いーないなべその2

 さて,町歩きを続けます。踏切をわたって,「石仏通り」というなんとも気になる名前の道を進みます。この「石仏」というのは地名のようなのですが,もとになった石仏が何なのか興味深いです。

踏切の注意書
電車の書き方がロープウェーみたい
石仏通り

 そして,まずは楚原駅まえに鎮座する楚原神社。入ってみると,なにやら白い布が奥から社殿に向けて伸びております。あれれ,結婚式でもしたのか,などととんちんかんなことを思っていると,たまたまそこにいた氏子さんと思しき方から,昨晩,神様が本殿から社殿に遷座されたとのことを伺いました。
 なお,氏子さんからはNPは単なる神社マニアだと思われたっぽいですが,NPはあくまで歴史好きの競馬マニアにすぎません。「昨日来ればよかったのに」と残念がられ,実際自分でも昨日来ればよかったなと思うのではあるのですが,残念ながらそれは土曜日に開催しなかった草競馬のせいなのであります。
 ちなみに,昨日は夜遅くに遷座の儀式をしていたようで,この日は後片付けだとおっしゃっておりました。
 なんにせよ,親切に声を掛けていただき,神輿も見せていただいた氏子さんに感謝であります。

鳥居 燈籠 御由緒 拝殿 白い布が曲がります 本殿造営計画 現在はここにおられます

 で,楚原駅を脇目に,次は天白神社。一面の田んぼの中に,神社のまわりだけ木が生い茂っており,遠くからも一発で神社があると分かります。
 ここは特にイベントなし。ただ,石なんかはわりと新しいように見えたので,最近造りかえたのではないかと思います。

楚原駅 遠くから分かる 鳥居 社殿 踏切に電車が
本数少ないのでそれなりの確率かと

 さて,いよいよねじり橋。坂を下り,折れ曲がって用水路の脇を進むと,見えてきました。遠くから見ると,さらにいえば近くから見ても意識しないと,単なる石の橋です。が,見ればねじれているのが分かります。
 それにしても,自然河川じゃなく用水なんだから電車に合わせて流れを変えてもよかっただろうに,あえてこういうねじり構造にしたのはなぜなのだろうか。
 文系的には,力の分散の点からアーチ構造にするのはいいとしても,ねじった形にすると石にへんな力がかかって脆くなりそうだなあ,などと抽象的な感想しか抱けないのですが,おそらく理系の方から見たらこの緻密に計算し尽くされた橋のねじり具合に感動して夜も眠れなくなるのではないかと思います。とりあえず不眠症にはなりたくないです。

見えてきた 近づく 下から
確かにねじれてます
逆から 斜め下から ちょうど電車がきた 上から

 続いて,東光寺を経由してめがね橋へ。東光寺も真宗だな。ところで,真宗大谷派とか真宗仏光寺派とか,なんなんでしょうか。なんか楽しそうな争いしてるんだろうな。そういう人間くさい血みどろの争いは,外から見てる分には大好きです。




東光寺 親鸞誕生800年記念 無縁仏かな? しあわせ地蔵。顔が縦長ですね。

 世にめがね橋というと長崎のものが圧倒的に有名で,自分はほかに諫早で見ました。どっちも穴が2つの眼鏡型です。小石川後楽園の円月橋は長崎めがね橋と同時代の石橋遺構とのことですが,穴が1つしかないので円月橋という名前になったようです。
 しかし,ここのめがね橋は穴が3つあります。眼鏡をかけて20年以上経ちますが,NPが眼鏡に全くこだわりを持っていないことはNPを知る人は皆様ご存じのとおりかと思います。そんなわけで,おそらく一部で人気になっているであろう,穴が3つある眼鏡の存在は全く知りません。もしかしたら,いなべ地方に伝わる伝統的な眼鏡がこういう形なのかもしれません。
 
 文系的に見て,ねじり橋が画期的な土木遺産であることはなんとなく分かります。あのねじれ構造は凄いです。
 他方,めがね橋はなんなのでしょうか。普通の橋じゃないのか,とツッコミを入れたくなります。で,ちょっと調べて見たところ,「煉瓦造や石造りのめがね橋は多いが,コンクリートブロック製のめがね橋は珍しい」というのが正解のようです。文系的には「そもそもこれはめがね橋じゃないんだから,煉瓦造や石造りのものについて調査対象を間違ってないのか(3つ穴や1つ穴を抜かしてないか)」「コンクリートブロックの方が石や煉瓦より造りやすいんじゃないの?」などと疑問は尽きません。このあたりはやはり建築の専門家にいろいろと話を伺いたいものですが,白馬まわりにいたっけかな。

 あと,眼鏡眼鏡といいつつ,下の水面に橋が綺麗に写る瞬間はあるのか疑問な水量であること,放物線を描く場所がちょっと高く,仮に写ったとしても眼鏡っぽく見えないんじゃないかという気がしなくもないです。ただ,増水したら綺麗な円にうつるのかもしれないな。

遠くに見えてきた 奥に見えます こっち側からはこれが限界 逆側から 案外放物線を描き始める位置が高い
時期によっては川が結構増水するのでしょうか?
遠目から

 で,めがね橋を見たらいいかげん競馬方向に行こうというのが事前計画だったのでありますが,奥に鳥居が見えたので,そっちに行ってみました。鳥居が見えたからと行ってすぐに本体が出てくれるわけではないので,まあ何も見えなかったら折り返すつもりでしたが……すぐさきに,神社がみえてきました。
 この八幡神社,踏切をわたって参拝することになります。この八幡神社前の踏切,完全に神社に行くための踏切になっており,ほかに使い道がありません。私有地のために踏切を設置するってのは凄いですね。まあ,神社は私有地といっても半公共物ですが。そういえば,この北勢線,ローカル電車なのにどこも踏切がしっかりしている印象でした。インフラにはきちんとお金をかけてるんですな。
 八幡神社の拝殿の手前には,青っぽい色の機雷?と魚雷?が奉納されておりました。なぜだろう,と思ったら,左手に護国神社が併設されていたのでした。完全な山の中ですが,どうもこのあたり出身の海軍中将さんがおられたようです。

鳥居が見える 踏切を越える お祭りの日程 八幡神社 御祭神
青い色が目立ちます ここは目が白く塗られてない 護国神社へ 護国神社
八天宮浄水 カゴノキ 石仏が奉納されておりました
廃仏毀釈で見逃されたのか
隠されて後日ここに移動されたのか
遠くからカゴノキ

 あとはひたすら競馬場を目指すのみ。といいつつ,イオンによって昼食を購入。多度の経験からして,いなべでも店が出ているとは思えなかったからです。結果的に,買って大正解でした。本当は地元のスーパーにお金を落としたかったのですが,通り道にはなかったんだよな。残念。

 それから三里駅に向かっていると,なにやら面白い建物が見えてきたので寄ってみました。了圓寺というようです。山門右手の建物については,特に解説はありませんでした。

山門 よりも,右手の建物が目立つ 本堂 内側から 入れません

 そして,宗泉寺,いなべ神社と経由して,三里駅へ。

宗泉寺 本堂 無縁仏? 地蔵堂
何のお堂かは不明でした 中に昔使われていたと思しきものが 今のもの
猪名部神社 拝殿 意識したことないけど
鼻の穴も赤く塗るんだな
山神×3

 さんざん寄り道をしてきましたが,ようやく本編です。はぁやれやれ。

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