孔子とニコライロシア旅行記番外編・台湾旅行記番外編・コンドルを追ってその2
JRお茶の水駅の聖橋口という場所は,小学校時代,一時的に,毎週日曜に通った場所であります。よって,昔から「ひじりばし」という読み方にも対応しておりました。その後,縷々転々して,大学時代もお茶の水付近をうろうろすることもあったりなかったりしました。
こうしてこのあたりには昔から出没していたのにもかかわらず,湯島聖堂とニコライ堂を訪れたことはありませんでした。ニコライ堂の鐘の音なんて昔からしょっちゅう聞いてたのにな。
で,このたび行こうと思ったのは,一つにはニコライ堂がどうもロシア正教と関連しているらしいということ。ロシア旅行に行く前に知ってればまた違ったんだけどな。もう一つは,この時点でGWの台湾旅行が内定しており,台湾に行く前に孔子廟を見ておきたいと思ったこと。もちろん最大の理由は「暇だった」という点に尽きるわけですが。
そんなわけで,まずは湯島聖堂です。昔の昌平坂学問所。こっちの名前は日本史で知ってます。ただ,それにとどまらず,明治期にはここに(現)国立博物館や(現)筑波大学までもあったようです。へぇ〜。
入口を求めて半周ほど自転車で彷徨った結果,なんとか入口に到達。
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仰高門 |
昭和11年の解説を今に残す |
現在の解説 |
仰高門 |
ご案内 |
まずは仰高門です。この手の大きな門から始まるのはお寺と一緒ですな。お寺に限らず,当時の日本の大きな建物はいずれも門にこだわった造りだったのかもしれません。建築史に詳しい知り合いがほしい。
で,中に入ります。中は特にトラップのない一本道。しばらく進むと右手に大きな孔子像が登場。孔子さんってなにかと年とって髭を生やして威厳と風格がある姿ばかり見てる気がしますが,当然若い頃もあったんだよなあ。やんちゃしてる孔子の像とかないんだろうか。「スカートめくりしてる孔子像」とか「苦手な食べ物残して親に怒られてる孔子像」とか。
パンフレットによると,ここの孔子像は世界最大とのことです。台北のライオンズクラブは自分の所の孔子像をさしおいて最大の像を寄贈してくださったんですね。頭が下がります。こんなこと書いてると「孔子様は『大きければいいってもんでもない』ということをおっしゃっている。この愚か者めが」などとお叱りを受けそうで怖いですが。
さて,そもそも孔子廟とは一体なんなのか。まずはこれがよく分かってませんでした。平行して,「儒教とはなんぞや」「儒教は宗教なのか」というよくある疑問も結局解決されないまま今に至っており,結局自分的な理解もイマイチなままです。そんな状態ですから,とりあえず孔子廟は「孔子を祀っている場所」というのは分かりつつも,「祀っている」というのはたとえば各地の天満宮が菅原道真を祀っているのと同じように考えていいのかよく分からないのであります。
なんとなく「中国版天満宮」という理解が間違っていつつも最もすっきりするような気がするので,とりあえず自分の中ではそんな扱いにすることに決めたのでありました。ただ,天満宮にしてもどこにしても,あまり「御祭神の像」ってないよなあ。絵やなんかは見ますが。先日も東博で「神像」を見ましたが,あれも御祭神と必ずしも一致してないっぽいし。
とまあ,自分の無知を全世界に晒しつつ奥に進んでいきます。入徳門,杏壇門という2つの門を抜け,その先に大成殿となります。孔子廟なのだから,1つ1つの門に意味がありそうなのですが,いかんせん自分には分かりません。論語を読んだらこれらの言葉も出てきそうだな。とりあえずパッと検索したところによると,杏壇というのはかつて孔子が杏の木の下で弟子にいろいろと教えたことが言葉の由来になっていることが判明。
特に酒も飲まないので,アンズという植物にはさしたる興味もないのですが,中国が原産なんですね。杏の木の下で教えたってことは杏になにか意味があるのかな?
