コウコノコデラ

 2018年にクラウドファンディングのイベントで山中城を訪問した際,三島市の職員の方からNPが業界関係者だと間違われました。このとき伺ったのが,愛媛県にある世紀の大発見として名高い古墳についてです。そんなものが身近にあるとは全く知らなかったので,名前すら記憶することに失敗するレベルだったんですが,とはいえそんな凄いものが愛媛にあるとなると,やっぱり気になります。
 というわけで,調べてみたところ,どうもその大遺跡の名前は葉佐池古墳というらしく,未盗掘のままミイラが発見されたことで知られております。Wikipediaの記事がつくられていないので素人としてはいろいろと困ってしまうのですが,それは大きな問題では無い。すぐにURL変わるからあまりリンクしたくないんですが,とはいえ自分であとで困るのでとりあえず松山市の案内にリンクを張っておこう。
 そして,検索してみると,葉佐池古墳に関する展示が松山市の考古館にあるとのことです。考古館へは,公共交通機関よりも自転車が便利なので,自転車で考古館に乗り込むことにしました。午前は考古館,午後は松山競輪場で全プロ競輪という一日を極めて有効に使う作戦であります。早起きさえできればいいのです。それが一番難しいのだけど。

 そんなわけで,考古館方面に向かう途中,まずは朝日八幡神社に立ち寄ります。ここは初めてのはず。土曜日の朝なので,静かです。ご家族連れが一家で参拝に来られておりました。こちとら死ぬ思い出早起きしてるんですが,おそらく一般の皆様にとってはなんてことないんでしょうね……。


 続いて,松山に残る数少ない国宝建築の1つがある,大宝寺。国宝なのでちゃんとWikipedia記事があります。朝日八幡神社と同じ山にあるのですが,いったん下まで降りないといけません。メタボにはいい運動になるとはいえ,テンション下がります。あと,愛媛の大宝寺というとこっちよりも四国88カ所の霊場になっている大宝寺の方が有名ですね。残念ながら霊場の方の大寶寺には行ったことがありません。こちらの大宝寺にも前回松山を去る際に参拝しました。2回目です。
 前回は国宝寺院とは思えぬ寂しい雰囲気に面食らったのを覚えておりますが,今回は2度目なのでその意味での驚きはありません。
 この日はなにか法事がおこなわれているようで,国宝本堂の中に入れず。前回も入り損ねたはずなので,2連敗であります。無念。

大宝寺へ 山門 階段 境内 手水 解説
本堂の何が凄いのかよく分かってないので,とりあえずいろいろと撮ってみた図

 ここ大宝寺は,本堂のほかにうば桜で有名であります。もちろん,一般的に有名なだけでNPは知りません。前回来てから今回までのあいだに完全に記憶から飛ばしていたレベルです。
 品種としてはエドヒガンと呼ばれる桜のようですね。このうば桜にまつわるストーリーは小泉八雲の手で英訳もされたようです。それにしても,大宝寺のWikipedia記事はこの寺院の開設をパクりすぎじゃ無いだろうか。ここまで大々的に引用するなら直接的に脚注つけた方がよくないか。
 

うば桜 解説 乳母桜像 歌碑
花みれば 齢そのふる 世の人の 老ぬ薬や 桜なるらむ

 ちなみに。なんとなく撮った石碑は「古照山由緒」というものでした。この古照山というものの存在に気付くのはこのあとのこととなります。もちろん,こんな写真を撮ってたことに気付いたのは家に帰ってからのことになります。復習って大事ですね。

古照山由緒 こちらにも古照山由緒
とあるので,
これが壊れたから
←を作ったのでしょう
六地蔵 太師堂 念ずれば花ひらく 山門

 さてさて。そんなわけでいよいよやってまいりました。松山市考古館。ニワカ歴史マニアが意気込んで突撃です。
 この手の考古館は,小学生の社会科見学などで行くことはあっても,大人になってからはなかなか立ち入る機会がありません。お城巡りのついでに地域の歴史博物館に入るようにはなりましたが,まだまだ縁遠いものです。松山市も,こんな場所に考古館を設置するあたり,地元民しかお呼びでないよな。
 自転車で突入しましたが,道中気になる高床式倉庫や古墳の案内もありました。このあたりはとりあえず後回しにします。

