イブキチクブ

 長浜というと,旧今浜。羽柴秀吉でおなじみです。その後,賤ヶ岳の戦いの前に柴田勝豊が秀吉に寝返ったことで形勢が大きく動いたことでも知られております。
 近くに友人が住んでいるので,東京から2名で乗り込んだのでした。今回の登城人物は白馬とは関係ありません。

 長浜はやっぱり秀吉大好きです。大河ドラマ大谷吉継が実現すればもしかしたら吉継推しが始まるかもしれません。大河ドラマ柴田勝家が実現した場合にどうなるかは怪しいところですが。養父に疎まれた悲運の名将柴田勝豊として丸岡城とセットで盛り上がるかもしれません。

 それはそれとして。長浜の駅では太閤様の絵がお出迎えです。まずは駅の裏にある琵琶湖にご挨拶。自分1人だったらこのまま長浜城に直行するのですが,今日のメンツはそっちに興味が無いので逆方向に進みます。

長浜駅の太閤様 琵琶湖

 さて,ここ琵琶湖の東は飛び出し坊やのメッカです。今回の同行者はこういうのが大好きなので,ちょっと遊んだりもしました(時系列若干いじります)。今の長浜の商店街は思ったよりも活気があり(元々のハードルの低さと,週末だから,の可能性は否定しない),街歩きを楽しませてもらいました。

町の様子 牛男 飛び出し坊や 逆側から ぶつかってみる この四つ角で飛び出してきます アーケード入口

 で,しばらく歩いていたら怪しいスポットが登場。「出世太閤」の像があったり,「日本一竪型万華鏡」なるものがあったり。なんだなんだ。何が始まったのだ。
 ここの太閤像は,秀吉にしてはふくよかな雰囲気の像です。ただ,猿っぽいのは間違いなく(ニホンザルよりもチンパンジーとかゴリラとかに近い雰囲気はある),馬も含めて作者の愛情と思い入れが忍ばれる造形になっております。
 万華鏡に「設置 黒壁グループ協議会」と出てきます。これを書いているのが行った3年後(2020年2月末)で,黒壁の話を完全に忘れていました。ここ長浜は黒壁で有名なのです。検索してみると,黒壁スクエアのページに解説がありました。元々は当地にできた第百三十国立銀行長浜支店の壁が黒かったことから黒壁銀行と呼ばれたのが発端で,建物が転々譲渡されて第三セクターの株式会社黒壁へ。この会社がガラス事業を展開し発展させたのが今の黒壁ガラス館の姿である,とのことのようです。
 また,この万華鏡に出てくる日本万華鏡倶楽部と日本万華鏡博物館,博物館はサイトを発見(倶楽部はURLの残骸のみ)。いずれもなんと埼玉県川口市の大熊さんというかたが主催・運営されているようです。長浜かと思ったら,まさかの川口でした。この大熊さんという方は,マツコの知らない世界にも出演されたようですね。万華鏡というとすぐに相川七瀬の歌とThe Kaleidoscopeというバンドが浮かんでしまうお年頃なのではありますが,一家に一本はある玩具で,その不思議な世界に魅了される人は少なからずいて当然だよな。だからこそ「万華鏡」という言葉は広く知られている訳で。2020年の時点で万華鏡についてこれ以上深く調べることはしませんが(沼が深そうで危険な香りがする),今後はちょっと気にしてみようと思います。
 あと,出世太閤像についての説明を探している過程で(結局2分くらい検索しただけでは出世太閤像については制作者や制作経緯を発見できず),長浜には長浜タワーという泣く子も黙るB級スポットがあることを知りました。ううむ,見なかったのは失敗だった。今度長浜城を攻めるついでに見に行こう。

