七戸馬めぐり
さて。どこで書くか迷ったんですが,ここに書きます。
未年ですが,馬の絵の絵馬があります
いやまあ絵馬なんだから
そりゃ馬だろっていう意見もあろうけれど
七戸で馬力大会があるってんで今回七戸に行ったわけですが,この七戸,馬の町です。本当に失礼ながら,全く知らなかった。自分が競馬を始めたころは,千葉の千明牧場が縮小して養老牧場(シービークインがいた)になってたり,シンボリも社台も北海道に移ってたりしたような時代でして,もう北海道が馬産地として一強でした。青森というと,グリーングラスやビゼンニシキなど,抽象的には名馬の産地という知識はありましたが,青森ってったって広いわけで,その中のどこがどうなってるのかなんて気にもとめてませんでした。
で,今回七戸で馬力大会がおこなわれるってんでいろいろ調べた結果(なお,数ある東北の大会の中で七戸の大会に行くことにしたのは完全にタイミングとアクセスのしやすさの問題),七戸というのが日本の競馬史において極めて重要な役割を果たした馬産地であるということを,遅まきながら知るに至りました。いやはや,ほんと不勉強だった。グリーングラスもここだったのか。七戸で馬力大会が開かれるのは年2回。しかも,平成11年に30年ぶりにおこなわれたということはそれだけの中断期間もあったんでしょうから(理由は知らないけど),今の七戸における馬産業の重要度はよく分からんところですが,とりあえず競馬ファンとしては,この七戸という場所を知れたのが今回の旅行の最大の収穫でした。
そんなわけで,午前中で馬力大会を切り上げ,午後は七戸の馬文化の1/10にでも触れようというのが今回の旅行であります。
なお,七戸十和田の周りにはいくつかレンタカー屋があるんですが,今回車を借りたトヨタは駅の反対側で,無駄に歩かされました。失敗した……。
で,東北牧場さんで約束した時間まで若干余裕があるので,最初にいくつかまわります。まずは諏訪牧場。上にも書きましたが,グリーングラスが出た牧場がここにあるとは知らなかった。見学禁止なので,外から眺めて終わりですが,とりあえずグリーングラスの故郷を見られてよかったよかった。
それから,道の駅に寄ります。ここには七戸から生まれた2頭のダービー馬の銅像があります。フエアーウインとヒカルメイジ。
フェアーウインというと(エを大きくするのが面倒になった),ヤマノオーコレヒサフェアーウインという3点セットで記憶されているのではないかと思う次第でして,2着同着で有名なダービーの勝馬であります。七戸のM中牧場の生れ。Mはまゆはまでいいのでしょうか。七戸・M中牧場で検索すると,奥羽牧場の近くの牧場がヒットしますが,ここでしょうかね?
ヒカルメイジはコマツヒカリとともに兄弟ダービー制覇をなしとげ,その後は種牡馬としてグレートヨルカを出すという,もうあの時代においてはスーパーホース中のスーパーホースであります。で,すぐに気になるのは,「コマツヒカリはどこいった」ということになるわけです。コマツヒカリも当然七戸盛田牧場の生まれなのに,なんで銅像ないんですかね。予算の限界だろうか。
道の駅の向かいにあるのが,日本軽種馬協会の七戸種馬場です。日本軽種馬協会の種馬場というと,もうかつてはなんどもお世話になった場所でありまして,いろいろ懐かしさがあります。下総種馬場はもうないんだよな……。今回,東北牧場に行く前に当然東北牧場にアポとったわけですが,牧場巡りのための資料収集とかアポ取りとか,非常に懐かしかったです。七戸種馬場も見学不可ので,外から写真撮っただけ。2015年時点ではサニングデールなんかがいました。
なお,東北の種牡馬というと,この時期話題を呼んでいたのがウインバリアシオン。ウインバリアシオンが入ったスプリングファームはここ七戸に隣接した十和田にあるようです。このあたりの牧場がウインバリアシオンにつけるってことでしょうね。てことは,七戸種馬場からしたらライバルになるわけですから,うかうかしてられんわけでありますな。是非とも切磋琢磨して頑張ってもらいたいものです。
で,最後に,道の駅脇にあった山車の展示館できれいに飾られた山車を見て,東北牧場へ向かいます。
諏訪牧場
フエアーウインとヒカルメイジ
七戸種馬場
道の駅にあった馬のオブジェと遊び場
こんなの作っておいて乗ったらダメってのはなかなかにトラップだな
山車展示館の山車。八大龍王と姫塚伝説。
八大龍王
は雨乞いの神様とのことです。
そんなこんなで,東北牧場へ。
最近は牧場見学というと勝手知ったる
土佐黒潮牧場
ばかりでして(あとはこれも過去に訪問歴のあった
オーシァンファーム
),久々に初めての牧場(完全に他人の土地)に入るのはなかなかの緊張感であります。
で,事務室に伺いますと,ホワイトボードにきちんとNPの名前が書かれておりました。ちゃんと電話が通じていたようで一安心するとともに,待ち構えさせてしまったことへの罪悪感が若干……。なお,なぜかメジロベイリーの話が吹っ飛んでおりましたが,まあベイリーにはそんなに思い入れもないし,これ以上余計な時間をかけさせるのも申し訳ないので気にしないことに。
とにかく,ウイングアローですよ,ウイングアロー。懐かしいったらありゃしない。
