和歌山城登城

 おはようございます。今日は和歌山城からの和歌山競輪という盛りだくさんな1日です。そして、なんとびっくり、これを書いているのは2025年1月。ここに行ってからはや14年が経ちました。いまさらなぜこんなものを書いているのでしょうか。自分でも自分が分かりません。なお、記事のサムネイルの大きさが変わっているのは、これまでの旅行記を書いていた際と今との自分の気分の違いからです。
 なお、私は2011年の訪問後、2023年に和歌山を再訪しており、このときの経験と記憶が2011年訪問時の記憶を上書きしております。まあ、そもそも2011年訪問時の記憶といってもほとんど残ってないわけだけど。

大手門

 まずは大手門から。例によって、水堀にご挨拶。そして、石垣を眺めて”へー””ほー”と心の中で声をあげます。

北東の角から、南(岡口門)方向と、西の一の橋(大手門)方向

 で、一の橋を渡って大手門へ。気分は当時の足軽です。
 大手門解説を読むと、かつての大手門は岡口門であったこと、大手門と一の橋は1909年に倒壊したこと、1983年に大手門が、84年に一の橋がそれぞれ再建されたことなどが分かります。1909年の倒壊、なにがあったんでしょうかね。火事とかなら分かるけど。

史跡和歌山城城内案内図 和歌山市作成
もはや読めません
一の橋と大手門を正面に 一の橋から東方向 西方向
鯉にエサをやってるのかと思ったら
鳥にエサをやってるのかな??
大手門と一の橋 大手門 大手門脇の城壁とその先の石垣 内側から

 大手門を抜けても、左側にはスペースが広がりますが、右側は城壁でブロックされております。簡単には二之丸に入ることが出来ない構造でありますね。

大手門の瓦 紅しだれ
なにかの記念植樹のようです
ちょっと進んでから大手門を振り返る 正面方向
右側は城壁です
井戸 石垣の上からの眺め
低いので、かつては城壁があったのでしょうね

一中門跡

 続いて、分かりやすい枡形虎口が登場。一中門跡です。


堀方向から一中門跡を見る 一中門から大手門方向 一中門虎口へ 分かりやすく折れ曲がってます 抜けていきます
一中門石垣
積み方が異なってますが、あとから付け加わったのでしょうか
一中門を抜けた正面
時代は感じますが、いい石垣です
一中門正面の石垣にのぼってみました のぼったところから
大手門方向

 なお、石垣について、「積み方が異なっていますが」などと分かった風なことを書いてしまいましたが、変わったのは積み方ではなく石垣の産地のようです。「和歌山城石垣」で検索したところ、和歌山城石垣散策MAPという公式サイト内のPDFファイルがヒットしました(念のため保存しておく)。

 登れそうなところがあったらすぐにのぼってしまう、なんとかと煙は高いところが好き、という言葉そのものの行動をとっていますね。
 そして、一中門を抜けた正面には伏虎像。初代は銅像だったけれど、銅像であったが故に戦争に使われたようです。まあ、城の中にあるものを戦争に使うというのはある意味正しい。


 そして、この素晴らしい石垣を眺めます。

一中門方向を振り返る 石垣! ちょっと引いてみた そこから表坂方向

岡中門〜岡口門

 2025年の私から見ても、「多分まっすぐ表坂にいってないな」と思ってしまう単細胞な私めの行動。当然のことながら、私の足は岡口門に向かっています。岡中門の虎口はこれまた分かりやすい枡形虎口
 岡口門、北に接する土塀も重要文化財となっていることに加え、狭間は一枚石をくりぬいたものだとのことですが、イマイチどれのことなのかは分からず。

岡口門方向に向かいながら、表坂を見る 岡中門の虎口(城内側から)
上にのぼって虎口を見下ろす 水堀を見下ろす 礎石
もう1つ門があったのかな?
岡口門解説 岡口門脇の石垣 岡口門を見上げる
岡口門を抜けたところから
その先の虎口方向
外に出ました
引いて見る岡口門
石垣に接近した角度から 段々近付いていきます

