四の五の言わずに函館観光その2

 権現台場から自転車で五稜郭入り。そんなに遠くはなかったですが,四稜郭⇔権現台場間よりは距離があったかな?でもまあ,基本的に下りなので,権現台場(とその周囲)をおさえられると五稜郭的にも大変だってことは分かります。
 五稜郭に自転車で乗り込んでいいのか若干不安でしたが,地元民っぽい人が中から出てきたので一安心。観光名所五稜郭とはいえ,北側の橋から中に入る人は少ない様子で,ランニングや散歩してる地元民っぽい人はおりますが,観光客は少ないです。逆に観光客が少ないので,地元の方にとってはいい場所ですね。

案内板 堀越しに五稜郭を見る
裏門橋付近。このあたりは堀に葉が多く残ってます。石垣の上に土塁が乗って,さらにその上に木が並んでるのは昔からなのかな?

 さて,場内に入るとまず正面に土塁,左右に堀。。いやぁ,こういう構造は嬉しくなりますね。余裕とお金がある時期に作られてるだけに縄張りがかっちりしています(逆に言えば,ある意味予想外のものが登場しないともいえる)。入って左右に現われる堀は大きくはないですが,これは全体構造をあらかじめ知ってるから言えることで,現場でこういうアップダウンがあったら攻め手としては嫌だよなあ。

正面は土塁
障害コースみたいだ
左側の土塁と堀 右側。左側とほぼ対称

 さて,自転車を脇に止めて,石垣に登ります。
 いろいろとネットを見ていると,どうも石垣の上に植えられているのは桜,しかもソメイヨシノで,桜の時期にはとても綺麗に花を咲かせるようです。
 素人として思うのは,ソメイヨシノは食料にも武器にもならないので城に植える木としてはどうなんだろう,観光地としてならいいんだけど,よく文化庁?がOKしたな,ということ。文化庁が厳しくなる前から植えたのかもしれないな。あと,木が植えられていると,根っこで石垣が崩れたりしないのか,素人ながらに不安になります。まあ,素人がごたごた言ったところで,プロが管理してるんだから問題ないんでしょう。おそまつ。

石垣の上 草に覆われております 入って左右に見えた堀を
上から眺める
水堀→石垣と越えたあとに一度降りてまた登る構造
おそらくこの広さと石垣の高さなら砲台を作られない
っていう感じなんだろうな
この小さい堀はなんなんだろう
こうやってみると,石垣の上というよりも手頃な林だな 大砲を運ぶ坂 坂の脇は深い 微妙に四角い堀?が見えます

 そんなわけで,石垣・土塁の上を一通り堪能したので下に降ります。そういえば初日に野外劇を見た場所を改めて確認する作業を完全に忘れてました。
 ここは,復元できない建物については解説板だけ置いて,一応礎石の場所なども保護しているようです。いざとなったらガリガリ復元可能ですな。いざとなるかは別として。
 そして,奉行所が段々近づいてきて,しかも手持ち時間が段々減ってきて,心は急くのでありますが,その前に土塁に登ってみたりしました。


これに登る

真ん中が膨らんでますが
当時から塀とか櫓とか
なかったのでしょうか?

タワー方向
手前にNP車がとまってます

 さて,そんなわけで,五稜郭のど真ん中でひときわ輝く函館奉行所。
 よくある本丸御殿とは違い,ど真ん中にそびえる太鼓櫓の姿が印象的です。まあ,復元されたのは全体の1/3程度ということで,この程度の方が写真1枚におさまる大きさで,見ていてバランスがよいですな。
 で,復元されたばかりなので,内部はとても綺麗です。でも,家具や調度品がないので広々しているように感じられるんですが,実際はそうでもないんだろうな。
 内部には世界の星形稜堡式城郭の案内もありました。これはちょっと世界制覇してみたくなりますね。それにしても,サンクトペテルブルクって去年行ったのにそんなもんあったかいな,と一瞬悩んでしまった……。時間のない中,ちゃんと登城してました。よかったよかった。旅行記書かないと……。
 あと,太鼓櫓にはのぼれないんだな。ちょっと残念。でもまあ,のぼれたらのぼれたで事故続発だろうから仕方なし。