出世太閤像
太閤様の前にいる木像は,もしかして浅井三姉妹?
体験広場 万華鏡

 さてさて。海洋堂の店に立ち寄ったりもしながら,続いてはお昼です。一人行動しないとこんなに真っ当な観光客をすることになるのです。
 ところで,顔出しを見て思い出しました。長浜と言えば石田三成でした。三成さんは長浜生まれだったな。大谷吉継とか言ってる場合じゃ無かった。言ってる場合,とかいうと吉継に失礼か。大河ドラマ大谷吉継よりは大河ドラマ石田三成の方が現実味がありそうだし(柴田勝家もきついだろうな),そりゃ推すならこっちだよな。三成のWikipediaによると,三杯茶の逸話の舞台となる寺院も長浜市内にある説もあるみたいですね。

 そして,昼は長浜名物の焼鯖素麺。Wikipediaもあります。鯖と琵琶湖というと,鯖街道の存在が浮かぶところですが,鯖街道は琵琶湖の西岸を進んでいるので,長浜は関係ありません。なお,今回鯖街道のWikipediaを見たところ,「鯖街道」の名がついたのは近年(しかもいつからか不明)とのことです。まあ,別にすべての鯖が京都に送られていたわけではないでしょうし,長浜の方が若狭の港に近いと思うので,当然長浜にも相当量の鯖が送られていたと考えられるところです。
 あとでお店の方に聞いたところによると,鯖はもちろんとして,素麺も保存食として使われていたようです。非常に素朴な味で(←覚えていないときに使う表現),大変おいしくいただきました。


 さて,午後は竹生島に向かいます。竹生島は大河ドラマの江の序盤(まだ見てた頃)に出てきた記憶があります。まあ,それとは関係なく有名な島でありますね。琵琶湖に浮かぶ島に寺院がある,という光景は美しいものがあります。非日常感がよいですね。そして,土曜日の午後ということもあり,そこそこ大きめの船が用意されており,船に乗るための参拝客が行列をつくっております。
 船からは,雪をかぶった美しい山が見えます。おそらく,伊吹山だと思われます。伊吹山は,かつて佐和山城に行ったときに周囲の山岳愛好家の皆様が伊吹山を見て声を上げておられたのを記憶しております。この美しさを見ると,そりゃ伊吹山を見て興奮するのが分かりますな。

 あと,今回乗ったべんてん号はそこそこ大きな船です。というか,今まで意識したことがありませんでしたが,湖にはそこそこ大きな観光遊覧船がいます。こいつら,どこで作られてどうやって湖に浮かぶようになったんでしょうか。こんな船,1回つくったら数十年は次の発注は来ないだろうし,果たして造船所はどうなってるんでしょうか。
 今回のべんてん号は,どうも大津市にある杢兵衛造船所という造船所で建造されたようです。Wikipedia記事も用意されており,琵琶湖の観光遊覧船もここで建造されたみたいですね。Wikipedia解説によると,他社でブロック建造したものを陸送してこちらの造船所のドックで組み立てて大型船を建造したようです。凄いな。それにしたって,大型船の発注はそんなに頻繁に来るものじゃ無いでしょうし,経営を成り立たせるのは大変な気がします。

観光船乗り場 行列ができています べんてん号 べんてん 降りるときに撮った船内の様子
窓越しに見る伊吹山 外に出てみました 航跡 外から見る伊吹山 竹生島が近づいてきました 伊吹山が遠ざかる
社寺が見えてきました 角度が変わります ここに来て五重塔が見える 伊吹山も遠くなりました ありがとうべんてん

 そんなわけで, 無事上陸しました。船はそこそこの客入りでしたが,まあ船からしか上陸できないので参拝客の数はたかがしれております。土産物街もそこそこ,という感じで,古き良き日本の観光地でありました。この竹生島は名勝指定もされているようです。イブキからのメイショウです。


上陸! びわこ国体
竹生の火採火地
句碑 ぱっと見威圧感のある階段 名勝及史跡竹生島 土産物街に切符売り場 びわ湖観光案内図
まだ競輪場がある時期に
描かれたものだと思いますが
競輪場も競艇場も載ってません

