福岡城登城その1

 いままで,3回福岡城のお堀は見てるんですが,いずれも仕事。今回,4度目にしてようやく福岡城の本丸に乗り込むことができました。
 このために前日の睡眠時間が2時間になってちょっと辛かったですが……。福岡と柳川を1日に突っ込もうと思ったらこうするしかないんだよなあ。

 てなわけで,地図を見ながらどうやって福岡城を攻略するか,いかんせん出張前乗りという身分で鞄が重いのでちょっと悩みました。大濠公園から往復,赤坂から往復も考えましたが……とりあえず赤坂から登城して大濠公園に抜けるという,極めてオーソドックスなルートにしました。肩が痛い。

 そんなわけで,まずは見慣れた赤坂からのお堀。ここの特徴は,「1号濠,2号濠」というネーミングをしていること,そして,「堀」ではなく「濠」という漢字を使っていることです。こういう字を使うからには当然意味があるんだろうと思います。ちょっと気になりますね。例によってちょっと気になるだけなので,九大の偉い先生の趣味だった,とかそういうオチを期待しつつ調べることはしません。
 ところで,裁判所に入るための土橋は昔はどうなってたのでしょうかね?
 そして,そこを超えて,2号濠。そして,上之橋御門から中へ。

1号濠
裁判所に入る土橋は
やけにきれいですが,
昔からあったのでしょうか
2号濠 濠越しに見る,立派な石垣 3号濠 上之橋御門から中へ

 この上之橋御門まわりの石垣は修復工事中。どうも当初はこの年の3月で終わるはずだった工事が,7月まで伸びたようです。まあ,無理に納期に突っ込むくらいならしっかりと工事してもらいたいものです。
 そして,見学台があるということで,鞄をそこらに置いて,石垣の裏側に回ってみました。

工事案内 大河ドラマに合わせて
案内が作られてます
石垣
工事中のため近づけません
工事案内
こっちでは7月末終了
予定になってます
案内 望遠でとってみた
見学台の案内 石垣
ツタが生い茂ってます
ここで曲がる
あまり門があった時代の姿が想像つかない
壁を後ろから
なんかあまりピンとこない
コンクリのせいか?
下の方に穴がある
狭間にしては場所が変では?
現代の水はけの穴かな
見学台へ 修復中の石垣
向かって左側は修復が終わったということかな?
なんか接近を解除しても問題ないような気が……

 さて,ここ福岡城。昔ここに平和台球場があったんですね。なんとも一等地に球場があったんだなあ。平和台を使った試合なんてほとんど記憶から抜けてるけど……。
 あと,ここに球場があったとすると,かなり小さくないですかね。気のせいでしょうか。駐車場とかはどこにあったのでしょうか……。

 そして,現在,この平和台球場跡地は,鴻廬館(←月偏に廬が正解なのですが,出てこない。よって,以下これで代替。)跡地として,盛大に発掘調査が行われております。ここって,鴻廬館がなかったらなんに使う予定だったのでしょうか。それとも,平和台(←平和島と打ちそうになるから困る)を取り壊す時点で鴻廬館の存在が分かってたのかな??

 
調査案内 発掘調査中
石にナンバリングがされているのが分かります
史跡案内 歴史に興味が無い人から見たら,
なんとも勿体ない土地の使い方だろうなあ
おそらくこれが
かつての建物跡

 そして,鴻廬館展示館へ。鴻廬館展示館と銘打ってますが,地味に100名城スタンプもここだったりするので油断できません。
 ここでようやくパンフレットをゲット。

 展示館の中には,かつての政庁の復元があったり,その他の出土品の展示があったりします。まあ,オーソドックスな展示館ですね。
 で,自分用の復習メモとして,ここ鴻廬館(いい加減間違った字を書き続けることに恐怖心を覚えてきた)は,太宰府の出先機関であり,外交・交易の拠点となっていたようです。博多港の歴史もよく知らんのですが,とりあえずここに外交・交易の拠点があったことが,のちの博多港の発展に繋がったとのこと。まあそりゃそうなりますね。
 福岡市博物館に出張中の金印の案内をみて思ったんですが,かの有名な金印の現物をまだ一度も見てないんだよな。志賀島には行ったことあるんだけど。
 建物の復元を見た印象として,意外と小さいんではないか,と感じました。実際にこの建物がどういう役割だったのかも分からんですが,技術的な問題なのでしょうか?

 この手の古代史って今までよく分からないからスルーしてきたんですが,学会的にどれくらい古代史は固まってるんでしょうかね?


 そんなわけで,鴻廬館終了。
 今まで特に意識したことが無かったんですが,太宰府って考えてみたら交通の便はあまりよくないですよね。もちろん裏返せば防御に適してるわけだけど。
 とりあえず,今後も鴻廬館の発掘が進んで,古代史がまた解明されることに期待したいところです。
 ところで,安土桃山〜江戸時代はここは三の丸だった,ってことでいいんでしょうか。

 それから,福岡城むかし探訪館をチラ見。大河ドラマに合わせてそれっぽい展示がありましたが,特に興味をひくものはなし。

 てなわけで,思ったより鴻廬館に時間をとってしまいましたが,ようやく福岡城の攻略を進めていくことになるわけです。なお,一縷の望みを抱いていたコインロッカーは鴻廬館展示館にも探訪館にもありませんでした。無念。頼めば預かってくれそうな空気(特に鴻廬館)はあったけど。まあいいや。


福岡城登城その2


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