幸福のシンガポール

 11月2日です。フルに使えるのはこの日が最後。
 とりあえず、午前中はお仕事なので、しかるべき場所に移動します。

まったくピントが合ってないけどLittle India駅構内 地下鉄禁止事項
ドリアンはさておき、
飲食完全禁止です

 自分のメモによると、昼もインド料理を食べたようですが、写真が残されておりません。ううむ、なにゆえ記録を残さなかったのか……。ちなみに、雨宿りのために向かったスタバの写真も残されていませんでした。
- 事務所訪問。昼はインド。なんかシンガポール来てからの方がインド料理食べてないか
- のち最高裁。撮影禁止。ほかの審級も入ってるな
- 雨
- 雨宿りできる場所求めてさまよう
- スタバへ、
 そんなわけで、自分の記憶では前後関係がぐちゃぐちゃになってましたが、最高裁にも行ってました。この辺りの記憶は2024年5月のシンガポール旅行で完全に上書きされており、行って何をしたのかも記憶からぶっ飛んでましたが、とりあえず入場時の手荷物検査でカメラを預けることになったのは2016年も2024年も変わらないと思われます。
 それにしても、最高裁全景を撮ったりしてないのは、天気が悪かったからだろうか。これ、今年行ってなかったら本当に最高裁かどうか分からなかったぞ。よく見たら入口の上に書いてあるけど。

国会 最高裁外観

 シンガポール国立博物館
 とりあえず、近くにあった国立博物館へ向かいます。当時のメモは以下の通り。
- 博物館。10
- 序盤が薄い割に日本統治下がやけに大きい。が、実はそこまで史料が多いわけではない。各民族が一致団結できる素材が日本ということか
- でもまあ、過度に被害をアピールするわけでもなく、比較的淡々と。被害アピールよりも、どうまとまったかの話だな
- マレーシアからの独立も歴史忘れててきつい。
- 時間切れで二階に行けず。雨め。
 そんなわけで、博物館入場料は10ドルだったようです。
 なお、入り口前の船?化石?は、2024年時点ではなくなってたような気がするんですが、どうなんでしょうか。あれ、でも今回博物館前歩いたっけ。勘違いかな?でも、今Google Map見てたら、2018年時点で既になくなってるように見えました。

国立博物館へ 外観 船かと思ったら、化石でしょうかね?

 細かいことは気にせず、博物館内へ。すいてました。国立博物館ってのはメジャーな観光地じゃないのでしょうかね??

 そして、例によって撮影OKなのをいいことに色々と写真を撮ってはいるんですが、今さらそれを見てどうなるのか感満載な状態です。とりあえずだらだら復習がてら見ていきますが、上のメモにもあるとおり、やっぱり気になるのはシンガポールのマレーシアからの独立話。下を見る前に、Wikipediaのシンガポールの歴史を読んでみます。

 まずはシンガプーラ期。Wikipediaによると、サンスクリット語で「ライオンの町」を意味するとのことです。名前の由来には諸説ある、と書かれてますね。それにしても、ライオンってこの時代にそんなにメジャーな動物だったのか。完全にアフリカンな動物だと思ってた。

SINGAPURA 港町の様子の展示 シンガポールの名称
14世紀のGold earrings and armlet Lead figurine
Sejarah Melayu(The Malay Annals) The Forbidden Hill Coming of the Europeans

 続いてCROWN COLONY。

CROWN COLONY Rental ReceiptとNotice of Public Sale Port City
Dr Lim Boon Keng(林文慶) William Pickering illustration of initial ceremony and chants
Modern Times Cheng Fong Girl's School Fundrasing and General Publication 小学校の教科書 Tan Kah Kee and
Chinese schools
The Kreta Ayer Incident
(牛?水事件)
→の解説 1925年2月24日の
孫文のポートレート
1906年
孫文と支援者
1927年
孫文全集
The Rioting at Singapore

 そして、聞き覚えのある響き。昭南島。これくらい一発で変換してくれATOK。
 華僑が支配するここシンガポールで果たしてどんな展示が出てくるか。

 というわけで見ていくと、日本への悪意を煽ることもなく、逆にMamoru Shinozaki氏(篠崎護氏)についての展示がしっかりしているなど、「日本軍を悪者にして国民統一を図る」という空気はなし。他方で、やはり華僑の国だけあって中国人がどのように団結したかという空気感、そしてインド系の人も多い国だけあって、シンガポール人がインドの独立のために戦った様子などが展示されており、純粋にシンガポールのナショナリズムを高めることに特化した展示のように思いました。
 まあこのあたりの感じ方は人それぞれでしょうし、展示内容も時とともに変わるでしょうから、今行ったらまた違う展示になっているのかもしれません。残念ながら2024年の旅行では国立博物館はスキップしました。
 なお、篠崎護氏は英語のウィキペディアも非常に充実してます。ちょっと掘り下げてみたい人だな。本も読みたい。

昭南島
初っぱなから、まあ日本の悪口は出てきますよねえ
RMS Empress of Asiaの碇
エンプレスオブアジアはWikipediaによると
「英領マラヤへの増援部隊を運んだ輸送船の中で、唯一の空襲による喪失船」
とのことです
The Battle for Malaya Type 95 Ha Go Japanese Tank(九五式軽戦車 Japane Army on the March
当初はモラルは高かったと明示されています
Type 38 Arisaka Rifle(三八式歩兵銃)と酒瓶 日本兵の服装
Type 94 Nambu pistol(九四式拳銃
Table of the British surrender Japanese vs the Allies
1942年2月15日 The Fall of Singapore The Boardroom of Ford Motor Factory
The Japanese occupationとThe Sook Ching
主として、シンガポール華僑粛清事件についてですね
Changi Prison cell door
様々な展示物
Life as an allied POW
(POWはPrisoners of war)
日本軍は食料と薬を提供したが
十分な量ではなかった、と
Elizabeth Choy
憲兵隊のことを
”Kempeitai”と呼んでます
Elizabeth Choyの服とネックレス
Mamoru Shinozaki氏が
多くの人民を救ったとのこと
さらに、インドの独立のために
多くのシンガポール人が
戦った(戦わされた)ようです
Mamoru Shinozaki氏についてと、その写真
篠崎護氏のWikipediaをみると、スパイ事件やらなんやら、
色々と活躍した人であることが分かります
OCA(Overseas Chinese Association)
日本軍の戦費調達のためにお金を集めたようです
INA(Indian National Army) Rasamma Navarednam。女性としてINAに参画して活躍したようです
チャンドラボーズとJohn Jacob

