大人の冬休み〜2 Caerphilly Castle

Cardiff〜Caerphilly街歩き

 おはようございます。Cardiffの朝です。人生初のウェールズです。

 ウェールズについて思うところは、とにかくウェールズ語の凄さです。ウェールズは、言うまでもなくイングランドの真横に陸続きで存在する国であり、使っているのはアルファベットです。なのに、どうして英語からかけ離れた言語を維持することができているのでしょうか。もうちょっと影響受けてもいいんじゃないでしょうか。すぐに外来語をカタカナで導入してしまうジャパニーズとしては、ここまで英語の影響力を排除できた理由が本当に気になります。

 そんなわけで、ホステルを出て駅へと向かいます。この日の予定はダブルヘッダー。カーフィリー城とカーディフ城です。
 相変わらずスロースターターなので、ダブルヘッダーなのにホステルを出たのは9時30分ころ。

今回の宿泊地、Bunkhouse St Mary Streetを進みます 正面に見えるのはSt John教会。オープンは10時でした

 St John教会のオープンは10時なので、外観を眺めて先へ進みます。デパートもまだ開いていません。
 通りにはJohn Batchelorさんの像。検索したところ、日本で「アイヌの父」と呼ばれたジョン・バチェラーさんが出てきてびっくりしましたが、生年と没年が異なるのでこの人とは別の人のようです。こちらのJohn BatchelorさんもWikipedia記事がある著名な政治家のようです。何がビックリって、BatchelorさんのWikipediaよりも、Batchelorさんの像のWikipediaの方が充実していることです。どうも、保守党側からこの像を撤去すべきとの運動があったようですね。

Queens Archade John Batchelorさん カーディフ・メトロポリタン大聖堂 その向かいの建物
どうも今は単なる会議場に
なってるっぽい

 てなわけで、Cardiff Queen Street駅に到着。事前に買ってなかったので現地でキップ購入。思ったよりも安く、4.3ポンドでした。

駅に到着 4.3ポンドでした バス案内 改札 駅名表示
Wales語と併記です
ARRIVAのディーゼルカーです

 ディーゼルカーでCaerphillyへと向かいます。ディーゼルカーというと、宇和島へ向かう宇和海を思い出してちょっと懐かしくなりますね。
 ところで。今回の目的地であるCaerphilly。なんと発音するのでしょうか。自分は直近まで「カーフィリー」だとばかり思っておりました。ところが、日本でCaerphilly城についての記事を探すと、「カイルフィリー」という表記が見つかりました。さらに、Wikipediaは「ケルフィリー城」という表記です。また、たまたま発見した国立歴史民俗博物館の小島道裕教授「カーフィリー城」表記を採用していました。歴博の教授と同じなら心強い。これは勝った!
 そして、こういうときに頼りになるのが現地のYouTube。こちらこちら、あるいはこちらを聞いてみたところ、キャフィリー的な発音をしているように聞こえます。なんだ、全部違うじゃないか!

 さてさて、歩いていると、歩行者天国に到達。露店が出ております。日曜日限定の市場なのか、クリスマスマーケット的な露店なのか、ちょろっと訪問しただけの私には分かりません。とりあえず、こういう街にもしっかりとブックメーカーCORALが店を構えていることを確認できて満足です。

Caerphilly駅に到着 St Martin教会 庭には花束が 道を進みます
歩行者天国 露店が並びます CORAL発見

Caerphilly城

 歩行者天国で盛り上がっていたこともあり、飽きることなく街歩きができました。程なくして、Caerphilly城に到着です。カタカナにするとボロが出るので、こういうときは現地表記で書けば良いのです。
 まず出迎えてくれるのはアヒルの集団でした。アヒルを見るとアフラックを思い浮かべてしまうのは人間の性。アヒルのCM、日本でしかやってないのだとすると、アヒルを見てアフラックを思い浮かべるのは日本人だけ、ってことになるのでしょうな。


