でなにかやらかしたんじゃないかという気がする。

 敵国降伏ってのは,覇道でなく王道を目指した言葉のようです。この覇道と王道を誰が言い出したか,というと,どうも孟子のようですね。大陸からの武力に対して大陸の思想で対抗した,ってのはなんとも面白い。

柔道少年が多数
ゴールデンウィーク最終日に大変ですね
鳥居 解説 お潮井
湧出石 柔道大会! 敵国降伏
武力によるのではなく徳の力による,覇道でなく王道である,とのことです
大内義隆と小早川隆景の名前が 弓を使った神事が行われてた 末社


池島殿のわらじ信仰 境内でスポーツ禁止!
柔道はたぶん武道だから
スポーツではないんでしょうな
あらためて 筥崎名物らしい

 最後は黒田家菩提寺で福岡城・名島城と縁の深い崇福寺。最初に長崎で興福寺と崇福寺の記憶の混同について書きましたが,その原因の一つがここで崇福寺を訪れてることにあるんだろうな……。まあ,このとき黒田の寺に行ったことは記憶にあっても,お寺の名前は正直なところ記憶から飛んでたんだけど。
 なお,面倒だったので黒田家の墓所には近づいておりません。
 また,自分の記憶が正しければ,この頃はまだ黒田官兵衛が大河で扱われることが決まってなかったので,今行くとまた様子が変わってるのかもしれないな。

解説
岩屋城落城時に被害を受けたという歴史もあるんだな
まずは山門
福岡城本丸表御門を移築
お願い
地震はともかく,
放火されたのか……
本堂 灯籠
心宗庵 唐門
旧名島城城門です
上におわすは千手観音
いま見てみると,なんか奉納されてる仏さんが軒並み面白いな
また訪れてしっかり見てみたいところ

 そんなわけで,楽しかったゴールデンウィークもこれにて終了。
 まあ,デジカメ時代はこうやって写真を追っかけて記憶を喚起できるからよいですな。


 帰りはリッチに飛行機で戻った記憶であります。
撤退岩屋城


旅行記