ベトナム旅行記その15~フートー競馬場跡地

38 フートー競馬場跡地

 おはようございます。最後の朝となりました。ホテルに荷物を預けて動き出します。

 最終日にして、バインミー購入。本来であれば、具だくさんのバインミーに手を出したいところですが、「海外で生野菜は地雷」が家訓の身としてはやはり具だくさんのバインミーには尻込みしてしまうのであります。

コンビニで購入 最後のブイビエン通り バインミー

 Grabでタクシーを拾って、向かうはLotte Martのあるデパートビル。フートー競馬場跡地の脇にあるデパートですね。降りるならここで降ろしてもらうのが分かりやすいし行動の便もいいかな、という感じです。料金は93,000ドンでした。
 ちなみに、この横にあるのがPARKSON Flemington、この記事によると、2018年1月に閉鎖したばかりのようです。


 さて、ベトナム競馬と言えばフートー競馬場、フートー競馬場といえばポニーを使った極めて特徴的な競馬をおこなっていた競馬場として広く知られておりました。梅林敏彦さんの「競馬があるから旅に出る」のカバーに使われていることでも有名です。検索したら、2001年にウルルン滞在記でも取り上げられています。
 ネット上に今残っている旅行記としては、例によって荷桁さんのブログ(2010年)が極めて詳細です。その他海外競馬常連ともいえる、しどにぃさんのブログ(2010年)、クルーラホーンさんの記事(2006年)もあります。また、世界の競馬場探検記さん(2002年)、th netさん(2010年)の記事も。海外だと、Sigoneerというブログ(1960年代。1964年~1969年の間らしい)を発見。あと、インスタで検索した結果神田壮亮さんという写真家の方のブログが出てきました。2019年に聖蹟桜ヶ丘で写真展をされていたんですね。知ってたら行きたかった。
 とはいえ、案外記事がみつかりません。ネットの記事が消えやすい、という面はあるんでしょうが、近場の競馬場なのに不思議ですね。

 2011年に廃場になったあとに訪問した方の記事としては、fzg9さんの中東・アジアの競馬場巡りを中心に(2019年)、エッグタルトさんのブログ(2019年)、インテックベトナムさんのブログ(2014年)、ベトナムあれこれさんのブログ(2012年)が見つかりました。抜けがあったら責任はGoogleにあります。

 なお、訪問記とはまったく関係ありませんが、YouTube上に、ベトナム戦争時、米軍がフートー競馬場を使っていた際の動画を発見しました。競馬場は平坦で広いのでなにかと飛行場として利用されますが、サイゴンでも利用されていたのですね。フートー競馬場を廃止してしまうと今後戦争が起こったときに困るでしょうから、国防の観点から競馬場を復活させた方がいいのではないでしょうか。
 その他、2002年の動画2009年の動画もYouTubeにありました。さらに、これは個人の撮影でしょうか、2009年頃のものだと思われます。

競馬場前の道の様子

 そんなわけで、開催されていた頃の場内案内図はそもそも存在しないので、場内の構造は荷桁さんのブログを見ながらなんとなくイメージをして、ふらふらしていくことになります。
 とりあえず、分かっていることはパドックがスタンド前と検量室脇に2つあったこと。スタンド前にはフットサル場があったこと。そしてコースは1周1600mくらいの右回りであること。まあ、これだけ知識があれば、何も無いよりもはるかにマシです。

2018年の入場口
Ho Chi Minh City Sports Centerとなってます
おそらく旧入場券売場 中に入ってからぐるっと見回します
パドック(扱いとしてはPre Parade Ringを意識しているのか)脇にあったとされる
掲示板は、表面は封鎖されているものの一応残存しています

 とりあえず、スタンドまわりを歩いてみます。
 ちょっと驚いたのが、スタンドに生活臭があること。昨日のトンニャットスタジアムでもスタジアムに生活臭がありましたが、ここも同様です。
 「競馬場に住んではいけないと誰が決めたのか」と言われたら誰も決めてません、すいませんと全面的に謝罪するしかないのでありますが、それにしても「廃競馬場」からくるイメージとは違います。日本で言うと、旧宮崎競馬場のスタンドに人が住んでいるというのはちょっと考えがたいわけでして、このあたりはベトナムっぽくていいですね。


スタンド。色はまだしっかりと残ってます スタンド前方を歩きます。スポーツセンターで使ったユニフォームが干されています 昔は馬券窓口だったのではないでしょうか
スタンド前を歩いて行きます 行き止まりに到達 振り返ります
戻ります スタンド内、このあたりは廃墟感満載です
それにしても、ちょっとガラクタが集められすぎでは?
スタンドに登ることは
できません
こっちのフットサル場はおそらく旧パドックです

 さて、ここまで元気に写真をパチパチしていたのですが、ここで警備員?のおっちゃんに見つかり、「写真は駄目だ」「無関係な田舎者は出て行け」てきな感じのことを言われたような気がしました。具体的に「ここにいること自体がダメ」だったのか「いてもいいけど写真がダメ」だったか、ちょっと分からない部分もあるんですが、やはりここは社会主義国。なにかあると面倒なので、スタンドからコース側の探索はこれにて終了。本来だったら(暑い中だけど)コース跡地の痕跡を求めてもうちょっとウロウロしたかったんだけど……。

