ヴィヴィっと諫早

 このたび,Vファーレン長崎がJ1に昇格しました。
 せっかく(直線距離的には)長崎に近い場所に住んでいるので,乗り込むことにいたしました。チケットは最初はいったん売り切れたものの,どうも復活したようです。いまいち販売ルールが分かりませんが,気にしないことにします。

 で。例によってフェリーで小倉に乗り込み,そこからバスで博多。からの,諫早です。諫早バスターミナルに行くのは何年ぶりだったっけか……。長崎に入るときは毎回諫早に立ち寄ってる気がしますな。多分気のせいだけど。

博多バスターミナル
こんなに綺麗だった記憶が無い
本諫早駅 ファミコンハウス
久々にファミコンという
単語を見た気がする
商店街
Vファーレン長崎の幟が出てました

 とりあえず,近場の神社にご挨拶して,御書院に行こうと思ってたんですが,トイレを求めて図書館に立ち寄ります。図書館にもVファーレンの幟。これ,確か長崎にスタジアム建設の予定あったと思うんですが,長崎に移ったら空気感どんな感じになるんですかね……。

八坂神社 諫早図書館脇の幟 図書館内
日本に西洋式活版印刷を持ち込んだ
コンスタンチノ・ドラードさん

 で,続いて御書院。龍造寺家晴期につくられた大名庭園であるとのことです。龍造寺家晴というのはいったいどこの龍造寺なのか,というのが気になるところですが,ここを見る限り,みんな知ってる龍造寺隆信政家親子からは少し離れた血筋のようです。
 ここは,諫早高校の敷地内にあるようで,かつては一般開放されていなかったようです。今は,一般開放されていて,無料で立ち入ることができます。太っ腹ですな。
 そして,諫早高校の敷地内ということもあり,「卒業記念」の石碑が建っております。これは,石碑それ自体が記念なのか,下に埋めたのか背部にある石灯籠等が記念なのか,ちょっと部外者には分かりかねます。まあ,こんなのは本人が分かればいいことです。

 素人的には,奥側は若干暗めで外もあるのでごちゃっとしておりますが(住宅地内にあるお庭なので,そのあたりは仕方がない),太鼓橋を含んだ景色は美しい。最近日本庭園に行ってなかったから,久々で新鮮だった,ってのもあります。

入場門 解説 ルール 卒業記念

 続いて,諫早城を目指します。前に諫早城に行った際は雨が降ってて大惨事だったような遠い記憶があるのですが,果たしてその記憶はあっているのかどうか……。
 諫早城といえば,その麓にある高城神社。灯籠の上に鯱が乗っているのが特徴的ですね。
 ちなみに,このあたりまでくると,レッズのユニを着た方が増えます。アウェイの地でレッズユニ着た方に会うと心強いですよね。

鳥居 鯱が乗った灯籠 こっちは逆光 入口の狛犬
こっちは横尾覚馬の手によるもの
手水舎
  
境内 本殿下の狛犬
藤原辰五郎,横尾覚太夫によるもの
拝殿 解説板 若杉霊神と表義碑

 さて,すぐそこに登山口が見えているだけに,はやくお城に登りたくなるところではありますが,その前に眼鏡橋です。眼鏡橋といったら長崎と諫早。日本三大眼鏡橋のうちの2つがここ長崎県にあるのです(今適当につくった3大○○なので,本気にしないように)。まあ,石橋では日本で初めて重文指定されたようなので,大きくは間違ってないでしょう。

小野用水 ほたる茶屋 眼鏡橋解説板 眼鏡橋 蛍塚 諫早家顕彰碑

 このあたりは公園的役割も果たしており,桜が咲いておりました。まあ,ソメイヨシノではないし(片方は小垂れ桜。もう片方は分からず),花見という感じではありません。皆さんもあまり桜には興味なさげ。
 あわせて,レプリカ眼鏡橋。どういう目的でつくられたのかはよく分かりません。



 というわけで,周辺の観光は終了。諫早城討ち入りの準備は整いました。
 桜馬場を抜け,大手門へ向かいます。
 あ,「桜」って文字がついてることに今気付きました。でも,さっき見た桜(現存する桜)が桜馬場の名がついたときからあったかというと,多分違うだろうな。どうも,「馬場」という響きからくる一本道のイメージではなく,武者だまりという名前からも分かるとおり,このあたりの広場全体が桜馬場だったっぽいな。
 大手門は,今は跡形もありません。というか,諫早城はいったいどこまでが跡形で,どこからが後世の公園のためにつくられたものなのか,さっぱりであります。
 そして,大手門から入って階段を上っていくと,折坂虎口。虎口の先を狭く急な坂にすることで,防御を固くしたようです。現在は,右手に上がる階段道と,まっすぐ抜ける道があり,このまっすぐ行って山の周りをぐるっと回るような帯曲輪的な道はあとからできたのではなかろうかと思う次第。

