オカノイナリ〜岡山旅行2019Part1

1 最上稲荷へ

 オカノ○○という馬はいそうでいなかったな、と思ってnetkeibaで検索してみたところ、出世頭のオカノスピカ(この馬はなんとなく覚えている)でも1600万下を勝っただけ(いや、もちろん、これはこれで凄いんだけど)ということが判明しました。ビックリしたのは、オカノ軍団に馬主岡田繁幸の馬が紛れ込んでいること。オカノレッドのnetkeibaの掲示板を見ると、「総帥はじめての所有馬」とのコメントがつけられています。なんと、岡田繁幸氏は自分の名字を冠名にするところから始まってたのですね。勉強になります。
 ラフィアングループの系譜については全く知らないのですが、どうもオカノブルーという馬もいて、その馬の系統も大事にしているようです。ブルースターズファームの名前の由来も「オカノブルーの子孫からスターホースが出てくることを願ってのこと」と説明されています。これ、牝系たどっていったら面白いな。ちゃんと牝系の本を読んだら載ってそうだ。こういうところで不勉強さが露呈するのだな。


 閑話休題。

 このたび、東京から愛媛に移動するにあたり、岡山を経由することにしました。理由は様々ですが、基本的には愛媛FCが岡山にいくので、そこに色々くっつけた、という感じになります。

 そして、まずは最上稲荷からスタートです。最上稲荷は、私の祖父が毎年正月に参拝していたという話をどこかで聞いたことがあり、それ以来いつかは参拝したいと思っていたのでした。そして、最上稲荷の最寄り駅は備中高松駅。そう、備中高松城の最寄り駅なのです。というわけで、せっかくなのでセットで攻めることにします。

 まずは岡山駅から旅程はスタート。どうやって岡山に行ったかはちょっと記憶に無いんですが、特に夜行バスに乗った記憶が無いことを考えると、もしかして早起きして新幹線に乗ったのでしょうか……。自分が信じられません。あ、でも、岡山駅前の写真が残ってるってことは、岡山前泊してるな。

岡山駅前 桃太郎 ポストの上にも桃太郎

 電車に揺られて備中高松駅に到着です。

電車 参道駅 高松城の案内も
桃太郎はわかるけど
左のキツネは誰だろう
(単にお稲荷さんだから
キツネが出てきただけかな)

1.1 最上稲荷仁王門

 駅からは最上稲荷へはタクシーです。こんな有名な神社、バスが出てるだろうと思ってはいけないのであります。地方は車社会なのですね。
 とはいえ、距離にしても3キロちょっとなので、1人でタクシーを使うことに躊躇するような距離ではありません。もっというと、ここでタクシーを使っておかないと帰りに使うべきタクシーを見失う恐れがある。

 で、おりるときに、仁王門のライティングについて教えて貰いました。ありがとうございます。ボタンを押すことで、仁王像に光が当たるという親切設計です。
 それにしても、歴史ある日本三大稲荷とは思えない、極めて現代的な石造りの仁王門です。中に鎮座する仁王像も、金ぴかの仁王像です。
 こういう構造物になっている理由はほぼ2つ、火事で燃えたか戦争で焼かれたかです。このような山奥の寺院ですから米軍もやってきませんので、こちらは火事で燃えてしまったようで、こちらの解説によると、昭和25年の山火事で焼けてしまった、ということです。
 この仁王門はインドの殿堂様式で建造されたもののようで、このインドの殿堂様式で建造された石造りの仁王門は珍しいために登録有形文化財に指定されたとのことです。「インドの殿堂様式」というのは初めて耳にしました。「インドの殿堂様式」で検索しても最上稲荷しか出てこないので困ってしまいます。まあ確かに、ぱっと見の雰囲気はタージマハルを思い浮かべるところなので(解説を見る前からインドっぽいな、とは思った)、インドの建築様式を参考にしたというのは間違いなさそうです。ただ、あたりまえのことながらタージマハルはイスラム文化を容れた建築物なので、多分実際のところタージマハルは完全に無関係でしょう。
 設計者の岸田日出刀(一発で変換できて感動した)氏は、丹下健三氏の指導教官で、T大安田講堂を設計した方のようです。ほほー。権威と名前に弱い私としては、こういう凄い人が設計したと聞くとそれだけで畏まってしまうのでありました。

