松坂世代が松阪登城その1

 さて,いよいよ松阪城です。
 坂を登っていくと……
 どどーん!と目の前にそり立つ石垣。うわぁ,壮観。これは凄い。石垣というか壁というか,ここを攻めにきた兵士の士気を下げるのには効果ありそうな高石垣であります。

 しばらく見とれて,そのあとまずは右手に向かって登っていきます。本来のルートは左手なのは分かってたんですが,とりあえず行って戻ろうかという魂胆。ちなみに,この日は民俗資料館は休館中でした。非常に残念だったのですが,余計なところで時間をロスせずに競輪場に行けたのはよかったといえるかもしれません。お財布的によかったのかはさておき。
 この民俗資料館前は助左衛門御門跡。助左衛門が誰なのかは不明であります。門から見て左側が蓮見櫓,右側が鐘の櫓の跡地。このあたりも当時の絵図かなにかがあれば分かるんでしょうが,手元にないのでイメージ湧きません。そういえば,本居宣長記念館で本を買った気がするな……。読まねば。
 それにしても,立派な石垣が残ってます。いやはや,素晴らしい。各所でこの城の石垣が賞賛されているのがよく分かります。

古今絵図 解説 大手口 大手筋 大手口から左手方向の石垣 大手枡形
休館中 自己責任 おお〜!! 表門左側の石垣。
おそらくこの上に門があったり櫓があったりしたのでしょうが
礎石っぽい石は特に見つからず
引いたり寄ったりしてみましたが,やはり写真じゃ限界ありますね 蒲生氏郷公の顕彰碑
なぜ唐突にここに
登場するのかはよく分からない
左手方向 右手方向
民俗資料館の解説 御門跡 櫓台

 それにしても暑い。
 いったん表門の方に戻り,今度は表門脇の櫓台の上に乗ったりして(日陰なので),しばし感慨にふけります。

戻る あらためて高石垣 表門跡地を見下ろす かなり切羽詰まった警告文 井戸

 さて,ある程度感慨にふけりつつも,競輪の時間もあるのでのんびりはしていられません。
 というわけで,二の丸に向かって上がっていきます。
 これだけインパクトのある高石垣で防御態勢を築いているのに,二の丸への道は案外簡単。もちろん,門がないはずがなく,ここには土戸御門があったようですが・・・。
 この二の丸,平坦で広々としており,いかにもかつては御殿があったような雰囲気を醸し出しております。特に解説は無かったのですが,あとで買った本(後述)によると,ここにはやはり二の丸御殿があり,紀州徳川藩が宿舎として使い,「徳川陣屋」と呼ばれたようです。ここには「徳川陣屋」とだけかかれた石碑がありましたが,それじゃ何も分からんて…。


土戸御門まわりの櫓台になるのかな

表門方向を振り返る

櫓台

高石垣
肝心なところでピンぼけ

ちょっと引いた図
やはり高石垣のインパクトは
生じゃないとダメだな
広々とした二の丸 紫藤 奥に向かっての石垣
よく見たら日の丸が描かれてますが
なんの意味があるんでしょう?
これだけか…

 さて,二の丸と来れば本丸に突撃するのが本来のルートなのでしょうが,ここでまた悪い癖が出まして,二の丸に向かって上がってくる別のルートがあるようなので,とりあえずそっちに向かっていきます。名前はなんのことはない,「裏門」というようです。普通すぎてなんの感想も浮かんできません。
 ちなみに,本を読んでも古今絵図を見ても,裏門側の石垣上に櫓があったような表記はないんですが,みるからに櫓があったような石垣構造なんだよな…。


裏門に向かって降りる 常夜灯
どちらかというと,この奥の神社のものでしょうか?
左手の石垣 正面 右手の石垣
このあたりの石垣も
なかなかに美しい
裏門虎口 裏門から上がっていくと正面にこんな石垣
この石垣の上には太鼓櫓があったようです

 続いては道が本丸と隠居丸に別れます。隠居丸方向が,本居宣長記念館で,有料ゾーン。攻城だけを目標にするのであれば,もちろん本丸方向に上がっていくわけですが,こちらはやはりニワカ歴史マニアの血も入っておりますので,金を惜しまず隠居丸に向かっていくことになります。


本丸方向

歴史がありそうで
多分歴史的遺構ではない門

太鼓櫓台を振り返る

二の丸を振り返る

 隠居丸にはいると,まずは裏門登城口を見下ろすことができます。石垣の幅的に,本当にこの辺りには櫓がなかったのかもしれないな。
 さらに,本居宣長旧宅があり,さらに進んで言うと,本居宣長記念館であります。
 一瞬,本居宣長はこんなところに住んでいたのか,などとあらぬ誤解をしてしまいそうになりますが(ならないか),もちろん城外からの移築建築物であります。ただ,移築されたのは昭和あるいは戦後になってからではなく,1909年,明治42年というから驚きです。もちろん,明治政府と本居さんは親和性が高かったってのはあるんでしょうけど。
 ここから,本居宣長記念館までの道には場違いな屋根がついており,景観を破壊しています。これぞ昭和建築。いやもちろん,城郭遺構を最優先にしろ,ってのは城マニアのエゴなのは分かってますが。で,この屋根に隠れてますが,ここには埋門があったとのこと。どうも不浄のものを運び出す際に使ったとか。そして,このまわりの石垣も相変わらず素晴らしい。
 そして,本居宣長記念館も完全なコンクリ建築物で,やはり城郭景観を破壊してます。大分府内城に近い場違い感を醸し出してますな。まあ,もちろん,城郭遺構を最優先にするかどうかは地元が決めればいいことなので,部外者は遠吠えするだけに留めます。


裏門登城口を見下ろす

石垣の上

奥まで行くと,櫓台っぽい構造に
 
屋根が邪魔ですが,石垣は素晴らしい

 で,本居宣長記念館に入ります。
 ここで嬉しいお知らせ。コインロッカーがある!冷房がきいてる!ってことで,負担重量を大幅に軽減しつつ,暑さからも逃れられるという素晴らしい環境なのでした。

 2階にいろいろと本居宣長の解説。とにかく字の間違いが少ない人だったとのこと。その他,いろいろ解説がありましたが,疲れててメモする余力がなかったのでほぼ記憶から消え失せました。やはり余裕のある旅行をしなければなりませんな。
 この日はどこかの高校生が修学旅行?で先生引率のもと集団でやってきてたのですが,休みの日なのに先生も生徒さんも大変だなあ。

 ここの1階で松阪城の本(→)を購入。こういう地元の教育委員会がまとめた本を買うのがマイブームになりつつあり,当然満足に読まないので早いところこのマイブームを終わらせないと大変なことになると自覚してる今日この頃です。


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