多幸あれ岸和田 その4

 そんなこんなで,紀州街道に復帰。蛸地蔵方向を目指して歩いて行きます。本当は11時ころまでに蛸地蔵に着いておきたかったので,若干早足で。
 このあたりは観光を意識して町並みが昔っぽくなっており(本当に昔っぽくするためにはアスファルトを撤去して土の道にしないといかんから現実的には無理だよな),雰囲気のよい街であります。これはこの近隣の方々が町並みの維持に尽力されているからこそのことなんだろうと思います。おそらく,予算が付けば電線の地中化なんかも優先的に行われるんだろう案。
 そういえば,今思ったのですが跡形の無くなっている「五十一銀行跡」の解説板があるなら,同じく跡形が無くなっている「春木競馬跡」の解説板くらいあってもよさそうなもんだよな。

まちづくりを考える会
古びてますが,
平成23年の写真です
まちなみ形成・板塀プロジェクト
というのがあるんですね
五十一銀行跡の解説 気をつけてるのが
ひったくり側に見える
円成寺
閉まってたので入れず
時間短縮的には助かった
鐘楼 こんなお屋敷が並ぶ 吉田松陰逗留地 まちなみ
まちづくりの館 こういう昔からあるお医者さんって
面白い建築だったりしますよね
たしか高取でもそうだった
一里塚跡 光明寺 山門
新しいですね
写経塔 本堂 記念碑 鬼瓦

 で,紀州街道に別れを告げて,梅渓寺。
 建物は明治15年に焼失したとのことです。明治15年ってことは廃仏毀釈とは無関係かな?

山門 梅渓寺 解説 三つ葉葵 本堂 石塔

 で,蛸地蔵天性寺。現在本堂工事中,と地図には書かれており,いかほどのもんかと思ったら……想像していたよりも大がかりに工事が行われており,もはや何が何だかよく分からない状況で,すごすごと退散してしまいました。

ボール投げ禁止! 解説 天性寺 山門 工事中であります
地蔵堂 その右手にも正平地蔵尊
市指定文化財のようです
観音様 太子堂
石塔 ややアップで地蔵堂 起縁 びんづる様 山門を正面から 参道

 そんなわけで,蛸地蔵はあっさりと。
 良くも悪くもここで時間をかけなかったおかげで,蛸地蔵駅にやってきた電車に滑り込むことが出来ました(といっても走らずに乗れたのだけれど)。時間にタイトな旅だったので,まあよかったと前向きに考えることにします。

 続いて,三の丸神社へ。だんじりの起源となった神社なのでそこそこ大きくて案内板もあり,すぐに見つかるだろう,と思ってたら,あんがいこぢんまりとひっそりと鎮座されており,見つけるためにちょっとぐるぐる歩き回りました。住宅街のど真ん中にあるので,通報されなかっただけよかったとすべきでしょうな。
 三の丸神社と名付けられておりますが,いわゆるお稲荷さんであります。

雨水マンホールには
四方に広がる天守
道中発見したお地蔵様 解説 鳥居 境内
盥漱盤。こんなこと書かれたら…当然裏側を見ますよね 正一位白蛇大明神 幣殿 由来
初期のだんじり
今とは似ても似つかない
だんじり祭りの由来 享保3年の地図 稲荷と初午 展示されていただんじり
日光がガラスに反射していまいち
馬発見
お社 月と日光 けつね 誰の家紋だろうか

 そのまま,長屋街を歩いて蛸地蔵駅に向かいます。
 これでもか,というくらいにひったくり等への注意書きがなされており,この近隣の治安への意識の高さ(というよりも,治安の悪さ)が浮き彫りになりますね。競輪場からは距離があるので,これは競輪のせいではありません。

長屋街 典型的な
「張り紙禁止の張り紙」と
「張り紙禁止の張り紙の上から
貼られる張り紙」
どれだけ危ないんだ,ここは 糞害に憤慨 蛸地蔵駅 中はおしゃれ 蛸地蔵

 蛸地蔵駅に到着すると,すぐに踏切が鳴り出し,難波方面への各停が到着。各停の本数が少ないことは分かってたので,ここで時間をロスしなくて済んだのはよかったよかった。

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