 階段を上っていきます。「竹生島神社」の鳥居がお出迎え。そして,次の鳥居は宝厳寺の山号である厳金山の額がかかっています。平成の世の中においてもなお神仏習合している,ということなのかもしれませんが,なんとなく商売上一緒にやっている,という感じなんでは無いかと思った次第。さっき買った拝観券収入は果たしてどこにどのように支払われているのでしょうか。法人格的には神社は神社庁ですよね?
 ちなみに,この竹生島の弁天様は「日本三大弁天」の1つのようです。Wikipedia記事によると,特段ここには争いがなさそうで,しかもここ竹生島には年1回江島神社と厳島神社から神官がやってきて三社弁才天祭がおこなわれているようです。つまり,トップオブ弁才天,がここ竹生島な訳ですな。なお,検索してみると,一部には奈良の天河神社と江島神社とが入れ替わって三弁天とする説もあるようで,天河神社のホームページにおいても,「日本三大弁財天の一つ」という表現がみられます(ソースを確認しないと駄目っぽいが)。とすると,竹生島でおこなわれる三社弁才天祭というのはなんなのか,天河神社からしてみたら「三大弁財天」を名乗るために竹生島に魂を売った神社の集まり,ということになるのかもしれません。なお,天河神社のWikipediaは江島派の執筆者が書いたようで,天河神社の三大弁天入り説には疑義を呈しているようです。
 なお,ぱっと見の階段には圧迫感がありますが,のぼってみればそこまできつくはありません。メタボの私ですらこれなんだから,一般の参拝客の皆様にとっては屁でも無いのではなかったかと思うところです。

竹生島神社の鳥居 厳金山の鳥居 こうして下を見ると
結構のぼっている
本堂 重要文化財指定されている
宝厳寺五重石塔
お不動様 五重塔 天狗堂 モチノキ 年季の入った案内板
瑞祥水 観音様 竹生島流棒術発祥の地 国宝唐門は工事中でした
頭上と足下に注意
邪気というよりは
ばい菌が襲ってくるっぽい
びんずるさん 重文観音堂 重文の渡廊。足組は舞台造というらしい
「国宝」という案内が出ているので,いわゆる旧国宝なのでしょうか
竹生島神社の解説。工事中なので見づらい 下を見る 三弁天紛争を回避するため,ここには
五弁天で案内が出ておりました
厳島と江島を脇に従えます
白巳大神 脇の綺麗な石 渡り廊下の下の足組
なんか分からないけど美しい

 そして,かわらけ投げで運試し。一人だと絶対やりませんが,友人と来ているとやってしまうのです。こういうちょこっと楽しめるイベントが用意されているのが古き良き日本の観光地なのです。
 ちなみに,私は無事鳥居を通しましたが,何を願ったか忘れました。こういう場所では身体健全しか書かないはずなので,多分身体健全だと思いますが……。

まずはお祈り ルール かわらけ 船から見えていた鳥居
瓦が割れて地面が白い
友人が投げています
ちなみに,横手投げだと狙いを定めづらいので
投げ方としてはあまりおすすめされていないはず

 そんなわけで,竹生島を満喫したので本土に戻ります。
 さらば竹生島!!

船が待っている 人が少なくなりました 船に乗ります 遠ざかる竹生島

 てなわけで,この日の行動は終了。友人は割と時間に余裕を見て行動するタイプなので,ギリギリまで何かをしたりはしないのです。健全ですね。
 帰りに,地元の友人に滋賀名物サラダパンをおごってもらいました。まあ,ぶっちゃけ,想像を超える味でも下回る味でもなく,面白みという点では若干がっかりでしたが,裏返せば調理パンとしては普通においしい味です。もっと広まっていいとは思います。

サラダパン 買うときがピーク!
なおみやげ
ふなずしキャラメル
堅ボーロ
職場では人気なかった

 で,健全な旅をする友人に対し,不健全さ満点な生活を送るNPは,玉野経由でみかんの国に帰るのでありました。


玉野競輪へ


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