 このCaerphilly城、Wales最大の城にして、イギリス国内においてもウインザー城に続いて2番目に大きな城として知られております。
 そして、あえて主語を大きくして、日本人的な視点から言うと、堀に囲まれた技巧的な縄張りを持った城という意味において、日本人好みの城であると言えると思います。少なくとも、自分としてはイギリスの城の中でエジンバラと並んで一番好きな城です。

 歴史的なことはあらためてWikipediaを見れば良いのですが、当地で買った本を著作権を気にせず載せてしまうことにします。どうせ誰も見てないだろ。こういうときに泡沫サイトは強い。もし見てたらごめんなさい。なお、このCaerphilly城の項目はChepstow城登城記のあとに書いているのですが、私はここで本を買ったことを本気で忘れていて、「私がイギリスにいるうちに買っておけばまったく問題がなかったのですが、馬券の成果が芳しくなかったこともあり、貧乏人の私がそんな大量にガイドブックを買えるはずもなく、買わないまま帰国してしまいました。」などと書いています。馬券のせいかが芳しくなかったことについては記憶違いは無いと思うのですが、とりあえずきちんと本を買っていた自分を褒めたい。というか、下手したら通販で二重購入してダブってた可能性があるのか。なにやってんだ。
 なお、当地への登城記としては、Chepstowでもお世話になったイギリス古城散歩様のほか、Amazing Travel様などが秀逸ですので、こちらをご参照ください。


パンフレット Medieval Castles of WalesよりCaerphilly城に関する部分を抜粋
  
中世ヨーロッパの城塞」より 現地販売の本より

 さて、このCaerphilly城。築城は13世紀とされています。13世紀というと、日本は鎌倉時代です。ということは、東ヨーロッパはモンゴル軍に攻められてアップアップしている時期のはずで、西ヨーロッパはどこまでその影響を受けていたのかは知りませんが、日本のように海で守られていたわけではないヨーロッパにおいては、城や壁ベースで防御する必要性は高かったはずです。というかですね、こんなレベルの城、日本の戦国期でも攻略できるイメージがわかないのですが……。

@ South Gatehouse


 上記のパンフレットやら本やらの縄張り図や鳥瞰図は見ている方角がそれぞれバラバラで、非常に分かりづらいのですが、駅から城へと向かうと、南側から城に接近することになります。一番図面が大きくて分かりやすいGround Plan↓は、下が東、右が北で左が南になっており、“From Town”という表記が左上から来ていることが分かります。


 このルートで城に接近すると、土橋(石橋)の左側はSouth Lakeで水堀になっているのにたいし、右側は芝生が敷き詰められた空堀になっております。ここが昔から空堀だったのかはちょっと謎ですね。

南側から城に向かって左〜右
左は水堀、右は空堀です
左側(西側)に移動して、本丸部分と本丸への橋などを撮ってみる
本丸と本丸への跳ね橋をあらためてズームで 向かって右手方向

 この、正面に見えている門は、South Gatehouseという名前です。日本語に直すと南櫓門という感じでしょうか。こちらは閉じられており、ここから城に入ることはできません。
 South Gatehouseは、1316年、Llywelyn_Brenの攻撃で破損したとされているようです。
 Gagtehouseで上を見上げると、落とし格子か落とし扉があったようなスペースがあります。
 また、ゲートの上に穴が2つあります。いかにも跳ね橋収納用に使っていたような穴なので、やはり向かって右側も水堀だったんじゃないかという気がしますね。

South Gatehouseへの道 鉄格子で封鎖されてます 上を見上げる 中世ヨーロッパの城塞」より
城門の諸要素
South Gatehouseから街方向 隙間が気になります Costaのゴミが放置されております

A Main Gatehouseへの道

 さて、South Gatehouse見学を終えて、堀のまわりをぐるっと回ってMain Gatehouseへと向かいます。




South Gatehouseと
そのまわりの区画
ここの塔には名前はなさそう その右の空堀 円筒を正面に もうちょっと進んでぐるっと見回す
もうちょっと進む South Damをぐるっと
正面に見える四角い塔は、
上記解説によると1400年代に付け加えられたFelton's Towerというようです
さらに接近

