オカノタカマツ〜岡山旅行2019Part1

2 備中高松城

 タクシーでやってきました、備中高松城。
 前回は備中高松城をみたあとに車でここにやってきたのでした。前回の旅行は自分の人生で極めて重要な旅行であるとともに、備中高松城に関しては(今にして思えば備中松山城についても)非常に不完全燃焼な登城でありました。今回は前回よりも時間的に余裕があるので、満を持しての登城です。

 前回は三の丸方向から城に入りましたが、今回は本丸側からになります。前回の旅行記はまだまとめていないのですが、前回は本丸に立ち入ること無く退散したはずですから、今回は初めて備中高松城の本丸に足を踏み入れることになるわけです。


2.1 高松城趾公園資料館

 備中高松城を有名にしたのは、言うまでもなく羽柴秀吉による水攻めです。さらに、タイミングが本能寺の変の直前直後という絶妙なものであったこと、城主清水宗治の切腹が美しかったこともあわさり、鳥取城や三木合戦と比べても城主の知名度や合戦の知名度はピカイチなのではないかと思います。
 私は、というと、このときの水攻めがいかに画期的であったかを理解するのに時間がかかり(本で読んでるときはそもそもそういうものがあるという認識で読んでるから)、また、城主切腹城兵救命というのも実は歴史的に見て当然におこなわれていたものではないことを理解したのもそれなりに年を経てからでした。
 そんなわけで、勝者秀吉の歴史であることから色々と割引は必要であろうとはいえ、ここ備中高松城というのは日本史においてやはり特別な場所でありましょう。

 てなわけで、これも前回行かなかった高松城址公園資料館へ。
 この資料館は、言うまでもなく高松城に関する資料が集められた場所です。なのはいいんですが、高松城があまりに有名すぎるため、資料館ができたのがおそらくそれなりに昔のことであり、その結果として、令和の世の中に見るとなるとちょっと古く感じてしまいます。贅沢言っちゃいけないのは分かってますし、岡山市としてもほかにやることもたくさんあるでしょうから難しいのでしょうねぇ……。

城址公園資料館 パンフレット パンフレットその2
パンフレットがたくさん出るのは有名観光地あるある
本も売られてます
文体や印刷などは非常に古めかしい本なのですが、参考文献を見るとそこまで古い本ではなさそうです
史蹟案内図
本でもまず見ておけと書かれている、清水宗治公の陶像
備前焼は有名ですが、陶器で像をつくるというのは凄い
ジオラマ
これはどこが水没したのか分かりやすい
備中高松城攻防戦 清水宗治と備中高松城
備中高松城出土石仏 水攻め配陣図 備中高松城水攻め 蛙ヶ鼻築堤跡 蛙ヶ鼻築堤断面図

 ジオラマを見ていて思うのが、この備中高松城とはどういう城だったのか、ということであります。周囲を広い堀や湿地に囲まれた城で、平城にもかかわらず非常に堅固であったことは、水攻めをするハメになったことからも分かります。それはそれとして、この城の縄張りを見る限り、足守川方面は堀だけで、人の出入りは家中屋敷があったとされる方面なのだと思います。が、本丸の北西側にも家中屋敷があって、どこをどう街道が走ってたのかよく分かりません。というか、城を作るんだったらもうちょっと最上稲荷側かどこかの山側に詰城つくるなりなんなりしなくていいの?というのが疑問の中心です。最上稲荷が敵か味方かも分かってないから思うことなのかもしれんですが。

 素人の戯れ言は脇に置いて、前回見逃した本丸に戻ります。

2.3 本丸

 タイミングの悪いことに、なんと翌6月2日は、宗治公437回忌祭典がおこなわれる予定だったようで、祭典をニアミスで見逃すと同時に、本丸にはテントがあって見づらくなっているという二重に残念な結果となってしまいました。それにしても、祭典には岡山市長も出席されるとは、市長も日曜日に大変ですね。それだけ清水宗治公が地元で愛されている(邪険に扱うと票に響く)ということなんでしょうね。

