まわる静岡その1

 4月28日に相良草競馬が行われるということで,草競馬を満喫するために静岡に前泊することを決定しました。
 としたときに,1日目にどこを観光するかというのが論点となります。どうもこの日は静岡競輪の開催日ではないようで,かといって浜松方面まで足を伸ばすのもなんなので,とりあえず急造お城マニアとして田中城と久能山を目指すこととしました。
 田中城は,名前が「田中」という平凡な名前であるために?あまり有名ではありませんが,家康が天ぷらを食べてダウンしたという極めて由緒正しきお城で,今でも本丸跡地に立つ小学校では毎日給食に天ぷらが出る……わけないな。おそまつ。

 田中城といえば,旧武田家支配下の城で,円形の縄張りに特徴があるようです。そして,今もなお道路の形状等にその名残がみられるとのこと。急造お城マニアとしてはこういう面白いお城には是非行ってみたくなります。

 そんなわけで,西焼津に降り立ちました。今回は焼津にいるのに海産物を全く食べないというダメダメ旅行であります。
 西焼津駅前には想像していた以上に何もなく,ここで腹ごなししようと思っていた自分の計画がもろくも崩れ落ちました。田中城下屋敷方面へのバスも少ないようで(便によっては平日しか運行していない),とりあえず時間短縮のために文明の利器タクシーを使うことにしました。結果的に,ここで時間節約したおかげで久能山行きのバスに間に合ったといえそうな気がするので,750円の価値はあったと思います。

西焼津駅
北側には特に店はなし
タクシーは駐車場前に停車 下屋敷の向かいには
面白そうな家がありました
自由に見ていいとのことですが
時間が無いのでパス
一番よく見るアングル 案内図

 そんなわけで田中城下屋敷へ。田中城は本丸まわりの遺構と下屋敷の復元建築物の2カ所が見所とされておりますが,こっちにパンフレット等々があるというのでまずはここから。
 ゴールデンウィーク初日ではありますが,中には人がパラパラいる程度。まあ,まっぷるでもなんでも「焼津」といったら魚であって城ではないもんなあ。とりあえず受付でパンフレットをもらって内部探索。どういう順序でまわるか思案しましたが,とりあえず左回りにまわって復元本丸櫓を最後にみることにしました。
 ところで,パンフレットによると,冠木門はどうも当時の図面をもとに造られたもののようです。てっきりそれっぽく適当に造ったのかと思ってた。失礼しましたー。

 そんなわけで,仲間部屋・厩から。まあ,建物の造り自体は予想通りという感じであります。当時から奇抜なものを作ってない限り予想通りの建物しか登場しないのはやむを得ないところ。

平面図 外観 内部 生活感にあふれます
当時から掃除機を使っていた
というわけではないはず
平島一之門の石
建築材に書かれた文字 馬。どこを見ているのだろうか…

 仲間部屋の裏を見ると,綺麗に花が咲き誇っておりました。
 で,解説やパンフを読むと,ここはもともと庭園だったようです。なるほどねー。
 花をしばし見てから茶室をみて,さらに庭園跡をふらふら,という流れをたどります。面倒なので写真は順序入れ替えます。

茶室 茶室内部

 さて,現地に行くまでは,「どうせ適当にいくつか建物復元して櫓にちょこちょこっと展示物入れておしまいだろ」などとなめてかかっていたのですが……。この下屋敷,上記冠木門にしてもなんにしても,どうも地味ながらかなり力を入れて整備したことがうかがえるつくりになっております。いやまあ,仲間部屋あたりは中が完全に「現代の物置」化していて,力を入れつつも適宜力を抜いてることも分かるんだけどね。
 で,現地に行くまでしらなかったのですが,どうもかつてはここを六間川が流れ,川の流れを利用した庭園になっていたようなのであります。こちとら急造お城マニアなだけでなく,瞬間的庭園マニアでもありますのでちょっとテンションが上がってしまいます。
 そして,藤枝市は下屋敷跡を整備するにあたり,この庭園風景を復元整備したようです。藤枝というとサッカーのイメージしかありませんでしたが,こうやってしっかりと史跡整備してくれてるとは……ありがたやありがたや。これだけ金をかけたであろう場所が無料なんだから旅行者的には嬉しい限りです。

 さて,そうはいっても敷地面積の限界があるので,あくまで旧庭園を一部切り取った形になっております。往時はおそらく屋敷から土塁や築山を遠くに見られる構造になっていたのだと思いますが,残念ながら現在の築山は壁際にちょっと残るだけ。それでも,築山を少しでも残そうとしているあたりに関係者の真面目さが伺えます。

いい構図が浮かばない 泉水 大溝跡。屋敷防御の堀を兼ねていたと思われます
泉水脇にある亀石 中の島の名残とのこと ここにも亀石。鶴石は消失したのに,亀石は2つ残るんですね。
こっちの方が亀っぽいです
そのせいか,こっちは上に1円玉あり
土塁跡 泉水 石畳で六間川跡をあらわしております 武家屋敷らしく,竹林 六間川の流れと庭園風景
大溝にかかる橋 大溝と大松 戻ってきました 奥に築山跡

 さて,かつては下屋敷稲荷は下屋敷の南側にあったようですが,現在の稲荷は下屋敷の裏口脇にあります。入場料無料なので臆することなく裏から出られますので,お参り。

下屋敷稲荷社 鳥居は案外新しい お稲荷さん なぜか梅が 注意されて照れるのはわかるが
なよなよしすぎではなかろうか
でも,足長いですね

 さて,あとは郷蔵と本丸櫓。
 本丸櫓内にはご多分に漏れず城下町のジオラマ。で,改めてジオラマを見てみましたが,イマイチこのあたりの地理を理解できていないせいで(桶狭間のときも感じたことです),東海道が当時どこを走っていたのか,それ以外の街道がどう走っていたのかがよく分かりません。どうも田中城は東海道から若干南にいった場所にあったようですが,今川氏の時代はこのあたりの田畑を統括するための出城として機能したのであろうとして,その後の武田期・徳川期のこの城の役割ってのがちょっと見えてきません。海からも街道からも中途半端に距離があるような気がするんだよな。

郷蔵
柱に当時の書き込みがあるとのことでしたが,発見できず
このあたりでよく見る,お手植えのみかん
本丸櫓 ジオラマ本丸付近 南から 東海道周辺
侍屋敷はあったようですが…
周囲は田んぼ?
復元図面 遺構と現在の周辺図 多分当時の着物です 2階へ 清水御殿
昭和2年焼失とのこと
残念…

 とは書いたものの,やはり東海道からいい距離にあって交通の要所であったことは間違いないようです。三英傑+信玄が泊まったことがあるみたいですな。義元は泊まってないのか。

 そんなわけで,どちらかというとここからが本番。田中城の最大の特徴といえる,武田的円形の遺構を見に行きます。

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