岡公園

 岡口門から道を挟んだ向かい側に、岡公園があります。せっかくなので寄ってみます。

李眞榮・梅渓顕彰碑 SLくまの 市電321号 解説
柵で見づらい
「裏に歴史がかいています」とのことですが
もちろん見ることは出来ません
高橋克己頌徳碑 御作事所跡 このあたりの岩 遠くに和歌山城天守が見える

紀州徳川神社・松生院・刺田比古神社

 続いて、岡公園の奥にある紀州徳川神社。紀州東照宮と何が違うのか、いやもちろん場所は違うのだけれど、ご祭神はどなたなのでしょうか。由緒書を発見できませんでした。
 境内には弘法大師様や千球観音さんなんかもおられるので、神仏習合期のなにかなのかな。


簡単な鳥居とお社 弘法大師さま 観音さま 洞窟にも石仏が色々と

 続いて、公園から外に出て松生院。岡の宮と呼ばれた刺田比古神社の別当寺がこの松生院だったようですね。
 そうなると、なおさら紀州徳川神社がいったいなんなのかが分からなくなります。和歌山城を開城する際に城内から神様を持ち出したとかそんなのだろうか。

松生院山門 参道と本堂 紀伊国名所図会より
刺田比古神社の図
御由緒 鳥居
参道 神馬舎 神馬。下には蹄鉄も 拝殿

 2024年時点で、なんとなく城の外の神社を見てから城山にのぼった記憶だけは残ってました。これらの寺社に参拝したんですな。

 そして、あらためて城に入っていきます。

道路越しに見る和歌山城天守
信号が邪魔なので、このあたりは車を廃止して馬車にしましょう
(自分でも何を書いてるのか分からない)
南側の石垣の様子

表坂〜松の丸

 では、あらためて岡口門を抜けて、今度こそ表坂。
 高石垣の脇、岡中門の上部は、地図によると松の丸隅櫓跡とあります。ここは手すりがついているのでここまでくることは認められてるはず。

岡中門虎口へ 表坂 善意の杖がありました 高石垣の脇あたりから
岡中門虎口
そこから岡口門方面

 そこから、松の丸を抜けて表門跡へ。
 ちなみに、ここら辺に来ると石垣が野面積みになります。

松の丸向かって右手の石垣 表門へ 表門跡

 表門を抜けて右折すると、天守が目に入ってきます。おおお!これは素晴らしい眺め。
 そして、和歌山城のような徳川ゆかりの城に天守が出てくるのに、その下の石垣が野面積みというのはなんというかあまり見ない景色な気がするぞ。

天守が見えた! ちょっとアップにしてみる しかしまだ道は遠い
右折すると正面は壁!
右に登っていく虎口の様子 振り返ります

本丸と天守

 で、登ると、右手には石垣でさらに曲輪が盛り上がっています。こちらは本丸御殿跡とのこと。なんと、本丸御殿は御殿だけ石垣の上、一段上にあったようです。
 現在は給水場として、和歌山の皆様の役に立っているようなので、徳川の殿様も文句はないでしょう。そして、給水場を作る関係だと思いますが、石垣が積み直されて補強されてますね。

本丸御殿跡 立入禁止
はいっては、いけません!
給水場入口(旧本丸御殿入口)から見る天守
下に見えるのは本丸裏門跡です

 で、あらためて、天守曲輪へ。天守二之門(楠門)が見えてきます。どこかに解説板があったっぽいのですが、見逃したようです。
 なお、頼りにしていた和歌山城の地図が、天守閣まわりの構造についてノータッチだったことに絶望しながらこれを書いています。