道路側から本丸を見る 本丸解説 二の丸から本丸方向を見る 本丸の様子
宗治公首塚 宗治公辞世句碑 蓮池・二の丸方向から本丸を見る

2.4 宗治蓮と二の丸跡

 備中高松城跡地の西側には、蓮池が広がります。まさにここ備中高松城が湿地にあったことがよく分かります。


 そして、あらためて二の丸。二の丸には先ほど見た城址資料館がありますが、それ以外は特に見所無し。ぱっと見、土塁なども残ってないようです。

本丸から二の丸方向 三の丸付近から二の丸方向 三の丸から二の丸方向
本丸から二の丸方向 蓮池側から二の丸方向

2.5 宗治公胴塚

 道路を挟んでちょっと進んだ場所に宗治公の胴塚があります。場所的には、家中屋敷跡になるのでしょうか。もしかしたら宗治公自身か、ゆかりのある方の屋敷跡になるのかもしれません。


2.6 宗治饅頭と水攻饅頭

 道路沿いに和菓子屋さんがありました。「宗治饅頭」という表示があったので、入ってみたところ、宗治饅頭に加えて水攻饅頭もあったので、それぞれ購入。なにがどう宗治なのかは気にしたら負けです。水攻饅頭は、あんこを包んでる感じが水攻めしてる感じが出てるのでなんとなく理解した気になれます。


 なお、歩き方ブログによると、こちらのお店の先代経営者は、備中高松城の研究で知られた(もちろん私は知りませんでしたが……上記の本の参考文献に名前が出てきますね)林信男氏であるとのことです。

2.7 三の丸まわり

 和菓子を購入して満足したところで、あらためて三の丸側の駐車場へ。こちらにも、いくつか案内板が出ています。
 まず、衝撃的なのが水攻め築堤跡の高さ表示板。日本人はこの手のものを見ると津波の高さ表示板を思い浮かべて少しブルーになるのですが、それは別問題なので一旦忘れるとして、これだけの高さの堤防を積んだというのはすごい。そして、これが全く決壊しなかった、というのだからなお凄い。

堤防の高さ表示板 高松城跡解説板 地元小学生が作成 ここにも水攻め跡の模型
三の丸跡解説 駐車場辺りから三の丸をぐるっと見回す あらためて三の丸をぐるっと

2.8 清水宗治位牌堂

 Google Mapさんによると、位牌堂があるということで、立ち寄りました。扁額には「妙見大菩薩」とありました。ただ、解説板もなく、実際どんなもんなんでしょう?


2.9 妙玄寺・清水宗治自刃の地

 続いて、妙玄寺。こちらは、清水宗治自刃の地(ごうやぶ遺跡)の近くにたつお寺で、清水宗治公の供養塔もあります。
 まずは、本堂に参拝しつつ、境内を見学。解説によると、花房家の菩提寺とのことなので、清水宗治のあとに城主になった花房氏が宗治の霊を祀ったのでしょうね。

幟が目立ちます 寄付のお願い
最上稲荷と縁が深いお寺のようです
顕彰の記 清水宗治公供養塔
非常に新しく見えますが、1963年建立なのでそこまででもない

 そして、自刃の地へ。もちろん、自刃されたのは船の上ですから、おおよその推定地、という感じなのでしょう。


2.10 大鳥居

 先ほども参拝したとおり、今の最上稲荷は最上稲荷山妙教寺というお寺です。お稲荷さんだから、大きな朱色の鳥居があってもそのままなにも疑問に思わずにスルーしてしまいそうになりますが、こんな大きな鳥居がお出迎えするのは本来的にはおかしいのですね。神仏習合とは摩訶不思議也。
 いやこれ、維持費とか凄そうですよね。なにかの間違いで倒れようものなら被害甚大でしょうし。