 South Damなんですが、ぱっと見はSou Gagtehouseから入城する際に東側の防御を固めるための施設、というだけのものかと思っていたんですが、解説本を読むと、ここにトウモロコシを挽くためのMillがあったようです。どこにどう水車が設置されていたのか、イマイチイメージがわかないのですが、どこの水流を使ってどういう水車を設置してたんでしょうかね……??
 ※ すぐに結果が判明します

 さて、歩いていると、城の模型が登場。雨が降ったせいで勝手に水堀ができあがっております。


B Main Gatehouse

 さあ、そしてようやくやって参りましたMain Gatehouseです。日本で言うならば大手門。まさに正面の守備を司る重要な門であります。
 そして、そのガードを固めるのが前後にある跳ね橋。さらに、門には落とし格子があるという贅沢な防御態勢です。
 贅沢な防御態勢なのはいいとして、ちょっと気になったのが、このMain Gatehouseまわりは水堀でなく土台の地面が見えていること。日本でいう、犬走りに近いものと言っていいのかは分かりませんが、とにかく攻撃側が陣地にできそうな地面があります。もちろん、こんなところに立ったところで死角になるわけでもなく、周囲から攻撃されて針のむしろになるだけなのかもしれないんですが、これは後世になって城郭の保全のために陸地を広げたのか、もともとこういう構造になってたのか(当時から水で城門が崩れないように陸地をつくっていたのか)はちょっと気になります。

接近します 城門を正面に、左右の水堀を見る 水堀に水鳥
正面を見ていきます 入城料金
Gatehouseに向かって左側 向かって右側
さすがに陸地部分多すぎない?

 このGatehouseの構造については、詳細に解説している文献があり、泡沫サイトとしてはなにも気にせずに引用してみたいと思います。消せと言われればすぐに消します。
 こうしてみると、単に「跳ね橋」といっても、鎖で橋を持ち上げて引き込めばいいというものではないことが分かります。日本的な発想だと、橋なんて燃やして落としてしまえばいいんじゃないかと思ってしまうのですが、そうもいかなかったのでしょうね。


C South Dam Platform

 Main Gatehouseを通過して、一般人は真っ直ぐ正面、本郭へと向かうわけですが、私はひねくれ者なので左に曲がります。先程来眺めてきた、South Damの内側になります。内側がどうなっているのか気になるのが人情です。

向かって正面
こっちに向かう人が大半
向かって左のSouth Dam方向 South Dam側から
Main Gatehouseを見る
South Damから
本丸への跳ね橋を見る
South Damから本丸島を見る

 さて、先ほど、South DamにはMillがあった、という書物の説明を見ました。こちら側に入ると、実際に水車の痕跡を見ることができます。


 さらに、昔の武器も展示されています。こういうのは観光地らしくていいですね。

Ballista。据え置き式の大型弩砲です Mangonel。カタパルトの一種のようです
Trebuchet。日本語では平衡錘投石機というようです Perrier。検索しても水しか出てこない

 奥に進みます。先ほど外から見てきた、円塔やSouth Gatehouse、Felton's Towerを見て回ります。

Felton's Tower South Damから対岸を見る 外から見たら円塔でした 円塔とSouth Gatehouse South Gatehouse
外から小部屋を覗いた図 South Gatehouse 扉の隙間から反対側を 上を見上げる
右側の部屋に入ります 入って左を見て正面。暗いものと明るさ調整したものをセットで
矢狭間から外を見る 矢狭間から左、正面、右
狙える幅は小さいですが、South Gatehouseに向かってきた敵を射ることは可能
振り返る
右から入ってきました
明るさを調整した写真
続いて左の小部屋へ 入って右正面 上にフラッシュ焚いてみた 矢狭間から外 矢狭間からは
South Gatehouseに向かう
敵を正面に撃てます
振り返る
円塔側からSouth Gatehouseと武器展示方向 円塔
円塔内に入ります 内部の様子 天井部 穴があったので撮ってみたけれど
よく分からなかった

 最後に、South Damの付け根部分の四角塔。この四角塔に向けてMillの遺構がある、というかたちになります。South Dam Platform上は色々と埋まってますが、昔はこんな感じで水路が巡っていたのでしょうね。