天守を見上げる 天守への道 二之門が登場 テレビで紹介されたようです 二之門概要
二ノ門入ってすぐ右手に石樋がありました 二ノ門と、二ノ門櫓

 上述の通り、地図がないのでコメントをつけるのも難しいぞ。二ノ門を内側から見て右側にあったのが二ノ門櫓。向かって左側には乾櫓です。しかし、二ノ門向かって左は乾の方角じゃないのだけれど、乾櫓の場所が合ってるのか不安で仕方がありません。
 あらためてみてみたら、乾櫓はやっぱり乾方向の櫓だな。二ノ門向かって左手は天守だ。うん、間違いない。よかったよかった。

乾櫓 多門 二ノ門を色々な角度から見下ろす
天守を見上げる 御台所 三宝柑 南高梅

 で、天守へ入ります。

大小天守が並びます 天守閣開設 小天守入口
印象的な唐破風と、宇和島以上にぽっかりと口を開けた姿が
なんとも印象的であります
小天守からの眺め
ジオラマ 地図 東方向、旧本丸御殿の給水場 北方向、小天守
西方向天守曲輪と、その奥に見える景色、そして乾櫓 南方向
奥に岡口門、手前が表門
不明門方向

 そして、そのまま多門櫓の中を進みます。

楠門の上にいました そこから二ノ門櫓へ 乾櫓から天守を見る

 では、天守曲輪から退出。あらためて、石垣と天守・櫓を眺めます。

楠門と天守 天守 二ノ門櫓 乾櫓まわりをぐるりと見上げる
北側の石垣 埋門 埋門と北側の石垣 埋門前から下る坂 東側の石垣
かなり技巧的な組み方

裏坂

 帰りは裏坂から下りていきます。珍百景で取り上げられた根っこも気になります。

裏坂から天守を見る 裏坂登り口方向を見下ろす 分かりやすく折れている裏坂
銀明水 珍百景で紹介された人型の根っこ

二之丸

 裏坂から真っ直ぐいくと、二之丸へと続きます。まずは二の丸御殿跡。

長屋門跡 二の丸御殿跡 二の丸御殿跡から天守を見上げる 二の丸御殿跡
二之丸解説 穴蔵状遺構
化石のある和泉砂岩 多門櫓の礎石列

 そして、御橋廊下へ。それにしても、写真の撮り方下手すぎないか。

廊下と天守 廊下 中の様子 廊下から南方向(逆光) 廊下から北方向
御橋廊下の入口 御橋廊下解説 西の丸解説 高灯籠 高灯籠と廊下橋 西ノ丸庭園側から見る御橋廊下

西ノ丸

 さらに、西ノ丸庭園。この頃は既にニワカ庭園好きになってたはずなのですが、残された写真が少ないです。さては競輪に回す時間が少なくなって焦ってるな。
 なお、西ノ丸庭園は2023年訪問時にしっかり見てるから、まあ自分としてはそっちの記憶がベースになってるのでヨシとします。

名称西ノ丸庭園 庭園の様子 庭園側から御橋廊下

 そして、鶴の渓まわり。このあたりのゆるやかな石垣づくりは興味深いですね。

鶴の渓
管理用の井戸。これは大正時代のもの

 鶴の渓を出ると、鶴の門跡。


 そこから、追廻門。赤い色が印象的です。
 某T大赤門の知識からいくと、将軍家の娘を奥方に迎えた大名家が建造できたのが赤門だったはずなので、まあ御三家の紀州ならば好き勝手に赤門をつくることができたのでしょう。

追廻門 枡形虎口です 内側から 外側から

 そんなわけで、和歌山城見学終了。
 最後に、北側から天守方向を眺めて、泡沫サイトパワーを発揮して天守でゲットしたパンフ等をアップして、おしまい。

城内案内 こんなところに石垣案内があったとは 北側からの眺め 和歌山城と周辺。競輪場は範囲外

 では、ようやく、競輪場へと向かいます。


いざ貴志 /わかちゃんGOGO!


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