三景橋立杯その4
ニシノマイヅル

 そんなわけで,西舞鶴に到着。夜です。
 ホテルに行く前に,夕食。酒を飲めない一人者は毎度毎度旅行時の夕食をどうするのかが論点になります。地元の酒場に入るとか決めてればいいのですが,いかんせん単なる貧乏舌の下戸なので,選択肢はコンビニ弁当からありまして,選択肢が多い分悩ましい。
 検索したところ,駅前にある一天張という店がそれなりに有名っぽかったので,行ってみました。もちろん飲み物はウーロン茶。温かいお茶だけで突破できるお寿司屋さんというのは下戸にとっては素晴らしい場所だと,こういうところに来て思います。

やけに近代的な見た目の駅でした なんの魚か忘れた

 ごたくはさておき,この日は大人しく寝て(うるさく寝るってのもよく分からんが),翌日は田辺城を目指します。田辺城と言えば古今伝授。細川幽斎さんですね。
 ところで,「古今伝授」という言葉自体は中学だか高校だかで覚えているわけですが,結局なにやってんのかよく分からんのであります。てことで,Wikipediaさんに頼ります。頼った結果,3流派あるとか,今もまだ御所伝授と堺伝授が確認できるとか,なかなか興味深いことが分かりました。価値は落ちても今も続いてるってのは面白いな。

 さて。早朝散歩はうのもり神社から。最初から漢字変換を諦めてますが,もしかしたらどうにかなるのかな。
 で,なぜここに行ったかというと,単に田辺城に近かったからです。ほかにも理由があったような気がするんだけれども,行ってから1年以上たった今,思い出せません。
 それから移築城門が残る明倫館跡地を経由して,田辺城公園へ。

うの森神社 正月モードの飾り付狛犬 拝殿 明倫館跡

 続いて,田辺城へ。どっしりと構える大手門が目立ちます。見たところ新しそうだし,時代考証はしっかりしてそう,に見えますが,残念ながらそうは問屋がおろさないようです。よくもまあ,こんなでっかい模擬大手門を作ったもんだ。なんなら天守台を使って天守復元くらいすればよかっただろうに,そこまで予算がつかなかったのだろうか……。

美しい大手門と櫓 公園案内 復元図
模擬大手門があった場所はもとはお堀だったんだな

 さて,鞄をそこらに放置して城内(公園内)探索を始めます。
 まずは天守台。これはちゃんとした遺構のようです。おそらく,天守まわりをいじるわけにもいかず,かといって城跡をこのままにするわけにも行かなかった結果があの模擬大手門なのだろうと,善解いたしたいところです。ただ,この天守台,数多ある天守台の中でも高さは低い部類なのではないかと。これだと単なる台以上の何物でもなかったのかもしれないな。

田辺城解説 天守台とその解説。ここの解説は,ぶっちゃけ見づらい

 そして,なんだかんだ言っても櫓や門は絵になるんだよな……。

こういう解説が各所にあるんですが(とれたとおぼしき場所も)
黒い塗装がなくなると見づらい……
門と櫓 石垣が続く

 さらに奥に進みます。解説が分裂してるのはまあ仕方がないとして何がどこにあるか分からないので余計な探索の手間がかかるんだよな……。
 どこかに全部まとまってたりするのだろうか。

 そして,古今伝授の遺構。「古今伝授の遺構」っていったいなんなのかよく分からんのですが,どうも細川幽齋が勅使に秘伝書を伝えた場所がここのようです。「遺構」というとなんかせめてどんな部屋だったのかとかどんな秘伝書だったのかとかそういう情報が欲しいところですが,そういう情報が一切ないのが秘伝の秘伝たるところなんでしょうな。

慰魂碑 細川幽齋 古今伝授
第2章は発見できず
古今伝授遺構
こんな高台だったとは
思えないんですが……
心種園 うす〜く氷があります
昨年の甘楽楽山園を思い出す
心種園。なんとなくグッとこなかった。石が強すぎるのかな……?
奥の池
場所が余ったからこうなっただけなのだろうか
井戸の復元

 さて,続いて,模擬櫓内にある彰古館と模擬大手門内にある田辺城資料館へ。なんかもうちょっとうまい資料館のつくりかたがあるように思うんですが,まあできた時代も違うし仕方ないんだろうなあ。
 特に撮影禁止という文字が発見できなかったので,お城がらみをいくつか撮ってみた。あと,鉄砲で有名な稲富さんについては正直「信長の野望で鉄砲Sで登場する人」以上の知識がなく,ちょうどたまたまついさっき(これを書いてる2015年8月)松本清張の「逃亡者」を読んでやっとどんな人か分かったレベルでした。細川家臣だったのですな。松本清張の小説だとガラシャが死ぬ前に逃亡してますが,Wikipedia情報だとガラシャの死亡を確認してから離脱してますね。どっちが正しいのだろうか。

彰古館について 浦島太郎って
丹後の人だったのか
田辺城図 ジオラマ
いまいちどこをどう復元したジオラマなのかよく分からない
大手門があるので,三の丸まわりってことでいいのかな
なぜこの部分のジオラマを作ったのか謎だ(本丸を作らないと行けない理由もないのだが)
舞鶴公園のうつりかわり 細川幽齋 城下町 田辺城今昔

 てことで,駅に戻ります。
 途中,びみょーに遺構があったりします。第17次発掘ってことで,おそらく数年に一度のレベルで掘ってるんでしょう。たぶんこのあたりを掘ると何か出てきてしまうから,地権者は掘りたがらないのではなかろうか……。

第17次発掘の結果,二の丸石垣が発掘されたようです

 で,北近畿タンゴ鉄道で宮津へ。宮津って「みやづ」かと思いきや,ホームページは「Miyazu」なんだよな。日本語って難しいですね。西舞鶴も「Nishimaizuru」でした。宝塚記念もJRAは「Takarazukakinen」で表記してますね。これってローマ字の何とか式ってのと関係があるのかな。あるいは,なんか公的な地名に関しては「づ」は「zu」とする,っていう通達みたいなのが出てそうだな。ちょっと見てみたら,東京都のページ発見。やっぱりヘボン式だ「ぢ」「づ」が「JI」「ZU」なんだな。そうか,ぢはZIでなくJIなのか。

北近畿タンゴ鉄道西舞鶴駅 終点駅が好きなのです 車両 車両の中 車窓から見える日本海が美しい

 車窓から見える景色がなんともいえなくていいですね。日本海側って人生でほとんど縁がないので,見慣れてる瀬戸内海と全然雰囲気が違っていて興味深いです。


福知山宮津


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