挽いたところから 塔に近づく 水路の様子 中に入ります
中の様子 なんかおっさんの像がありました
これから切腹しそうな空気感がありますが……
西向きの狭間 入口脇(北向き)の狭間

 さあ、いよいよCentral Islandへと向かいます.Central Islandは外側がMiddle Ward、内側がInner Wardという呼び方をされているようです。日本だと、島の外側が二の丸、内側が本丸、という呼称になるんでしょうかね?
 そんなわけで、まずはSouth Dam PlatformからCentral Islandを眺めます。


D Outer East Gatehouse〜Middle Ward〜South East Tower

 さあ、内堀を越えてCentral Islandへと向かいます。Outer East Gatehouseは、真ん中の部分が存在しないので、左右の円塔の間を抜けていくだけです。

さあ、Central Islandへ! 橋を渡ります 内堀 正面。SouthEast Towerがどうしても気になります 内堀 Outer East Gatehouseを
抜けていきます

 上にも書いたとおり、Outer East Gatehouseを抜けて、Central Island内の建物の外側、日本で言うと二の丸、あるいは帯曲輪の部分を、Middle Ward読んでいるようです。
 このMiddle Wardに遺構だけ残っているのが、長方形のStorehouse。こういう所に蔵があるのは洋の東西を問わず共通ですね。解説がないので、何を仕舞っていたのかは分かりません。ただ、遺構を見るに、結構大きな蔵ですよね。


 そして、外観上とにかく目立っていたSouth East Tower。今にも崩れ落ちそうな、素晴らしい造形です。これだから地震の無い国はうらやましい。
 この塔は清教徒革命の際に攻撃を受けて傾いたとのことです。あなおそろしや。そして、1640年代から現在までこのかたちを維持してるってのは凄い……。繰り返しになる枡が、これだから地震の無い国はうらやましい。なお、この塔の付け根には、塔の崩壊を防ぐべく塔を支え続けているうちに何者かによって木化させられたおじさんがいます。ドラクエ5の主人公もビックリですね。


E Inner East Gatehouse

 さあ、いよいよCentral Islandへ。まさしく最後の砦、といった感のあるInner East Gatehouseです。
 中に入り、2階にはベッドがあります。これ、日本で言うところの楼門ってこんな優雅に寝られるような空気感だったイメージゼロなんですが、イギリスだとこんな感じなんでしょうかね?まあ、戦時はともかく平時なら誰かがここに住んでても全然おかしくないとは思うけど。
 そして、3階にのぼると、屋上に出ることになります。屋上。日本の城だと、屋根があるので、「屋上に出る」という行動を取った記憶がありません。なかなかに新鮮な気持ちになります。
 また、3階の部屋には暖炉があります。イギリスなんだから家に暖炉があって当然なんだけれど、日本の城に暖炉があるなんてイメージがゼロ過ぎて(火事になるから当然といえば当然)、これまた新鮮な気持ちになります。

正面に見る 斜めから見上げる 入っていく 中に入ります 階段
2階。ベッドがあります
ここだけ見たら
単なる住居です
3階。暖炉のある部屋です 屋上に出られます 屋上の様子
東側を見下ろす 東側を眺める 西側を見下ろす 2階。こちら側にもベッドがあります 通路側から
ベッド
どこにあったか忘れました
反対側に抜ける通路 ジオラマがありました

F Inner Ward

 いよいよラスト。Inner Wardです。日本で言うところの本丸ですね。
 長方形のスペースが、石造りの建物と壁に囲まれております。Chepstowでも似た疑問を抱いた記憶がありますが、日本の場合だとこのスペースに御殿があったりなんかしたわけですが、イギリスの場合このスペースはスペースだったんでしょうかね??

