マツノハザイケ

 そんなわけで,続いての目的地は葉佐池古墳です。5月も最終週なのでそこそこ暑いんですが,歩くしか能が無い以上,歩きます。当たり前ですが,松山の皆様の移動手段はほぼ車,あとはバス。よほど近隣にお住まいの皆様以外で,このあたりを歩くなんて単なる不審者です。通報されないことを祈りながら歩くことになります。
 そんなわけで,通報されないことを祈願するため……ではないのですが,近くに神社があったので寄ってみます。

生目神社

 そんなわけで,生目神社。場所柄か,忠霊塔があります。Wikipediaで松山駐屯地の沿革を見る限り,ここ(今の松山駐屯地)には歩兵第22連隊の演習場があったようなので,おそらくその関連の忠霊塔ではないかと思いますが,よく分かりません。
 また,来目部小楯懸功碑が立っております。誰だこれ,そもそも読めんぞ,と思ったら,しっかりとWikipedia記事がある有名人でした。ただ,Wikipedia記事を読んだだけではこのおっさんが伊予で何をしたのか,いまいち分かりません。さらに検索を続けると,なんか久米や椿神社との関連も見えてきそうな感じでしたが,よく分からんのでスルーしておくことにします。

社号標 境内 拝殿 本殿 おそらく摂社か末社かなにか 忠霊塔 マテラスカイでおなじみ
オオノ開発が
10万円入れてます
来目部小楯懸功碑

 そんなわけで,通報されたら「不審者が神社に行くわけ無いだろう」という訳の分からないいいわけをする用意ができたので,歩を進めます。暑いですが,自衛隊員の皆様の訓練の大変さを思えばたいしたことありません。ひぃひぃ。
 道中,オオノ開発の駐車場脇を通ります。どおりでオオノ開発が生目神社にお金を入れてるわけです。

オオノ開発 道は案外すいてます

正観寺

 さて,葉佐池古墳まで歩くことにした目的の1つは,途中にある正観寺に寄るためです。伊予十二薬師の第5番。十二薬師はもう全部回るのは半ば絶望的な気もしておりますが,とりあえず行けるうちに行けるところに行っておかねばなりません。
 ダービーデーの日曜日の昼下がりという時間帯でしたが,お寺の方もおられてなによりでした。

見えてきました 正面に到着 山門 本堂

葉佐池古墳

 そんなわけで,いよいよやってきました葉佐池古墳。
 この古墳の存在を知ったのは半年以上前の山中城でした。人生一期一会。歴史的に重要な古墳が松山にあったとは,松山に通算5年強いましたが,本当にこのままここを知らずに終わらなくてよかったです。

 さて,そんなわけで近づいてきました。でかいです。これだけデカいのをよく作ったな,というのと,上部の見学用設備の存在があるので,なにかの秘密基地に見えますね。それにしても,発見される前はどういう状態だったのだろうか。木が生い茂ってたのかな?そうでないと,盗掘されますよねえ。

巨大な人口秘密基地に徐々に近づいていきます ガイダンス棟 解説板
このあたりの古墳の案内 パンフレット

 さて,暑いのでまずは冷房の効いてそうなガイダンス棟へ。ここで涼んですぐに古墳を見に行くつもりだったのですが,解説の方が2名おられ,先客1組対応中,という状況で(つまり解説のうち1人は暇を持て余している),せっかくなので解説を伺うことにしました。おそらく解説はボランティアなのだろうと思いますが,この客入りで解説2名待機ってのは松山市の葉佐池古墳に対するやる気がうかがえます(2人にしないと食事やトイレで休憩できない,ってことかもしれんですが)。

