フクノビッグブッダ最初はフクノダイブツにしてたのだが,こっちの方が馬名っぽいのではなかろうか。

 書かないと忘れるので,2011年の福岡旅行の話を4年以上たってから書きます。
 行きはフェリー。さんふらわあの松山寄港が終了する直前でして,そんな雰囲気の漂う船内でした。このフェリーについてはいずれ書きたいとおもいつつ,おそらくその「いずれ」は訪れないと思われます。



 さてさて。小倉から博多へはたぶんバスで移動してますが,いかんせん記録がない。

1.水鏡神社

 まずは水鏡神社から。福岡の天神の名前はここからきているようです。なのに,一応公式神社名は水鏡天神ではなく水鏡神社であります。おそらく地元では「天神さん」とか呼ばれてるんじゃなかろうかと思いますが,いかんせん自分が地元民じゃないので分かりません。
 ここは場所もいいので過去にも訪れたことがあります。

 ですが,こうして今になっていろいろ見てると,まず気付いたのが鳥居脇のトキハラーメンの看板。宣伝文句が特徴的で,行ってみたい…と思ったら,2013年に閉店してました。ううむ,なんとも。
 そして,もう1つ。由緒書を読むと,道真公が博多上陸時に,四十川の清流を水鏡として姿を映された場所に,社殿を建てたとのこと。道真公本人がぬけぬけと神を名乗って自分で社殿を建てるはずがないので,誰かが道真公上陸の地に社殿を建てた,ということなのでしょう。それにしても,天満宮は道真公が亡くなって以降に建てられたものな訳だから,道真公が上陸した場所が後世まで伝わってた,ってことだな。さすが道真です。ノルマンディー上陸作戦ばりに有名な上陸だといえるかもしれません。

かつて枡形門があったとされる西中島橋近辺 裏側の鳥居
トキハラーメンの看板に
今更気付いた。
由緒書と解説
鳥居 神橋 神門 神牛その1その2
対になってそうで,造形が全然違う
狛犬 神牛その3 神牛その4 拝殿

2.若八幡宮

 続いて,若八幡宮。厄除で有名な神社のようです。
 いかにも都会の神社,という雰囲気ではありますが,狭いスペースに神馬がいたり池があったりして,なかなかに賑わっております。


3.承天寺

 で,承天寺へ。
 饂飩蕎麦饅頭伝来碑,そして素麺や織物・朱などを持ち帰った満田弥三右衛門さんの碑と,なんかもう盛りだくさんすぎて凄い凄い。博多が対中国(当時の国号は違ってたのは分かってます)貿易において重要な場所だったことが分かりますな。それにしても,なぜ饅頭を独立させ,また,羊羹を無視したのかが気になるところです。
 また,あわせて,ここは博多山笠発祥の地のようです。今現在,当寺と櫛田神社が友好関係を結べているのか,ちょっと気になりますな。
 蒙古碇石はここだけでなく福岡各地にあるようで,櫛田神社や筥崎宮にもあるようです。つまり,ここで初めて「こんなのあるんだ」とか思ってる俺は一体これまで何をやっていたのか,という話になるわけであります。

案内 石碑三兄弟 山笠発祥之地
山門 こちらは菊の紋がついてるので
勅使門であります
平成になってから建てられたようです
鐘楼 仏殿 蒙古碇石 円明閣
仏殿内 将軍地蔵。ヤクルトが気になりますね

4.妙楽寺

 続いて,妙楽寺。黒田家や神屋宗湛に縁のあるお寺のようです。が,今はおそらく檀家寺ですな。
 神屋宗湛のWikipediaを見てたら,「博多三傑」ってのがあるらしいです。残り2人は知らなかった……というか,神屋さん自体もあまりよく知らんのだけど。むしろなぜ知ってるか,というと,例によって信長の野望経由だろうなあ…。ここには神屋氏以外にも有名人(NPが知ってるかどうかは問題ではない)のお墓が数多くあるわけですが,どれをとっても使われている石が特徴的で,なかなかに凄い。仏教的な墓石ではないように思ったりもするんですが,江戸時代はこういうもんだったんですかね。あまりほかの寺院でこういうのを見た記憶がない。
 さきほどは饂飩蕎麦羊羹でしたが,こんどはういろうです。こういうのを見ると,貿易港としての博多がいかに重要であったかがよく分かるな。あった,って過去形にしちゃいかんのだろうけど。そして,このサイトが詳しい。勉強になります。

山門 解説 参道 境内案内図 唐石石門。中には入れず。
でもこの門,
何と書かれてるのだろうか
鐘楼 石仏
    
本堂 ういろう伝来之地 神屋宗湛 特徴的な石が多い。

5.聖福寺

 そして,聖福寺。日本最初の本格的な禅寺,とのことであります。栄西さんが建てたお寺ってことですね。
 饂飩蕎麦饅頭羊羹ういろうときて,今度は茶であります。おお,これは重要。これがなかったら死んでしまう。
 大きなお寺で,かつ仏殿は一般人向けのようですが,その先は拝観謝絶。さすが禅寺だけあって,修行のための場所,という位置づけなのでしょうか。それにしても,博多にこれだけ広々と場所をとれるお寺があるんですなあ。