中庭は採光と
雨水処理目的とのこと

古写真撮影ポイント
誰かの影が邪魔だな

 で,奉行所も見終わったので,駆け足でその他のものを見て回ります。とりあえず,あまりにこの時代の大砲知識・戦闘知識について無知なので,ここに展示されていた大砲がこの時代においてどういう位置づけにある大砲なのか(量産型なのか最新鋭なのかとか),撃った弾がどういう弾道を描いてどういうかたちで攻撃対象に被害を与えるのかも分からんのであります。このあたりの知識がないと楽しめないな。


銅像ではなくこういう
石碑にしたのが面白い
 
当時の大砲
射程1〜3キロか……
これらが一般的だったのかな?

 時間もないし,このまま立ち去ろうかとも思ったのですが,最後にもう1つ石垣に登ってみることにしました。みんな登ってたし。

 で,ここの石垣がさっきと違うのは,石垣に武者返しがついていること。そういえば,人吉に行ったときに西洋式の築城法として見た記憶があります。まさしく西洋式城郭であるここ五稜郭にふさわしい遺構ですな。それにしても,ここまでくっきりと武者返しがついていると,逆に裏門側に武者返しがついていない理由がよく分かりません。まあ,もともと対西洋・海側からの防御を中心に考えていたので,とりあえず海側にしっかりと武者返しをつけたのかもな。
 今気付きましたが,人吉の武者返しは一番上の石垣ですが,ここの武者返しは押石の下,2段目ですね。人吉の石垣建築技術では押石が不要だったということなんでしょうか。でも,押石がないと,下から手を掛けたときにすぽっと石垣が外れそうですよね。実際のところ,どうなんでしょう??


石垣上から奉行所を見る

石垣がはね出しているのが
よく分かります

石垣上も多少の凹凸。
往時はもっと土塁のかたちを
残してたのかもしれないな

半月堡

 そして,半月堡です。解説によると,もともと5カ所に作られる予定だったものがここだけになったとのこと。馬出の一種ということです。確かに位置的にはそういう場所ですね。
 城郭構造,武者返しや石垣と土塁の複合体がコンパクトにまとまっているので,登ったり近づいたりしながら見ていると楽しめます。但し,ここに登っている人は非常に少ないのでした……。こんなところに子供みたいにうれしそうに登ってるおじさんなんて端から見たら単なる変人だよな。


飛行機☆

 そんなわけで,五稜郭を堪能したので,五稜郭タワーを目指します。段々時間が無くなってきました(弥彦寛仁親王牌の決勝までには競輪場に着かないといけない)。
 なのに,タワーに向かう途中にお寺があったので寄ってみました。最上寺。場所柄,参拝者が多くても不思議ではない感じですが,参拝者はゼロ。ということは,新撰組や箱館戦争には特に縁が無いんでしょう。そういえば,お盆にも縁がないのかな。とりあえず面白いものはなさそうなので,手を合わせて手短に退散。


 そんなこんなで,五稜郭タワー。
 とりあえず,有名な五島軒のカレー。とても有名な老舗というイメージだったんですが,時間が時間なのでほかにお客さんがいませんでした。客がいないのでてっきり昼休み中かと思ったらそうではなく普通に営業してたのでよかったよかった。


土方歳三手植えの矢竹
日野から寄贈されたとのこと

あいがけ

 そんなこんなでエレベーターに乗って上に上がります。エレベーターの扉が開くと,いきなり目の前に五稜郭!!
 普通,こういう場所だと混雑と危険防止のためにメインの見所をエレベーター出口の逆側にするような気がするんですが(但しそんなにタワーに登った経験があるわけでもないので特に根拠無し),いきなり五稜郭の姿が目に飛び込んでくるのは壮観です。いや〜,素晴らしい。
 そして,例によって各方角に目印となる建物の案内図があります。それを見ていてすぐに気付くのが「函館競輪場」の文字です。こういう場所で競輪場の文字を見られるとは……。全体的に見て,函館は比較的競輪に優しい街だな……。もちろん,「函館競馬場」の文字もあります。


松前方向

競馬場と競輪場

最上寺がアピール

下を見られるガラス

四稜郭と権現台場は
どのあたりになるのか…

 そんなわけで,ホテルに自転車を返却。


四稜郭&権現台場競輪場


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