ようこそ 仁王門 仁王像 解説 仁王像を左右から

1.2 最上稲荷本堂

 階段をあがっていきます。
 階段をあがると、本丸的な曲輪に到達します。ここに諸々の案内があります。ポケモンGOについての注意書きがあるのが興味深いですね。
 モデルルートがあるお寺というのはなかなか無いと思いますが(庭園だけとかならわかるけど)、それだけ参拝客が多いんでしょうね。土産物屋さんも大きかったし。

順路 ポケモンGOへの
注意書き
布袋さん 手水場 本丸曲輪の様子
解説板。モデルルートがある親切設計 パンフレット

1.3 本殿

 そして、大きくそびえるのが本殿です。
 なんといっても印象的なのが注連縄。しめ縄を漢字で書くと「注連縄」になることを今頃知ったのは秘密です。これだけ目立つ位置にででんと構えているので、てっきり大昔からここにあるのだと思っていたら、実は平成6年末から設置とのこと。案外新しいじゃないか。びっくりです。ついでに、出雲大社の注連縄がいつから設置されたのかを検索したところ、なんとびっくり、これを解説してるサイトがパッと出てこないのです。逆向きだとか何年に1回付け替えるとかそういう話もいいんだけれど、いつからあるのかってのは皆さん気にならないのでしょうか……・


1.4 本丸曲輪の石彫・縁の末社

 本殿裏の石彫りを眺めたり、縁の末社を参拝したりと、ふらつきます。
 石彫は最上稲荷教立教50年記念でつくられ、法華教をあらわすものだとの解説があります。なにがどう、なにをあらわしているのか私には分かりませんが、これが分かるようになると解脱が近づくのかもしれません。それよりも、最上稲荷教っていうのはなんなのか、という方が気になりますね。

作品について 石彫。ちょっと私には理解できない世界です
縁の末社 右が縁切り、左が良縁 縁切祈願 縁切りと良縁のなで石

 縁切りにも良縁にもそれぞれ縁がないので、このあたりはさらっと流して、上へと向かいます。



1.5 霊応殿

 続いて、少し高い場所にある霊応殿。旧本殿であるとのことです。こっちの方が高い場所にあるから、本殿がこっちである方がしっくりきます……と思ったら、曳屋方式で移設された、との解説があるので、こちらも建物は元々現本殿の場所にあったのでしょう。なにが高い場所にあるから……だ。これだから素人は困ります。
 となると、もともとこの曲輪には何があったんでしょうか。もしかして、あらたに切り開いたのかな。

最上稲荷の文化財について 霊応殿中心の地図 ここにも最上稲荷の解説 霊応殿について 七十七末社 三十番神
霊応殿は工事中 参拝できます 工事中の中、参拝します

1.6 一の丸(羽柴秀吉陣地跡)

 ここから、一の丸へと向かいます。なお、別ルートとして、奥の院・八畳岩へと上るルートも設定されているようですが、時間的体力的にきついのでこっちはスルーです。
 道中、妙見堂があります。備中高松城の守護神を祀っているとのことですので、秀吉からみたら敵側にあたることになります。よくぞ壊されなかったものです。

八畳岩への案内 妙見堂案内 妙見堂。仲間で上がらせていただけます 曲輪にいた猫
多分こいつが守護神の生まれ変わりです

 そこからさらに進むと一の丸です。「一の丸」という表現は一体誰が言い出したのでしょうか。
 先程来冗談で本丸曲輪とか書いてたけど、実際のところ最上稲荷って戦国期にはどんな状態だったんでしょうかね。秀吉が陣を敷いたときなんかは、どういう流れだったのでしょうか。とりあえず、Wikipediaにはさらっと「羽柴秀吉の中国進攻の際に戦火により焼亡」と書かれており(創建伝承の次が近世以降、というのは飛びすぎではないか)、ソースとしては日蓮宗終わり伝道センターが見つかりました(その後、普通に最上稲荷の縁起に「備中高松城水攻めの際、戦火によって堂宇を焼失し、本尊の「最上位経王大菩薩」のお像のみが八畳岩の下に移され難を免れました。」とあるのを発見)。要するに、毛利家の肥後の下にあったけれど、羽柴秀吉軍に焼かれて敷地を使われた、ということになるんでしょうかね。となると、さっき参拝した妙見堂なんかはどういう歴史的経過をたどってここに鎮座されていたのでしょうか。

