メキシコ旅行記その31
1月8日その2
てなわけで、再びソカロに舞い戻ってテンプロ・マヨール見学であります。
ソカロ脇にこんな大規模な遺跡があるとはねえ。いやはや。そして、ソカロ脇にあるから小さいかと思いきや、どうしてどうして、これが結構広いのであります。特に、遺跡より博物館の内部構造の複雑さには感心しきり。空間を上手く使ってるのでしょう。
でも、ここも説明書きが少ないんだよな〜。
…ってなわけで、もう僕もここらあたりで疲労困憊、写真だけで失礼したいと思います。
さて、この手の博物館にはもうおなかいっぱい、ってなわけで、続いての目的地は趣向を思いっきり変えてトロツキー博物館に。トロツキーってメキシコで最期を迎えたんですね。知りませんでした。
まあ、トロツキーは、リアルタイムで知らないだけでなく、歴史的にどんな役割を果たしたかもよく分かってないんですが…。唯一トロツキー関連で覚えている話としては、浪人中に某予備校教師(たしか池修…懐かしすぎる響きだ)に、「独裁者になる方法はナンバー2を消すことだ」という指導?を受け、その具体例にスターリンとトロツキーが出てきただけであります。一国社会主義とか、懐かしい話だなあ。多分受験前も覚えてなかったな、このへん。
ま、それでも行くのは自由。ま、遺跡関連にも飽きてきたので、時代と方向性を変えてみたかった、ってかんじであります。
で、Coyoakan駅からてきとーに南東方向に歩いたら大きな道に突き当たって着くだろう、という初めての土地のくせに雑な歩き方をしていたところ、案の定自分の居場所を失いました。ま、気にしない気にしない。
途中、入口脇に砲台のレプリカがあり、さらに入口では荷物検査をしてる建物に遭遇。なんなんでしょう??どこを歩いて遭遇したのか、もはやたどりようがないので、皆目不明であります。
さて、まあなんとか博物館に到着。
入場料を払って中へ。カメラ代$10払い忘れたんですが、まあいいでしょう。
トロツキー博物館の特徴。それは、数少ない訪問者(時間の関係か、そもそも少ないのかは不明)の中の、英語を話す人の割合が高いです。多分5割近く。偶然か必然か…。まあ、現地の人はトロツキーなんかに興味持っても仕方ないのかな。日本に孫文博物館があったとして、日本人が行くか、って感じ?…無理に例えるのはよくないですね。(追記。てきとーなこと書いてたら、本当に孫文記念館って日本にあったんですね。失礼しました。)
ガードの家や監視塔があり、「ミニ要塞」となっているトロツキーの隠れ家。様々な遺品が飾られています。当時のまま、というふれこみですが、それが本当なのかどうなのかは僕には分かりません。いや、まあ、遺品云々以前に、本当にここにトロツキーがいたのかも僕には検証のすべがないんですが。
と、くだらないことを言ってても始まりません。
本当にミ要塞です。やっぱり象徴的なのは、分厚い扉。いや〜、タバコを吸わないので比較対象として切符を使いましたが、分厚いです。いったいどういう攻撃を想定してたのやら…。また、一部非常に小さいドアもありました。全部、ってんなら分かりますが、どういう意味があるんでしょう?
ベッドや部屋は、非常にきれいに残っています。ここで殺し合いをしたなんてのが嘘みたいです。
また、本の多さも特徴的です。後知恵によると、ここで「スターリン伝」を書いていたみたいですね。
スターリンのお墓がある中庭は、非常にきれいで、要塞的雰囲気とは一線を画しています。元々きれいだったのか、博物館化に際してきれいにしたのかはよく分かりません。ただ、こういう、街中から少し離れた閑静な場所で、その中でもさらに静かな博物館中庭で、歴史上重要な役割を果たした人物は安らかに眠ってるんでしょうね。合掌。