解説 総門 ここで広田弘毅の名前を見るとは ここにも菊紋 犬の出入禁止
史跡聖福寺 お地蔵さん
持ってる杖?が飛び出てます
山門 無染池
石の配置が特徴的
日本発祥の茶の木 仏殿は工事中
現況と計画 1口1万円は私には無理です 鐘楼 ここからは拝観謝絶

6.東長寺

 で,いよいよ最後。東長寺です。と書いたところ,最後じゃなかった。完全に記憶から抜けてた。失礼しました。

 それはいいとして,東長寺。国内最大級の福岡大仏がいることで知られているようですが,もちろんそんなこと知りませんでした。そもそも,「大仏」がなんなのか,ってのを知ったのがここ最近。たぶん高幡不動で丈六仏の解説聞いたときなんだよな。昔(小学校の頃)は奈良と鎌倉にしかいないもんだと思ってたくらいだし。

 まあそれはさておき。
 ここはとりあえず発祥物はなさそうです。博多という場所柄,歴史をひもとけばなにか出てくるんでしょうけれど,とりあえず饂飩蕎麦饅頭羊羹ういろう茶並にメジャーなものはなさそうです。
 そして,ここにもあった黒田家墓所。あれ,確かほかにも菩提寺見たような……と思って,過去の記録を読み返したところ,官兵衛+14679が崇福寺,238が東長寺のようです。5代目どこ行った。あと,8代目はなにがあった。そういえば,官兵衛ってキリシタンだった記憶なんだけれど,官兵衛とゆかりのある教会ってどこにもないのかな。やっぱり江戸期に断絶したのだろうか。色々見てみたところ,このページが詳しかった。6カ所に分かれてるんですな。5代目はなんと東京だった。病弱でこちらに来られなかったとのこと。なんとまあ。
 そういえば,「黒田藩」っていう響きがやけに懐かしいですね。三鷹だったっけか。

東長寺 山門 石碑よりも下の生き物が気になる 仁王像
阿吽ではなくどっちも口をへの字にしてますね
右の像が遠目にぱっと見中指立ててるように見えてびっくり
六角堂 修行大師 これはなんという生き物なのだろうか
この角度で見ると
五重塔が小さく見える
近くで見るともちろん大きい 仏殿 筑前六地蔵尊霊場
とのことです
いろんな霊場があるんだなあ
鐘楼
黒田家墓所

撮影禁止なのでとくになんの痕跡もないですが,ここで大仏を見たのは覚えております。あと,裏側を通って,胎内巡り的なことをしたな。ここは人が少なかったのでなかなかよかったです。

7.龍宮寺

 さてさて。東長寺で最後じゃありませんでした。失礼失礼。
 龍宮寺。かつては海辺にあり,捕らえられた人魚がここに納められたとか。観光協会は「納める」っていう単語をさらっと使ってますが,「納める」ってどういうことなんでしょうか。埋葬とも違うんだよな。生け捕って鑑賞したとかかな?

解説 山門 三宝大荒神 古い狛犬 人魚塚
昭和33年に再建立とのことです
確かに見た目新しいですものね

8.神屋宗湛屋敷跡,豊国神社,勝立寺その他

 その他でまとめてしまいます。疲れた。

 神屋宗湛が屋敷内で秀吉を祀っていたことから,後世この地に豊国神社が建立された,ということで豊国神社。なんとなくまた神仏分離の影響で何かがあったんではないかとちょっと勘ぐりたくなる感もありますが,まあそういう話は脇に置いて,とりあえずこのあたりはなかなか窮屈なたたずまい。階段で2階にあがってお参りとなります。東京だとこういうのたまに見かけますが,博多にもあるんですな。
 で,そのあとの勝立寺も同様に,狭いスペースにいろいろ突っ込んだお寺。先ほどの聖福寺が贅沢なスペースの使い方をしていたのに対し,こちらは窮屈です。
 秀吉と日蓮は歴史の敗者である,ということなのでしょうか。そんなおおげさな問題ではないか。
 でも,確かに考えてみたら元寇といえば日蓮さんなわけでして,もうちょっと扱いがよくてもいい気がするな。

おポンプ様
なんかもうちょっといい日本語なかったのだろうか
それはそれとして,とても稀少なもののようです
ここが神屋宗湛屋敷跡
現豊国神社であります
五七の桐 せっかくの石碑が
陰に隠れて見づらい
旧奈良屋番 解説 山門 龍宮造の鐘楼 日道上人

 そんなわけで,よーやく一通り見終えたので競艇へ。続く。


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