本丸曲輪にあった案内 こんな道を歩きます 本陣跡に到着

 一の丸跡地にあるのが、豊国天王社と日蓮聖人像です。
 日蓮聖人は一段高いところに像が建てられております。秀吉にしろ官兵衛にしろ世の有象無象が見ているよりも、さらに一段高い位置から、備中高松城を見ておられるのでありますね。

秀吉本陣跡の碑がある曲輪に豊国天王 さらに奥に行けます 日本の柱

 そして、ここから備中高松城を見下ろします!
 備中高松を見下ろした状況、というよりも、小早川・吉川の毛利勢と対峙した状況、という方がいいのかもしれません。私のような小者にはどういう流れで水攻めを思いついたのかも分からないのですが、とにかくその発想力と実行力には頭が下がるばかりです。


1.7 根本大堂

 下に降りて、妙教寺根本大堂。1881年創建ということで、廃仏毀釈が一通り落ち着いたあとの創建ですね。タイミング的に、廃仏毀釈で色々ぶっ壊したあと、これを建てたんじゃないかと疑いたくなるところですが、先ほどの霊応殿が1741年創建であることを考えると、こんな山奥まで廃仏毀釈の波はこなかったのかもしれません。あるいは、お稲荷さんだから神社だと思われたか……。

案内 山門 根本大堂 イチョウ。樹齢400年らしい

1.8 再び仁王門まわり

 そんなわけで、一通り参拝を終えたので、再び仁王門です。
 仁王門は外に向けては仁王像がにらみをきかせておりますが、これから帰ろうとする参拝客に向けては、キツネさんがにらみをきかせております。さすがはお稲荷さん。
 こちらのキツネ像もちゃんとライトアップされます。

吉備線稲荷山支線と
ケーブルカー
ここにもあります
母子の像
内側から仁王門

1.9 門前町・参道

 行きはタクシーで楽して仁王門前まであがってしまいましたが、帰りは門前町を通り抜けて下まで降ります。重力万歳。

 行くまでは全く知らなかったんですが、ここの参道は非常に趣があって素晴らしい。趣がある、というのは裏返すと賑わってない、ということに繋がるので、一見の、しかもたいして買い物もしない奴が喜ぶのはかえって失礼なんでしょうが、それでもまあ趣があることには変わりは無い。自分が知るザ・参道というと琴平を思い浮かべるのですが、それともまた違った雰囲気です。これが新年の初詣客で賑わう状態だとどうなるんだろうか。

 何が凄いって、単に古ぼけた死にかけの門前町というわけでなく(死にかけの門前町で思い浮かべたのは越前大仏なのだけど、ほかにどこがあったっけ)、今もなお店が開かれており、しかも寝てても客が来るからとお高くとまった雰囲気ではなく、手書きの地図があったり怪しげな顔出しがあったり(誰かに騙されてつくらされたのでは無いことを願う)、Facebookへの案内があったり(但し、コロナウイルスのこともあってか、更新頻度は落ちてますね……)、とりあえず生気があります(行った日が日だったので活気があるとは言えないけど……)。

 こういう生きた商店街・門前町は、是非とも長生きしてほしいものですが、コロナ禍で大丈夫なんでしょうか……。

門前町マップ
開いてる店自体は
少ないのです……
参道を下っていきます
このあたりは店が死んでますね……下りだからいいけど、
登ってきてラストスパートのあたりで店が途絶えるのはちょっときついかも
参道の様子
日陰になっているのでもやしっ子や大根っ子でも安心です
謎の顔出し
令和を持ってる最新バージョン
このへんも若干死んでるゾーン ここらへんは生きてます 紅白猫大仏
これ、道が一直線ではないのが
いいのかもしれない
こちらの旅館は検索してもヒットしなかったから
もう閉まっているのでしょうね
日本交通公社の文字が残っております
地酒は光屋へ さらに進んでいきます
閉まっている店の方が多いんだけれど、暗さの中に賑やかな店がまじってるせいか、
シャッター商店街のような悲惨な雰囲気はあまり出てません
お土産センター

 そんなわけで、あまり飽きること無く下までおりました。これほんと、よくあるシャッター商店街と何が違うんだろうか。なんか活気があるんだよな。やっぱり道の細さとくねくねしてること、そして適宜賑やかな看板が出てることがいいのかな。

 下にはこれまた趣のある参道口の看板と、お寺なのに鳥居があります。ビバ神仏習合。


 ここでタクシーを呼んで、次なる目的地、備中高松城へと向かいます。

オカノタカマツ


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