諫早城案内図 桜馬場 ここから大手門へ 大手門 折坂虎口 急坂をすすみます

 んで,急坂(現在は階段)を登り切ると,さらにゆる〜く坂道を進むことになります。あえてこういう坂の緩急をつくったのか,公園化する際になにかしたのかは不明。
 で,東の丸に到達。
 なかなかに大きい曲輪になっておりますね。そのまままっすぐ進んで,帯曲輪へ。武者走りという名前のようで,「現在は公園化によって道幅が広くなっているが,昔は人が一人通るくらいの狭い小道だった」とあります。えええええ。全然変わってるじゃないか。というか,人が一人通るくらいの小道だったら帯曲輪と呼ばんよな,それ。

 で,そのまま帯曲輪を突き進んだところ,案内板の番号が5→9に飛びました。あれ,推奨ルート外れた?まあ,気にしないことにします。搦め手です。

階段を上りきると,緩い坂道 東の丸 進むと帯曲輪 木下吉之亟翁
東の丸から見上げる 帯曲輪 帯曲輪から下を見下ろす 帯曲輪 搦め手

 搦め手まで来たところで,左に折れて空堀へと向かいます。
 公園化された現代となっては,きちんと階段が用意されておりますが,これはかつては搦め手口だったのでしょうか,それとも何もないところに階段をつけたのでしょうか。


階段を降りる 降りて振り返る 降りた先
まだ下がある
下を見る さらに下へ 空堀

 てことで,空堀を抜けて帯曲輪に戻り,搦め手へ。
 そして,搦め手から本丸にあがります。この階段は適度に折れ曲がっておりますが,どこまでが往時のものなのか……。

 本丸は案外広い。
 そして,中央部に記念碑が建っております。

搦め手 搦め手から本丸への階段口 本丸
解説 亀の塔 藤原明神高城明神
忠魂碑 本丸。広い 暖地性樹叢 くすのき

 そして,進んでいくと「虎口」の解説。ここまできて虎口の解説か,という感じはしつつ,それよりもこの階段出口が気になります。最後は2方向に分かれていて,片方には鳥居があります。どういう歴史的経緯でこうなった。普通に考えると,直進して鳥居を抜けるルートは後世につくられたもので,最後に折れ曲がるルートがもともとあった感じだよなあ
 そして,奥にある高矢倉跡。矢倉が残っていないのはいいとして,石垣なり土塁なりなんなりも,まったく跡形もありません。ですが,眺めは良いので,ここに櫓を建てる意義はあったんだろうな,と思う次第です。

虎口 2手に分かれる 鳥居 分かれた真ん中には木 下から虎口
高矢倉 高矢倉からの眺め くすのき

 てなわけで,本丸を出ます。階段は適度に守り手側の死角を作れるような感じにはなっていますが,とはいえ階段脇のスペースが人が立つには狭いけれども無駄にスペースがあるという感じで,まあおそらく往時の姿とは異なるのではなかろうかと。
 で,最後は土塁石塁の解説を見て,城から出ます。井戸は発見できず。

本丸への大手口 土塁石塁 空堀の脇の道 土塁 石塁

 てことで,下に降りました。眼鏡橋を渡って城山にさよならします。

眼鏡橋を進む 眼鏡橋から見る本丸 逆側から見る眼鏡橋 くじらばし

 しばし進んで,諫早神社。諫早神社にはあまり記憶は無いのですが,向かいにある飛び石には記憶があります。前回は,大村に行ったときに立ち寄ったのでした。いつかと思ったら2011年。ううむ,昭和は遠くなりにけり。

飛び石

 てことで,諫早神社。前回は資料収集してましたが,今回はその張り紙はなくなっておりました。十分な資料は集まったんでしょうか。


 で,やるべきことは終わりました。スタジアムへ向かいます。というわけで,諫早駅へ。実は,駅へ向かう間に数多くのレッズサポとすれ違いました。こっちになにかあるのか,と思っていたら……スタジアムがありました。むう。バスで行くことしか考えてなかった。

浦和の旗を出しているお店があった 案内はしっかりしております。あざとい。 バスターミナルへ 帰りに撮った歩道橋

 バスはスタジアムに着きました。右手に,内村記念アリーナがありました。内村選手って,諫早の出だったんですね。しりませんでした。


 席はバック。まあ,ヌルサポらしくぬるぬるやります。

足ふきマットがある
競技場というのも珍しい
バックからの眺め
九州は肉が美味い レディアの人形を持ってるあたり,さすがのあざとさである

 気を取り直して,内村記念アリーナに入っている内村選手の展示コーナーへ。
 さすがに五輪メダルや世界選手権メダルはなく,おそらく内村選手引退後にはもっと色々充実するんじゃなかろうかと思われます。


 この日は久留米泊。久留米駅に行くのはこれまた久しぶり。
 電車は激混みで,電車内で特急券を買おうと思ってたらそれどころではなく,降車駅で買う羽目になりました。


 久留米駅からファミレスに移動し,確定申告の処理。いったいここまできて何やってるんでしょうかね。
 てなわけで,おやすみなさい。

高良大社と神籠石


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