三景橋立杯その3
フクノテンヨウセキ(福知山)

 さて,福知山と言えば,思い起こすのは10年以上前。イギリスに旅行し,ニューマーケットの競馬博物館を訪れた際,奥の木馬係の方の息子さんが福知山で英語教師をしている,といっていたことです。いうまでも無く,今回の旅行とは関係がありません。

 そんなわけで,福知山。駅にちょっとだけ雪が残っておりました。まずは雪を踏んで,雪の感触をかみしめるのであります。

 そういうお遊びはさておき,時間もあまりないので,福知山ではとりあえず御霊神社と福知山城に行くことくらいしかできません。もうちょっと町をぶらぶらできる時間があるとよいんだけど。

 ところで,駅にあった鯱瓦。いかにもロータリーかライオンズが設置しました,という雰囲気なのですが,そこには「日本鬼師の会」という名が書かれておりました。恥ずかしながら,鬼瓦職人さんのことを「鬼師」と呼ぶことを初めて知りました。そして,福知山には日本の鬼の交流博物館というのがあるんですね。これはちょっと面白そう。大江山に近いからここにこういうのがあるんだな。大江山に近い場所にあるため,公共交通機関では果てしなく行きづらいのだが,いつか行ってみたい。

鯱瓦 Snow 福知山音頭 福知山駅

 てことで,まずは御霊神社。駅から歩いて行くと,脇から入ることになります。せっかく明智光秀に縁のある神社なのに,脇から見る限り普通の神社ですな。
 ところで,今写真を見てたら,福知山警察署がクリアー活動を実施しておりました。どうも違法駐車を防ぐための特別な活動のようです。そういう全市民的活動の脇で,参道入口なので駐車するな,という個人的事情を掲げるのはどうなのか,というか,神社としても当然違法駐車全般を抑止したいでしょうから,せっかく2つ看板掲げるなら,上手く警察と神社が協働できたらよいのにね。

 とまあ,下らないことはさておき,境内へ。
 本殿は脇に立派な彫刻があります。見たところ新しい。拝殿は赤くて綺麗です。

 面白いものとしては,堤防神社という名前の神社があります。堤防の重要性はいうまでも無いですが,「堤防愛護会」ってのがあるんですね。そして,昭和59年と比較的最近になって神社を建立した,と。最近できた神社ではありますが,ある意味昔ながらの自然崇拝的な神社ってことでしょうね。

脇から入る 脇から本殿 面白い彫刻 正面から拝殿
包丁刃物社 摂社 堤防神社 叶石
木に隠れていた由緒書 上では遊んだらダメなようです
下ならOKってことだな
下の由緒書 下の鳥居

 そして,福知山城を目指します。神社を出た時点で既に16時10分をまわっていました。福知山城は入城は16時30分まで。時間が無い!
 ってことで,若干急ぎ気味に城に向かうのでした。途中,ちょっと遠目から見えた福知山城の姿がとても美しい!夕日に映えます。素晴らしい連立天守じゃありませんか。コンクリ復興天守なのは知ってますが,ここまで美しい姿で復興されてるならば文句はありません。素晴らしい。

 そして,ひぃひぃいいながら坂を登っていき,なんとか間に合いました。いやあ,疲れた。ここまできて中には入れなかったショックだからな。よかったよかった。で,中は撮影禁止なので無駄に時間を食うこともありません。できれば模型くらい写真に撮らせてもらえるとあとあと見返すとき楽しいんだけどな。まあ,しょうがない。

この姿は美しい
(信号が邪魔だけど)
下から見上げる ここを駆け上がります 天守頂上からの眺め

 さて,無事天守を見て脱出できたので,こころ安らかに本丸をうろつくこととします。本丸を歩いていてひときわ目立つのは立派な門と神社でありますな。この門は釣鐘門というらしく,その名の通り2階部分に釣り鐘が……見当たりません。まあ気にしない。ネットに転がっていた「両丹日日新聞2008年10月24日のニュース」では,「釣鐘門が完成すれば、1986年の福知山城再建以降の一連の整備を終える。」とあったので,これ以降は整備事業はストップするようです。おそらくは次に何かおこるのは,明智光秀の大河が実現したときではないかと思われます。
 合わせて鎮座するのは朝暉神社。てっきり光秀関係かと思ったら,全く関係が無く,福知山藩の藩主であった朽木氏の初代藩主の父(藩祖)朽木稙綱を祀っているようです。由緒書を見る限り,祭神は稙綱のみですね。朽木氏というと,関ヶ原で寝返った朽木元綱しか印象に残ってなかったんですが,福知山のような京都に近い要所を任されてたんですな。あと,顕彰碑のある朽木昌綱さんは蘭学者として名高い人のようで。完全に将来の自分用にWikipediaのリンクを貼りたかっただけの文章でした。

 あと,福知山藩の年表を見てると,朽木氏に落ち着くまで70年弱。その間,まあ出入りが激しいのはいいんですが,稲葉紀通が唐突に城内で自害してます。なんだなんだと思ってWikipediaさんを見たら,どうも謀反の疑いをかけられたとか。こんな場所で謀反が起きたら京都でも大騒ぎだろうな。あと,その苗字の通り稲葉一鉄の家系なんだな。

 それから歩ける場所をぐるっと。遠目には美しかった福知山城連立天守ですが,真下から見るとなんかイマイチ。
 まあ,そんなことよりも,福知山城といったらそこかしこにはめ込まれている転用石ですね。いやはや,これほどまでに多く,しかも風化せずにしっかりと残っているとは。こりゃあ凄いや。転用石の評価はプラスマイナスいろいろあるようですし,福知山に関しては明智光秀をどう評価するかにかかわるのでしょうが,個人的には,あえて目立つ場所に設置していること,その後隠すようなことがなされた形跡も無いことから見て,肯定的に捉えていいんじゃなかろうかと思う次第。それだったらほかの城でももっと使われてていいんじゃないかという気もしますが。

釣鐘門 朝暉神社 昌綱公の碑 鉄砲石
どれなのかよく分からず
朝暉神社由緒
誰か読みやすく書き直して…
本殿
福知山城解説 豊磐井
井戸越しに見る 復元鯱瓦
これも日本鬼師の会が作ったもののようです
小天守 転用石
解説 本丸から天守を見上げる 北側を見る 銅門番所
何回か移築されているようです
釣鐘門の真下の石垣。これは美しいですな
転用石あれこれ
石垣と小天守とその先 下から見上げる 振り返る
釣鐘門 釣鐘門から大天守 釣鐘門から小天守 小天守と大天守 立派な石垣です
見上げながら帰ります 石垣 ずいぶん暗くなったな 電線が邪魔だけれど
この角度の城は美しいですね

 そんなわけで,天守のまわりをぐるぐるまわりながら,若干自分がどこにいるのか混乱しつつ帰っていきました。
 帰りがけに城を振り返ってみたんですが,おそらく電線が邪魔にならない場所(このあたりのビルの中)から見ると,とても綺麗なんじゃなかろうかと。

 てことで,この日の夜は舞鶴泊です。


亀山城舞鶴田辺城


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