向かって左
Great Hallが見えます
向かって正面方向 正面のWest Gatehouseへと接近します

 いかんせん訪問は6年前なので、残された写真から自分の行動を振り返るしかないわけですが、このタイミングで向かって右側の写真を撮ってなかったりして(テントがあったせいだと思う)、なかなかに興味深いですね。
 そんなわけで、西へと向かいます。East Gatehouseを振り返りつつ、South West Towerの方向へと向かいます。先ほど見てきた、倒壊したSouth East Tower側が気にならない方がおかしいと思うのだけれど、どうも当時の自分はそっち側に入った形跡がありません。我ながら自分の行動は理解に苦しむ部分があります。おそらくですが、時間的に厳しくなってたんだと思います。

東方向を振り返る 北東方向 South West Tower方向
なかなかに廃墟感があります

G West Gatehouse〜Middle Ward

 そして、West Gatehouseの門を抜けて、再度Middle Wardを眺めます。
 このあたりは特に何の遺構の痕跡もありませんが、Storehouseも無かったのでしょうかね??

West Gatehouseを抜けます Middle Wardから、West Gatehouseを見る 南方向を見る ぐるっと回っていきます
振り返る 北側のMiddle Ward North West Tower Gatehouse方向 さらに東方向に進みます
奥はこんな感じ 見上げる 西方向を振り返る North West Tower 看板 謎の石像

H 再びInner Ward〜2階へ

 そして、Middle Wardから、壁面の穴を抜けてInner Wardに復帰です。この小さな抜け穴っぽい通路、昔からあったんでしょうか……?

ここからInner Wardへ Inner Ward側から見た図 抜けた先のはこんな感じ そこから、東側と南方向

 そして、Noerth West Towerを登って、回廊へと入っていきます。この城は北側にだけ2階部に回廊がありますが、これはもともとこんな感じだったんでしょうかね??そしてこの回廊、部分的に屋根があるわけですが、これって昔からあったんだろうなあ。西洋の城ってあまりこの部分に屋根、しかも木製の屋根があるイメージがわきません。スーパーマリオの城だって、石の壁があるだけで、そこに木の屋根がある城の風景はないわけで、それを見て育ってきた私としては違和感がありありです。勉強になるなあ。

 North West Towerにはベッドはありませんが、ここにも暖炉があります。いやあ、イギリスですね。もしかしたら、ここの火を使って攻め手を攻撃するのかもしれませんね。
 そして、螺旋階段。天井部のかたちが非常に美しい。この形にするのがもっとも頑丈なのか、それとも何らかの美的センスが働いた結果こうなるのかは分かりません。螺旋階段の先はほらSecretなのであります。共犯のメロディを奏でるBlack lightはありませんが……。

South West Towerへ入ります 2階の通路部分からぐるっと見回します West Gatehouseへの扉は
封鎖されておりました
South West Tower方向
回廊を進みます ここから、南方向を見る さらに回廊を東へ
屋根が無くなりました
そこからぐるっとInner Wardを見回します
屋根付きの回廊を戻ります 写真の明るさをいじりながら、South West Towerの2階部を撮影
ここにも暖炉がありますね
South West Towerの暖炉 らせん階段 封鎖されております
螺旋階段の先は
天井部。非常に美しい


 最後にGreat Hallへ。Great Hallの入口には巨人が待ち構えております。あなおそろしや。
 中は売店状態でした。せっかくなので、Welsh Cake。4個で1ポンドとお買い得でした。当時の私のメモには、「パサフワしており、ねちっこさはない。ブドウが少ない気もする。ぱさついてる分歯につかず、サクッとしたお菓子として優秀」との記録があります。

巨人が入口に Great Hallの雰囲気 Welsh Cake

 今さらではありますが、場内はイベント広場と化して盛り上がっております。

井戸 井戸にコインを入れる文化は
世界中にあるのです
弓矢ゲームがおこなわれておりました

 そして、ハンバーガーも購入。「玉ねぎもう少し焼いてくれないですかね…。」というメモが残されております。


 メモには、「12時34分ころに、12時25分バス到着。学割無く3.80」というものが残っているので、やっぱり最後は時間的にきつかったのかな。

 いずれにしても、堀に囲まれた非常に見所の多い、素晴らしい城でした。ここは是非また再訪したい。日本人向きの、本当にいいお城です。


Lingfield ParkCardiff城

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