 そして、戦争終了。
 バックボーンになるこのあたりの歴史的事象を理解してないので、読んでも通り一遍のことしかイメージがわかない。これは完全にこっちの勉強不足。
 それはそれとして、暗いのに無理に写真撮る必要なかったな。

The End of Japanese Occupation
7人全員の死刑を求めたが……という流れからの
"blood debt"という言葉
展示が暗い
後ろにあるのが日本軍降伏後にはためいた英国旗
降伏したJapanese officerの刀
特に誰のものかは不明
シンガポール華僑虐殺事件の裁判に際して掲げられたトロフィーとのこと
ちゃんと読んでないので、なぜここにトロフィーが出てくるのか分からんぞ
連合軍勝利を告げてばらまかれたリーフレット
04が投降し捕虜となった日本兵、05がヴィクトリーパレードに出る市民、06がイギリス軍
反日本軍として戦ったマレー人のReunionの写真

 そして、日本統治の時代が終わり、独立に向けた動きへと繋がっていきます。ここにきて、”Singapore"の文字が登場です。
 とにかく、シンガポールの歴史をしっかりと理解していないので、ぶつ切りに展示品を見ても特別な感想が浮かんできません。ううむ、ちゃんと勉強しないといかんなあ。

Singapore Rallies and Riots 初代Chief Minister、David Marshall
のInstrument of Appointment
Let the People Know David Marshallの
パイプとパイプスタンド
展示の様子 タミル語による反共産党の宣伝ビラ 05がLam SweeからMCP(Malayan Communist Party)への手紙
06がジャワ語で書かれた共産党ビラ
暴動時警察のturret bell 共産党宣言 Lim Yew Hockが
シンガポールのChief Ministerに
Labour FrontによるLim Yew Hockについてのリーフレット イギリスから自治を守るための
Lim Yew Hockの職務に関する書面
左がシンガポール人民同盟についてのマレー語の本
右は英語によるシンガポール人民同盟についての本
1959年の投票券 1963年Malaysia Solidarity Dayのリークワンユースピーチ
演壇 Merger and Separation
国民統合のためのマレー語の重要性と、マレー語教本 National Language Month Medal これも教科書
The Battle for Merger Merger and Future The Battle for
a Malaysian Malaysia
Merger and our Rights
Konfrontasi A Nation in the Making パスポートとIDカード
S.Rajaratnamの椅子や万年筆などの私物
日本語Wikipediaがないですが、初代シンガポール外務大臣ですね
Singapore Constitution Expositionの記念プレート
"Singapore Constitution Exposition"については、
あまり明確な日本語の解説が見つかりませんでした
どういう博覧会だったのだろうか
Symbols for a New Singapore Mace of the city of Singapore

 と、いうわけで、シンガポールでの予定を全て終了させました。

 このあとの行動は何一つ覚えてませんでしたが、メモが残されておりました。それにしても、これだけ読んでたらスタバ大好き人間みたいに見えますね。
- 歩いてホテル、体制整えて夕食。
- 全部で9.20。チキンライス小さくない?これで4かー。最初が当たりだな
- スタバで時間潰す
缶コーヒーがあるのが嬉しい 日本語が載った商品が増え
日本が近付いてるのが分かります
コーヒーの自販機 チキンライス


 そして、いよいよ最終日を迎えました。長かった1年ちょっとの旅も終わりを迎えます。何も記憶していないので、例によってメモを頼ります。当日のメモは以下の通り。
- 最終日。
- 雨。タクるか迷ったが、駅まで歩く。まあなんとかなる
- 電車は途中から地上。地上にでるとホームのエアコンなくなるのがつらい
- チャンギはゲートに荷物検査があるのか。時間の予想が難しいからイヤだな
- ANAに乗る。日本語が最初。ひさびさのtravelling note。頭を使った優先搭乗
- まだ10月なのに夜六時で外が真っ暗なのか
 最後は全日空で帰ってたんですね。懐かしい。
 全日空といえば、私は出発前のCAさんたちの"doors for departure"という合図が好きだったんですが、このころに普通の直接的な確認合図に変わってしまいました。どういう経緯があったのかは知りませんが、個人的には残念です。

電車が乱れた場合の行動 またこれを撮ってます
よほど気になったのだろうか
乗換のTanah Merah
エアコンが効いてないのがつらい
チャンギのターミナル2に到着
この日の出発便 空港の様子 パタパタ式出発便
写真的にはこっちの方が
写りがよいですね
ANAカウンター ゲートまで10分以上かかります

 そんなわけで、羽田空港から立川までバスで移動し、自宅に戻りました。
 今でも覚えているのが、立川で「日本は美人が多い」と感じたこと。通る人通る人美人に見えました。まあ、美人は3日で慣れる、との言葉通り、今では別に「通る人通る人」という感じではなくなったんですが。

 このあと、11月12日の高校の同窓会に出席(これに合わせて帰国したのでした)。お疲れ様でした。

眼福のシンガポール

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