 で,一通り解説を伺って,古墳を見て,それから再度ガイダンス棟に戻って解説板を写真撮影,という流れをたどりました。
 とりあえず,写真の都合上まずは古墳を。

のぼっていきます 裏手にある葉佐池 馬の下顎が出土したようです 頂上までのぼってから
石室入り口に降ります
ここに4号石室
古墳頂上からの眺め 1号石室解説。石室はドアで封鎖されております 石室内の解説
中の様子 近づいていきます。レプリカなのは分かってますが,
ミイラがいると思うとちょっと緊張します
周りの土の様子 外の植生

 さて。あらためてガイダンス棟へ。
 この葉佐池古墳は,なんといっても未盗掘で発見された,ということに意義があるようです。たしかに,ピラミッドにしてもなんにしても,昔の王族のお墓といえば金銀財宝てんこ盛りなだけに,ことごとく盗掘されて,あとはミイラと人食い箱が盗掘者と対決する展開を想像してしまいます。
 で,ここでは,死語すぐに遺体にたかるニクバエと,死語3〜4日後に現れるヒメクロバエという2種類のハエが登場します。ヒメクロバエというのは,腐った肉にしかタマゴを産まず,しかも暗いところでは活動しないという,なんか現代の考古学者がタイムマシーンで過去に行って研究のためにばらまいたんじゃ無いかとしか思えない性質を持っているようです。そんなわけで,ヒメクロバエが発掘遺体にたかっていたことから,少なくとも1週間程度は埋葬前に明るい場所に置かれていたことが分かったようです。
 適当に検索したら,九州大学の田中良之教授の科研報告が見つかったので,自分のためにリンクを貼っておこう。
 この,死後すぐに埋葬しないという文化は,一般には「モガリ」と呼ばれるもののようで,上皇陛下もこのモガリについて言及されていたようです。それにしても,昭和の時代までこの文化が続いているというのが凄い。また,沖縄では今もこのモガリ文化が残っている地域があるようですね。葉佐池の解説者さんによると,死者がよみがえる可能性を考えた仕組みだったのではないか,とのことでした。
 なんにせよ,このような死生観は非常に興味深いですな。

 また,ここで知ったのですが,葉佐池古墳は一気につくられたものなのではなく,何回かに分けて積み上げられたもののようです。近世の城の石垣みたいですな。

葉佐池古墳の里 かわら版 葉佐池古墳 1号石室 2号石室 葉佐池古墳の成り立ち 葉佐池古墳とは
横穴式石室 モガリ よもつへぐい 墳丘でのまつり 被葬者の生業 東山鳶が森2号墳も
未盗掘だったらしい
このあたりの盗賊が
頑張らなかったおかげで
我々が楽しめるのです
姥が懐窯跡行った方

 前日考古館で仕入れた過去の特別展,「古墳時代のおそうしき」の図録からいくつか自分のために。未盗掘古墳のリスト,みたいなのは探せば出てきそうなのだけれど,今パパパッと検索しただけでは出てこなかった。無念。


 そして,平成23年に作成された葉佐池古墳の本。アップしないと人生で2度と見返さなさそうなのだけれど,さすがにアップしすぎるのもな(こんなページ誰も見てないだろうけど)……という悩みが。


 そんなわけで,この先には姥ヶ懐窯跡など,当時の須恵器づくりの本場があったようなのですが,暑くてやってられないので帰ることにします。
 帰りはタクシー。平井駅まで,実績値980円。

 で,まつちかで日切焼でも食べるか,と思って広場に行ったら,ちょうどダービーが流れていたので,ここでダービー観戦。浜中さんおめでとうございます。

平井駅
ダービーはロジャーバローズ 日切焼


 そんなわけで,1回は行ってみたかった陸自の演習を見て,葉佐池古墳もこなして,最後にはダービー観戦と,松山からの引っ越しが迫る中で,なかなかにおなかいっぱいの一日でありました。


創立記念祭模擬演習装備品等展示レンジャーショー葉佐池古墳


コウコノコデラ(松山市考古館)/ホリノヤマナカ(山中城クラウドファンディング)


旅行記TOPその他テーマ