日本のお寺であまり見ないな,と思ったのが,黒光りする門や装飾。なにが塗られてるのかな,と思ってパンフレットを見てみたら,黒漆でした。なるほど。入徳門だけが木造のようです。
その他の外観は寺院や神社と大きく異なることはないような気がしました(まあ作ったのは日本人だからな……)。但し,大成殿の上についている鯱ならぬ鬼\頭(きぎんとう,と読むらしい)と,その前に構える鬼龍子が特徴的。「きりゅうし」といったら普通は競艇で有名な桐生市(ただし競艇場はみどり市にあり,現在は桐生市は撤退しているというややこしさ)しか浮かんでこないよな。鬼龍子は獅子の体に龍の爪を持っているとのこと。あなおそろしや。鬼\頭は,魚の体に竜の顔を持ち,さらに角がついて頭から水を吹き出すという,もはやなんでもありな獣のようです。このあたりの霊獣は,儒教と関係があるのか,それとも何か別のの中国的な思想に基づいているのか……。そもそも日本の狛犬だってもともとアニミズム的な神道とは関係が深い訳じゃ無さそうだし,まあ時代や文化的な流れで設置されるようになるのかも知れません。あと,ここにいう「鬼」ってなんなんだろうか。鬼龍子ってのは鬼と龍の子って訳じゃ無さそうだし……(身体は獅子だしな)。このあたりを丁寧に調べる気はさらさらないので,30秒ほどで分かる,綺麗にまとまったサイトがほしいところ。でもそういうサイトを探すのも面倒だ。
さて,後付けになりますが,中で買った「写真と図板で見る史跡湯島聖堂」という小冊子を読んでいると,鬼\頭は「外側を向いている」ことが注記されておりました。あー,そういえば確かにそうだ。
この日は土曜だったので,大成殿に入ることが出来ました(まあ入れる日を選んで行ったのだけれど)。中央正面には孔子様と,左右におそらくそのお弟子さん達が鎮座。世界史なり漢文なりをきちんと勉強し続けていれば皆様の名前がすんなり頭の中に入り,かつそれぞれがどういう事跡を残されたのかも分かってにやにや出来たのでしょうが,残念ながらこちとら世界史は大の苦手科目で,まあ本当に誰が誰だか分かってないのであります。
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入徳門 |
黒光り |
水屋 |
杏壇門 |
今年の漢字というと
清水寺が有名ですが
ここにもあるようです |
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乱信 |
大成殿 |
鬼\頭 |
鬼龍子 |
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その後,斯文会館で「日本の孔子廟と孔子像」という本を購入。おそらくあまりにも売れてないんだと思いますが,受付の方に本の名前を言っても全く理解してもらえませんでした……。また,その奥まで行けるのかどうか気になったので見てみたところ,立入禁止のようでした。
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奥は進入不可 |
さて,続いてはニコライ堂。どうも正式名称?は東京復活大聖堂というらしいです。上にも書いたとおり,ニコライ堂の鐘の音なんてかつては毎週聞いておりました。それほどまでにニコライ堂の存在は自分にとって有名だったのにもかかわらず,この年になるまで一度も立ち入ったことがなかったのです。それどころか,ニコライ堂の入口の門にも立ったことがないはずです。我ながらびっくりです。
そして,このニコライ堂がロシア正教系の教会だということはロシア旅行を終えてから知ったのです。もはや馬鹿どころの騒ぎではありません。ちゃんと前もって勉強しておけば,旅行前に予習できたのに……。
あ,もちろん「ロシア正教会系」という言葉遣いが正確には誤りであることも分かった上でこの表現を使っております。正しくは正教会の教会という感じになるのかな?でも,ロシア旅行との関連でここに参拝に行ってしまったので,どうしてもこういう表現になってしまうのであります。なお,中では「よくある質問に答えます」という紙が頒布されており,「ニコライ堂はロシア正教なんですか?」という質問への回答として「ニコライ堂は正教会の教会です」「ロシア正教会の教会ではありません」と書かれております。ところで,NPがやけに「ロシア正教会系」を連呼するのは単に自分がロシアに行ったからなのですが,一般にここが「ロシア正教会の教会」であると誤解されてるのはなぜなんだろうか。ニコライ氏ってそんなに有名だっけ?
ちなみに,信徒さんが作られているこのサイトが極めて優秀で,勉強になります。こういうサイトを旅行前に見ておけばなー。
さて,入口の上には見知ったるイコン。中にもイコン。ただ,中に入ると中央奥の祭壇を中心とした構造になっているように見え,モスクワの救世主聖堂のようにいくつもの部屋に分かれている複雑な構造というよりも,NPが勝手知ったるカトリック教会的な構造に近いように思えました。このあたりの構造については誰かに聞いてみたいところです。
この聖堂もかの有名なジョサイア・コンドル氏の設計によるようです。コンドル氏ってあちこちに建築物を残してますが,一体何年間日本にいて何カ所設計したんだ。もちろん1人だけじゃなくて部下なり弟子なりもいたんだろうけど,それにしても凄くないか。実は3つ子だったりしないのだろうか。
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重要文化財
東京復活大聖堂 |
信者さんではない皆様へ |
もはやロシア語を読めない |
アーチ越しに |
聖堂 |
正面 |
懐かしい |
モザイクがあります
これは若干日本的と
いえるのかもしれません |
300円を払って中に入ると,簡単なパンフレットのほかに蝋燭をいただけました。このあたりはロシアとは違いますね。
中はやはり採光を控えて薄暗い感じ。あー,この空気感懐かしいです。まあ,こうやって通ぶったところで神はNPが何も分かってないことなどお見通しなんでしょうが。
さて,上記「よくある質問に答えます」用紙,もう1つありました。こっちは本気で気になっていた,あの斜め線が入った十字架についてです。これは「八端十字架」と呼ぶらしいです。(そういえば八反あみかっていましたね。ATOKに漢字変換してもらえないレベルになってしまったようですが。)ちなみに,普通の?十字架にもラテン十字とギリシャ十字という2種類あることを今知りました。へぇ〜。これでReligion科目で点が低かったことに文句垂れてるんだから救いがありません。
で,解説によると,上の棒は福音書に記されている罪状書を,下の棒は足台を示しているとのことです。なるほど。
そんなわけで,ニコライ堂の拝観も終了。
最後に聖橋を通って帰る……のではなく,江戸川競艇場に行ってしまう自分のダメさ加減に救いあれ(いや,一応平井の島忠に行くっていう大義名分もあったんですよ,これは本当に)。
ところで,ここで今世紀最大級の発見をしました。聖橋っていうのは湯島聖堂とニコライ堂という2つの「聖」を結ぶ橋だから聖橋っていうらしいです。もしかしたら一般常識レベルの事なのかもしれませんが,お茶の水に出入りしてから20年以上経って名前の由来をようやく知って,本気で驚いたのでした。
というわけでみなさんも身近な場所にある史跡を見逃さないようにしましょうね☆
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その1(旧岩崎邸)/その3(桑名旧諸戸氏邸)