 アップで鳥居を見られるのは徒歩観光のメリットです。徒歩の人間が少ない道でウロウロするのは車からしてみたら危険極まりないでしょうけど。

鳥居に近づきます 土台 案内板 鳥居の解説
塗られているのは
ベンガラという顔料のようです
定礎 ここには何が? 見上げます 綺麗な色ですね 扁額は「紅柄」

2.11 蛙ヶ鼻築堤跡

 暑い中体力を消費しつつ、やってきました築堤跡。前回はここは見逃しています。見逃す、というかそもそも存在すら認知してなかったという方が正しいか。

 備中高松城といったら水攻め、というわけで、高松城のパンフレットとは別に、水攻めのパンフレットも用意されています。これは高松城の資料館で貰ったものです。

パンフレット 本から一部抜粋

 蛙ヶ鼻に近づきます。周囲は田畑で、平坦なのがよく分かります。そして、山からちょろっと伸びているのが蛙ヶ鼻。鼻はいいとして、どこが蛙なのかは私には分かりません。

接近します
周囲は田畑で平坦です
道案内板 蛙ヶ鼻。にょろっと出っ張ってるのが分かります
解説板は2つ

 蛙ヶ鼻の展示は主に2つ。築堤跡の展示と、堤それ自体の展示です。
 注目すべきは、盛り土の最下層から発掘された諸々の痕跡であります。俵の跡が見つかるとか、夢があっていいな。よくぞ無くならなかったものです。
 ただ、先ほど知ったような口で、「周囲は田畑で〜」とか書きましたが、この調査結果によると基底部は今の地表よりも1メートル弱地下のようでして、水攻めによってなのか、その後の洪水やらなんやらなのか、それとも田畑耕作のために人力で土を入れたのかはよく分かりませんが、当時の地表に土砂がそれなりの量堆積したのが今のこの地域の田畑のようであります。

水攻め築堤跡の調査 こんな感じに
展示されています
築堤盛土と築堤当時の地表面
杭列 俵痕跡 俵に混入していた骨
やけに骨の形がしっかりしてます
墓でも掘り起こしたのかな?

 そして、堤の展示。こちらはよくある土塁を見ているような感じです。この下に俵が埋まっている、ということでしょうかね??

高さ表示板
一番上は読みづらかったのですが、
こちらによると現在の築堤の高さ(8.4m)らしい
築堤跡 解説板
平成22年にできたわりには
ボロくなっております
石碑
築堤にのぼりました 逆側からの眺め。下部の石垣は後世のものでしょうかね? 公園名がはいった
記念撮影スポット
このあたりから鳥居を見る

 そんなわけで、こうして築堤跡がしっかり残っているのは本当に素晴らしい。水攻めが実際におこなわれたことが分かります。
 現代のもやしっ子(大根っ子)の私からすると、土木作業というのは遠い世界の出来事なのですが、この時代の兵士たちからみたら堤をつくるというのはある意味普段の農作業の延長線上にあったのかなあ。農民出身の秀吉ならでは、みたいな説明をみたこともあるような気がするけど。

2.12 帰路

 そんなわけで、帰ります。暑くて体力が尽きかけております。ひぃひぃ。田畑の中を歩く、というのは日陰が無い場所を歩くのとイコールでして、きついったりゃありゃしない。私には土木作業も戦闘も無理ですね……。

遠くに鳥居が見えます 蛙ヶ鼻築堤跡 電車が通りました。 高松一宮西川用水路
電車 跨線橋をのぼります
日陰がほしい……
跨線橋から見る蛙ヶ鼻 鳥居と築堤跡を1枚に 跨線橋から鳥居を見る
備中高松駅が見えます
あそこまで歩くのか……
ファミマ脇に鳥居

 ファミマさんのおかげでちょっと体力回復できました。いやはや、疲れた。

 なんとか、力尽きること無く備中高松駅に到着しました。やはり電車(毎回書いてるけど、電気で走ってるかどうかは知りません)という文明の利器はありがたいですね。


 そんなわけで、岡山市街地に戻ります。
 自分の祖父が何回も参拝した最上稲荷、過去にやらかした備中高松。2つを回ることができた、有意義な旅行でありました。

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