アサティス×ミスターシービー。日本のダート競馬の発展期における功労馬の1頭。水沢ダービーグランプリで三冠取り損ねたり,ペリエがG1勝ったり,南井さんの引退〜厩舎初G1への流れとか,JCD初代チャンプとかクロフネにちぎられたりとか,もういろいろ懐かしいです。
ウイングアローは厩舎の奥のスペースに大きめの馬房を与えられておりまして,NPが到達すると,サルの見世物になる代償として?厩務員さんから新しい牧草が与えられました。いや,もしかしたら牧場側がウイングアローがこっちに出てくるようにNP向けにサービスしてくれたのかも知れない。さらにいえば,ウイングアロー側も手慣れていて見学にきた霊長類のためにおいしそうに牧草を食べる実演をしてくれたのかもしれない。真実を知ると不幸になりそうなのでこれ以上は気にしないことにします。
とにかく。背中は若干年齢を感じさせますが,馬体はまだまだ若い。前年(2014年)に種牡馬登録を抹消したようですが,とにかくこのまま長生きしてもらいたいです。
いやぁ,ほんと久々にウイングアローを見られて感激でした。
あらためて,東北牧場の皆様ありがとうございます。
なお,
東北牧場
は馬産業だけではなく,有機野菜の販売などもしているようでありまして,何かの間違いでこのページを見てる方がおられましたら,是非東北牧場さんで野菜を買ってあげてください。そんなこというからには当然おまえ(NP)は買ったんだろうな,という突っ込みはしてはいけません。
続いての目的地は,旧盛田牧場。ここには,登録有形文化財の南部曲屋があります。「まがりや」という言葉を変換しようとすると,「間借り屋」がさきに出てきます。居候ですな。
くだらない話はさておき,曲屋とは,
ここ
によると,人の住む母屋と馬の住む厩とが一体となってくの字になっている建物ということのようです。雪の多い地域で,簡単に馬を見に行けたりする利点があったのではなかろうかと。盛田牧場は大量に馬を飼育している牧場なので厩部分が長いですが,東北地方の曲屋はこういう場所に限られず,同程度の広さの建物もあったようです(
岩手の例
)。
で,この盛田牧場の厩舎と馬頭観音が現在は有形文化財として登録されており,第一号厩舎がこのたび修復されたということであります。
とはいえ,曲屋は所詮曲屋ですから,訪問者なんて少ないだろう,と舐めてました。びっくりです。さすが,トサミドリを輩出した旧名門牧場。びっくりするくらい人がいました。牧場に入る狭い道でもすれ違いを余儀なくされます。さすがヒカルメイジ・コマツヒカリのふるさと。
……もちろん,観光客の関心はそんなところにありません。どうも,ここにあるジェラート屋さんが有名らしく,みなさんここを目当てに来ているようでした。そして,広場で子供が遊ぶことができる仕組みです。
盛田牧場は,
Wikipediaの記事
を見れば一発で分かるとおり(見るまでよく分かってなかったのだが),青森産馬が強かった時代にその青森の馬産を支えていた名門牧場でありまして,すでに触れたヒカルメイジコマツヒカリ兄弟やトサミドリを筆頭に,クラシックホースを多数出しております。まさに,ザ・名門牧場といった感じですね。
南部曲屋は人の住んでいたと思われる母屋部分が簡単な展示施設になっておりまして,厩部分は立ち入り禁止でありました。まあ,皆さんの関心は文化財の曲屋よりもその向かいに放牧されている馬にいっておりました。
で,ジェラート屋の存在なんて知らなかったんですが,とりあえずみんなそっちに向かっているので向かってみて,こちとら甘いもの大好きな下戸ですからジェラート食べました。そもそも,ジェラートとアイスクリームの違いも分かってないレベルでジェラートについて語るのもおこがましいんで一言で感想を。おいしかったです。酷い感想だ。
盛田牧場第一号厩舎
厩の入口
その脇にある厩舎
これもなかなか趣ある意匠
その前にあったゲート
今も使われてるのかな?
その向かいには馬が放牧されておりました。どういう用途で生まれた馬なのだろうか
トサミドリ
その他展示物
ヒカルメイジ
……コマツヒカリって
本当に影が薄いな
かつての姿
2013年にリニューアル
厩舎方向
外を見る
馬具
母屋方向
ここに住んでたんですね
狐がいるので多分稲荷神社
文化財の馬頭観音とは違うはず
ジェラート屋
乳搾り体験
なかなか衝撃的な姿です
先にシングル・ダブルの
チケットを買ってから
注文する方式です
ジャージーのシングル
そんなわけでして,繰り返しになりますが,七戸の馬文化の欠片を味わうことができたのが今回の旅行の最大の収穫でした。
このあとは,今回の旅行のシメとして,レールバスの跡地を見て風呂に入ります。なお,かつてはレールバスに「盛田牧場」という駅があったようでして,その跡地を探るのをすっかり忘れていたと共に,レールバスの駅ができるレベルの牧場ってことで,本当に盛田牧場は七戸で大きな影響力を持つ名門だったんだな,というのが分かります。
跡を継いだ金子ファームは
ホームページ
によると肉牛の肥育牧場であるとのことです。もうこれ以上馬の生産はしないっぽいな。今いる馬で終わりなのかな。
東北馬力七戸大会
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レールバス
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