ヒロノシュッケイ

 広島県立美術館から、縮景園には直通の出入り口があります。というわけで、縮景園へ。
 縮景園に行くのは一体何年ぶりなのか、自分でもまったく分からないのですが、自分の写真データが残っている2010年以降、ここを訪れたデータが発見できないので、短く見ても2009年以来8年ぶり。これを書いている2022年3月から振り返ると、既に干支が一回りしています。縮景園についての記憶は、みんな大好き西湖堤と、嫌でも視界に入ってくる周囲の高層ビル。その高層ビルを移さないように苦心したことがよく分かるホームページ。この3つであります。それ以外の記憶はビックリするくらい消え失せております。

 そんなわけで、フレッシュな気持ちで縮景園に入ります。


 縮景園というのは、読んで字のごとく、各地の景勝を聚め縮めて表したことを意味するわけですが、Wikipediaでは「あるいは中国の西湖周辺の風景を縮めて表したことによると言われる」との記載があり、2つのページが参照されております。が。この2つのページはすでに削除されており、現在の縮景園の歴史のページを見ても、「中国の西湖周辺の風景を縮めて表したことによる」という部分は発見できません。というわけで、名前をつけた人がどこまで意識していたかは謎であります。まあ、結論として当時の日本の池泉回遊式庭園が西湖の影響を受けてたことは間違いないのでしょうが。

 そして。今更ながら自分的発見。「縮景園」は「しゅくけいえん」でなく「しゅっけいえん」でした。撥音なのですね。

 園内に入り、まずは美術館側を眺めて、右回りに回っていきます。

美術館前芝生広場 御前水井戸 松とこも巻 灯籠 馬場。調馬場と名付けられています
州浜 その辺りからの眺め 夕照庵 州浜と夕照庵
意識してなかったけど、州浜の右手の石組みに
ちょっとしたこだわりがありそうですね

 石については全然注目してなかったんですが、改めて見てみると色々とこだわりが感じられますね。

御腰掛なば石。「なば」とはキノコのことのようです。確かにキノコに見えますね。これは面白い

 小川。若干赤さびのような色になってるのは興味深いですね。


 明月亭は工事中。


 そして、そのまま歩きます。手前の亀島?が気になります。

白龍泉 積翠巌。島にばっかり目がいっていて、積翠巌の存在真面目に見てなかった。
島に並ぶ3枚の石組がそれですね
島嶼の案内
島は

 池の景色はいいのですが、どうしてもビルが目につきますね。


 大名庭園といえば築山です。まず登場するのは祺福山。


 そこから、西湖堤となっている跨虹橋を渡ります。
 完全に記憶から飛んでましたが、跨虹橋の出っ張り部分は登ることができず、迂回路が用意されております。

跨虹橋
迂回が必要です
跨虹橋から西方向 跨虹橋から東方向 広島といえば鯉
エサを求めて集まってきます

 自分のことならば8の字に歩くこともあり得るんですが、どうも跨虹橋は折り返して元の池の外周ルートに復帰したようです。
 悠々亭は、いかにも現代人が後付けでつくりそうな建物ですが、天明の大改修時に当地に移転したものですので、元からあったもののようです。

池の北東部分の様子。岸の作り方が人工的な曲線形状で、西側の州浜とは違う雰囲気です
悠々亭 悠々亭から、ぐるっと見回します

 そして、築山パート2。臨むえい岡に登ります。この手の看板は常用漢字でなくとも漢字を載せてくるイメージでしたが、「えい」とひらがな表記です。一体どんな字を書くのだろうと思って検索してみたら、見つかりました。「臨瀛岡」という字を書くようです。「瀛」というのはさんずいなことからも想像がつきますが、大きく広い海等の意味を持つようですね。大きく広い海に臨む岡、という、まあ分解したらなんてことない名前に鳴ってしまいます。
 なお、よく見ると日本語の解説と英語の解説はちょっと意味が異なっていて、英語解説だとここから弥山を見ることができたから「臨瀛岡」という名前になった、とされています。文字を考えると日本語解説の方が正しそうだけどなあ。
 かつてはここから宮島弥山を見ることができたとのこと。いやあ凄い。


 続いて、慰霊碑や、その他の建物。当地からもなんと64体ものご遺骨が発掘されたとのこと。池の水を求めて逃げてきたのか、それともここで何か作業していたのかは分かりませんが、改めて数字を見るとなんと恐ろしい・・・・・・。

原爆慰霊碑 十王堂と、その脇の石仏。
石仏は頭が堕ちてしまったのでしょうか・・・・・・
のぼっていきます
大銀杏。原爆後から生き残ったとのこと。凄い生命力 看花榻。かつては下の六角形の台座は回ったようです

 そして、そのまま山を登っていき、縮景園の最高点、迎暉峰からの眺めとなります。
 富士山を縮景した、ということで、富士山から西湖堤を見下ろせるのは庭園ならではの景色となります。解説には、城の天守閣的な意味合いもあった、という説明があります。これまでそのような解説は見たことが無かったので、結構ビックリな説明でしたが、いわれてみればそうなのかもしれません。
 真正面にそびえるビルのせいで縮景園の象徴的な景色としてここが出てくることが多くはないように思いますが、ここからの景色は素晴らしいと思います。


 続いて、大名庭園にありがちな当主に色々学ばせてあげようのコーナー。

香菜圃。3種のお茶が育てられているようです 桃の木の植栽 これは解説なし
薬草園。小石川薬草園の協力で復元中とのこと ソテツ

 再び、池のまわりを歩きます。背後に臨瀛岡や迎暉峰が見える景色はよいですね。案内図によるとこの辺りは銀河渓というようですが、案内板は発見できず。銀河系軍団の活躍を見て、後世になってからつくられたのかもしれません。
 三角形の入り江と、背景の迎暉峰の姿はなかなか見ないもので、特徴的かつ美しい。この角度だと背景にビルが来ないのがいいですね。


↑この景色が素晴らしい!!

 迎暉峰~銀河渓、橋まわりを抜けると、広々とした景色に戻ります。

手前の亀島が亀亀していてよいですね これは色々な庭園で見る風景 ザ・縮景園の風景

 そして、外から入ってきた場合にはここから見ることになる、というゾーンへ。

ソテツなど。火が燃えているようにも見える 寒がりな木 しだれ桜かな?
清風池まわり 清風館 灯籠

 中心となる濯纓池の解説はここにあります。まあ、正門から入ったらまず池の解説を見せたいですよね。

濯纓池の解説 跨虹橋から東側 跨虹橋を越えた先の景色
この角度から見ると、奥の方の3枚の岩が非常によく見えます 流川

 そして、楊貴妃型石灯籠。三日月が、なんとなくウインクしてるように見えました。

楊貴妃型石灯籠 萬歳手水鉢
超然居への赤い橋がいいアクセントになっております
超然居からの眺め

 最後に若干の小物の解説。こけら葺きの「杮」が環境依存文字だと忠告を受けました。なんと、そうだったのか。

灌花井 杮葺きの解説

 そんなわけで、一周し終えました。池周りの景色はそこまで特徴的なものではないのですが(ここまでくると特徴的な池周りの景色とはなんぞや、というレベルではある)、迎暉峰からの景色、あるいは迎暉峰を奥に見た景色は素晴らしいものでした。これは写真整理してて気付いたことで、現地ではどこまで意識してたかはちょっと記憶にないのだけど。いやはや、いい発見でした。是非また行きたいですね。

ブータン展in広島

旅行記TOPテーマ別