寒路甘楽へその2

 小幡藩は,織田信雄系列の織田氏が配置された場所です,うむ,日本語がおかしい。

 そんなことなど全くあずかり知らなかったわけですが,やはり織田氏の名前を見ると興奮してしまいます。織田信雄というとまあ歴史上あまりいいイメージを持たれていない武将の代表格に近いかと思うんですが,どうでしょうか。自分が司馬遼太郎とか山岡荘八を読んで育ったから,そのあたりの評価に影響を受けている可能性は否定しませんが。
 でもまあ,こうやって家名を残したのだから立派なものです。せっかくの織田家系なのに,甘楽・小幡の名前があまり有名でないのは残念でありますが。

 そんなわけで,織田氏七代の墓です。織田信雄は京都で亡くなったようですが,小幡に分骨されたようです。解説によると分骨先は宝積寺で,それを4代(小幡3代)信久が崇福寺に変更したようです。Wikipedia先生曰く,背景には席次への不満等もあったようですね。
 現地ではどれが誰の墓なのかよく分かりませんでしたが,群馬県のページで解説されておりました。

解説 きれいに並んでました 多分信雄のお墓 逆ハート型というか桃型? 多分織田の家紋 段の上にあります

 で,崇福寺本体はというと,お墓から少し進んだ場所にありました。
 本堂のほか,織田氏史跡保存施設(位牌堂,という名前もついているようですが,この「施設」という無機質な名付け方がいいですね)や石像を展示しているスペースもありました。宗教施設というよりも文化施設としての性質を強めているようであります。

本堂 史跡保存施設 織田家家紋 内部 南無阿弥陀仏 石仏たち
1体影に隠れてます
いいのかこれで
解説があるのは中央の
聖観音坐像のみです
大荘厳域の下馬の碑 こんな雰囲気の中 織田公墳墓 傾く石仏 遠くから

 さて,続いては本日後半のメインイベント,長厳寺の磨崖仏に向けて移動です。甘楽町の扱い的に,メジャーなんだかメジャーじゃないんだかよく分からないお寺であり,かつ,磨崖仏(ATOKが磨崖物と変換しやがった。まがい物みたいじゃないか)をプッシュしたいのかもよく分からない扱いです。
 お寺の前に駐車場があったので一安心。ちょうど先客?の方が車を出して帰って行くところでした。とりあえず前評判通り,山門に木魚がぶら下がっていて,これを叩いてから入るシステムです。叩かなかったらどうなるのかは分かりませんが,小心者なので叩きます。
 わりと有名な寺院なのではなかろうか(少なくとも磨崖仏をつくるだけの資力はあったはず)と思っていたのですが,境内には人の気配が無く,賽銭箱にお金を入れても本堂以外は「コトン」という小銭が木箱を叩く音(毘沙門天堂なんかだとお堂の前に小銭を置く方式)。まあ,お寺の経営を心配できるほど裕福な人間ではないのでいいんですが。

 で,本堂の右手を登っていくと毘沙門天堂・観音堂を経て磨崖仏です。思ったよりも登りましたが,それでも時間にして1分足らず。まあ,メタボNPにとってはその程度の運動もきつく,磨崖仏が見えたときは嬉しかったです。それにしてもこの磨崖仏,臼杵のものとは違って前に乗り出してきていないので,なんかへんな感じですね。これはこれで味があるっていう見方もできますが。古来からある典型的な磨崖仏とはちょっと違う感じです。
 あと,周辺にも石仏のような,顔の彫られた石が転がっております。これを見ると奈良高取の五百羅漢を思い出すのですが,これはどういう趣旨でいつ誰が作った石仏なのでしょうか。なんでこんなに無造作に転がってるのかなあ。
 ところで,天狗岩ってどれ?

基本的には三十三観音と天狗岩押しのようです 山門 六地蔵 三界萬霊塔
「塔」だけ横に転がってました
お地蔵様
十一面観音様がご本尊なのかな? 木魚
そこまでいい音だとは思わないなあ
孫の手をかり登って拝む磨崖仏
との句がありますが,
見たところ孫の手ではなく杖です
但し作成は観光案内指導者会
なんだかよく分からない 仁王像っぽいですが…
石塔 本堂 おみくじ停止 薬師堂 いいのか,これで 薬師堂内部
物置化しつつあります
読めませんが,とりあえず登っていきます 毘沙門天堂 読めない 毘沙門天
正月のお餅が
備えられてます
観音堂 さらに登る
こんな感じで見えてくる こまごまと,様々な表情をした石仏がちりばめられております
全身のものもあれば顔だけのものもあり,どういうコンセプトで作られたのかよく分からないです
磨崖仏。こんな顔の人ってどこかにいそうですよね

 そんなわけで次は宝積寺……の予定だったのですが,すぐ近くに「吹上の石樋」という見所があるようなので,寄ってみることにしました。こういう微妙な距離のときに車だと困りますね。狭い道だから路駐するわけにもいかんし。本当は川(雄川)を歩いて渡れそうな雰囲気もあったのですが(明らかにそれを期待する石の並びがあった),ちょっと靴を無事にすますことができなそうだったので,若干移動することになったのでした。
 吹上の石樋というのは,雄川から取水した雄川堰が,その下の雄川の支流(鋭意調査の結果掘沢川という名前だと判明)の上を通るための石樋であります。現代に生きていると「だからどうした」となりそうですが,セメント等々のない江戸期に水路を石で立体交差させるというのはなかなかにダイナミックな計画だよなあ。それ以前には木の樋があったようですが,なぜ石にしたのだろうか。