 で、仕方がないのでスタンド内を通って裏側に向かいます。まあ、警備員?のおっちゃんの影に隠れてまだ写真撮るんだけど。どう考えても共産党の軍事機密があるようにも思えないしねえ……。もしかしたらどこかにサイボーグアスリートや、薬漬けのアスリートを養成してる危険な場所があったのかもしれないけど。

スタンド内通路と馬券売り場跡地 スタンド裏に出ました 目の前にはバスケットボールのコート
三角形の装飾が印象的です ゴルフ協会や
Gymが入っています
こっちは綺麗になってますね さらに進みます

 とまあ、こんな具合に裏側をパチパチやってたわけですが、ここで先ほどの警備員?のおっちゃんに再度遭遇。今回も注意されつつ、逮捕はされませんでしたが、さすがに2回注意されてまたやらかすとちょっと怖いので(いやまあ、それまでもちょっと怖かったわけだけど)、これで退散することにしました。
 警備員?のおっちゃんがいなければと思うところではありますが、2回も(賄賂を要求されることも無く)見逃して貰って文句言うのもよくないですね。

あらためて、旧パドックと掲示板
Pre Parade Ring的パドックは白い柵の中だったようですが、
この柵は当時と同じなのでしょうか??
名残惜しい あらためて、入場券売り場 競馬場前の道路
競馬があろうがなかろうが、路上に物売りはいるのであります
あらためて入口 入口の馬像 道路の反対側から競馬場を見る
競馬場脇のマンション
ここからなら
競馬がよく見えたはず
競馬場前
カフェの宣伝がデカデカとありますね
文字が消されてます
フートーは読めますが

 てなわけで、ちょっと不完全燃焼でしたが、未だ綺麗にスタンドが残るフートー競馬場跡地を見られたのはよかったです。

39 小休止

 さて、不完全燃焼に終わったとはいえ、炎天下のベトナムホーチミンを歩いて体力を消耗していたのは事実。
 というわけで、さきほどのロッテマートのビルに入って、オシャレなカフェでカフェインを補充することにします。

ロッテマートのビル カフェイン サボテンとコンセント こんな雰囲気です

番外 走れロム

 ところで。今回の旅行記を書くにあたり、”フートー競馬場”で検索をしまくったわけです。その結果、以下のTweetが引っかかりました。

フートー競馬場懐かしい。

20数年前に一度行ったきり…

ポニーみたいな可愛い❓馬🐎が走っていた記憶。

馬券購入も先着順で、売り切れだったレースも。

ここでも、全レースのトータルでは勝った。 https://t.co/ugkKLGLyyI

— カツミ@ベトナム🇻🇳経験者(プチFIRE進行中) (@KatsumiNishimo1) June 29, 2021


 で、これに引用されている滝澤陽子さんという方(恥ずかしながらどのような方かぱっと思い浮かびませんでしたが、「競馬場のマリリン」を書かれた方ですよね?)Tweetにて引用されている新聞コラムで紹介されている(まどろっこしいな)のが、映画『走れロム』であります。
 この映画は、合法宝くじの結果を利用した非合法ギャンブル、闇くじの「デー」を巡っておこる様々な出来事を描いたものであります。まず驚かされるのが、社会主義国ベトナムに「合法宝くじ」が存在することですが、考えてみたら合法ギャンブルであるところのフートー競馬が存在したのだから宝くじがあってもいいんでしょう。ちょっと写真が残って無くて記憶が曖昧なんだけど、フートー競馬場の向かいにあるお店のどこかで宝くじっぽいものを売ってたような気がしないでも無いです。

 そんな非合法くじを売りさばくルートは非常に組織化されていて、もはや誰が裏で手を引いているのかも分からない状態。ホーチミンの大通りから一本裏に入った集合住宅の裏ではみんながギャンブルに熱狂し、その結果家を失い命を失い……という凄いことになっているのであります。もちろん、この映画が正しい、という前提だけど。

 いやあ、自分が観光客としてのほほんと歩いてた裏がこんなことになっているとは、本当に驚きでした。
 そして、この映画に当局から検閲が入って、中華資本が裏で手を引いて不動産を手に入れている姿が丸々カットされているというんだからさらに闇が深い。

 別に社会主義国だから弱者保護に手厚くてみんな最低限の暮らしができている、なんて理想通りに行かないであろうことは予想はついてましたが、それにしてもギャンブルで住居や命を失う姿というのは社会主義とは全く相容れません。あのアメリカをも屈服させたベトナムでは何が起きてるんでしょうか。そして、この映画の設定が何年のことかは分からないんですが、ラジオでは無く携帯電話・スマートフォンとネットですべてが動いてしまう現代、この闇くじはどう進化したんでしょうか。
 さらに、今回の新型コロナウィルスでは強い外出制限がかかっていたわけで、その状況下でこの闇くじはどう運営され、あるいはどう進化を遂げていたのでしょうか。

走れロムは横浜で見ました。丁度横にいとみちのポスターも 広告ビラ 帰りがけにふと見たら
エクセル伊勢佐木があった


 ちょろっと旅行しただけでベトナムという国のことが分かるはずも無いんですが、それにしても庶民生活は奥が深いです。ただ、日本のノミ屋がPAT普及で減少したように、闇ギャンブル撲滅のためにも、是非広く合法ギャンブルを普及させてほしいものです。


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