雄川の様子 吹上の石樋 解説 この解説は誰に読んでもらうことを想定しているのか
右にある石碑も完成当時のもののようです
雄川堰

 さて,最後に宝積寺であります。
 さらに南下して山を登っていきます。県道から宝積寺まで結構な登りがあったので,自転車で来ていたら大惨事になっていたかと思われます。他方で,坂道の途中にも神社っぽい建物があったりしたので,こういうところに立ち寄る気にならないのは自動車の欠点だなあ。

 宝積寺は,一時織田氏の分骨先ともなっていたことからも分かるとおり,この地域では地域一番店的な歴史ある寺院なのではないかと思われます。そのため,いろいろな奉納物があったり,歴史を裏付けるものがあったりして,なかなかに楽しめました。
 そういえば,名木10選の解説を見て思ったのですが,地名の轟の読みは「とどろく」なんですね。

参道
右手は料金所?
鳥獣供養塔 弘法大師追善供養塔などなど
(読めない)
みがわり地蔵 背中 護山料
本堂 諸仏解説 かんら名木十選
恥をさらしますが,「しだれ桜」という種類の桜が存在しないことを
今になって初めて知ったのでした
なでほてい
いいお顔 宝積寺合戦に由来する腹切り石と記念の弁天碑 供養塔
小幡氏歴代の墓 いまいちどれがどれなのかよく分からず。多分右手方向のものが菊女とその母の墓かと これは歴代住職のお墓だと思う
再度本堂を見上げる 解説がなかった 花の寺基金
冬に行っても花がないから
美しさが分からないな…
有縁無縁積霊塔
菊女観音菩薩
観音業界に詳しくないのですが,左手には何を持ってるのでしょうか?
子宝・子育地蔵尊
のんのん なむなむ イチョウ

 さて,これで当初予定していた見所はすべて制覇しました。
 次の目的地は,甘楽町の温泉です。これが問題。一応,上信電鉄の見所ガイドにおおよその場所は載っているのですが,本当におおよそで,白倉神社の右下という情報しかありません。カーナビに入れてもヒットせず。というわけで,とりあえずカーナビ上発見できた白倉神社に向けて移動し,適宜右下方向を目指すことにしました。
 この間,道路脇に白倉神社に向かうと思われる大きな鳥居があったりして興味は尽きなかったのですが,日が落ちてからよく分からない道を走りたくなかったので,寄り道せずに進むことにしました。で,白倉神社の右下あたりをぐるぐるまわってもそれらしき案内板は現われません。ううむ,もしかしてこれは断念の流れか……と思っていたら,甘楽町の体育館等々への案内板を発見し,凝視したところ小さめの文字で温泉への矢印を発見。円明院なんかも面白そうではあったんだけれど……。

 そんなわけでかんらの湯。泉質的にどういう温泉かはよく分かりませんが,とりあえず広々とした浴槽につかることができればこちらは満足なのであります。なんとなくですが,無臭ですこしぬめりがあったような。基本的に鈍感人間なので本気でよく分かってません。
 施設としては温泉以外にも宴会場でカラオケが行われていたりして,「正しい地域の集会場」のようでした。そんなわけで,甘楽町住民とそれ以外とは値段が異なるのでした。

かんらの湯 外観 入口ホール 館内 売店 大相撲が始まってました 絶賛カラオケ中

 そんなこんなで,温泉を出ると外は暗くなっておりました。
 帰りがけに意味もなく回転寿司(なぜ内陸県の群馬で回転寿司なのかという疑問は自分でも持ってますが)で夕食。

サイクルトレイン 自転車持ち込みについて 貸自転車 ローカルな改札案内 案内 夜の駅 案内


 その後,高崎→上野を在来線で行くか新幹線で行くか,2000円と時間のどっちをとるか迷った結果,2000円をとったところ,高崎線が人身事故で100分以上遅れるという大惨事に遭い,上尾で100分停車の憂き目に遭ったのでした。ぐはっ。
 この日は荷物軽量化のため1冊しか本を持って行っていなかったのでそれは既に読み終えており,しかも携帯を家に忘れていたので本当に暇疲れしました。上尾の駅内キオスクには一切文庫本が置かれておらず(まあ通勤客メインの駅だからしかたないな…),入手できた暇つぶしグッズは駅構内の観光パンフのみ。千葉県にイチゴ狩りか〜あまり心惹かれないな−。
 個人的にちょっと気になったのが,この日の上尾駅の自販機の売れ行きです。高崎線が絶賛運転停止中のため,駅に入ってくる乗客数は激減していたかと思います。他方で,電車に乗っていた人で上尾で外に出なかった人は暇をもてあましてのどを渇かして自販機で飲み物を買っている人も相当数おられるようでした。結局通算するとプラスマイナスどうだったのかなー。あと,これだけ長く止まるんだったらお茶のサービスくらいあってもいいよなー。というか,温かいお茶のサービスがあったら確実に喜ばれるだろうな。衛生上の問題が大きいから無理だろうけど。
 てなわけで,最後の最後に思いっきり疲れた1日でしたとさ。


富岡甘楽その1

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