案内 大連古代蓮 何気なく撮った向かいの山
これが古照山なのかな?
設立にあたって
1989年設立なので,
思ってた以上に新しい博物館です
SNS全盛時代に入り
写真撮影が許可されました
鴟尾。来住廃寺から鴟尾が出土し,大阪の四天王寺のものをモデルに作り直した,ということのようです 甕形土器 イノセラムスの化石 ナウマン象の化石
どこから出土したのか
書かれておりません
道後新温泉鬼瓦。考古学と関係なさそうなのですが
ほかに飾る場所が無かったのだと推測します
桑原中から広い時代の遺跡が出てきた,ということのようです

 本日のお目当ては葉佐池古墳だったのですが,例によってなんとなく展示を写真撮影していました。普段は時間の無駄だと自分でも思うんですが,先ほどの古照山由緒の石碑といい,たまにヒットが飛ぶから困ってしまいます。そして,復習の重要性を再認識するのでありました。

 てなわけで,よくぞ撮ってたな,と思う客谷古墳出土品。客谷古墳は,ここに来る途中に出ていた案内に従うとみられる古墳です。帰りがけに見ることになります。
 展示されていたのは4号墳と6号墳の出土品です。ほかの古墳のものは別に保存されているのか,あるいは盗掘されたのか。
 客谷古墳については,もちろん発掘調査の報告書はつくられておりますが,私のような素人向けの書籍はぱっと見見つかりませんでした。まあ,予算も厳しい今日この頃,そうそう作ってられません。


 そして,続いて現れるのが目立つ木組み。これが,この日の最大の発見でした。行ってよかった考古館。
 これこそが,古照遺跡にまつわる展示なのであります。いやあ,こんなに興味深いものがあったとは知らなかった。もちろん,まっさらな状態で考古館でこれを見たからこその感動で,事前に知ってたら特に何も感じずにスルーしてた可能性も大ですが。

 そんなわけで,この古照遺跡。4世紀頃,古墳時代前期につくられた堰が昭和47年に発見発掘されたものです。農業灌漑用の堰が発掘される,ってのはテンションが上がりますね。しかも,「ここに堰があったらしい」というレベルを超えて,しっかりとした木組みが発掘されているというんだからこれはビックリ仰天です。しかも堰は3段。当時の方々の知恵と工夫が詰まっております。こういうものを見ると夢が膨らみます。
 しかも。この堰に用いられていた木材は,高床建物の柱を転用したものだとのことです。そう,さっきここに来る途中に見た高床建物は,この古照遺跡の堰を作るために解体された高床建物の復元展示だったのであります(なお,お馬鹿NPは完全に独立した展示だと思っており,高床建物が古照遺跡の堰の元となっていたことを知ったのは帰宅後です。復習がいかに大切かが分かります)。

 この堰の復元展示の脇にはビデオがあります。普段は解説ビデオはスルーするか,つけたとしてもBGMとして聞きながら展示物を見るんですが,今回はしっかりとビデオ画面に見入ってしまいました。画質とかをみてもそこそこ昔に作られたものだと思われますが,ここに出てくる図面とかは非常にわかりやすい。もうちょっと解説展示なんとかしてほしいと思ったり。

古照遺跡!! 昭和48年の発掘の様子 昭和47年発見のものです 古照遺跡出土土器 解説ビデオ
普段は聞かないか
BGM程度の扱いにするんだけど
しっかり見てしまった
わかりやすい図
これ,普通に表示しておいてほしいですね
発掘された遺跡の様子
出土品。どんぐりやらなんやら 発掘の様子 公開説明会
大人数が押しかけてます
堰の復元展示 木のつるで固定しています 高床建物の柱を
堰に転用していたとのこと
水をせき止めるわら材 先をとがらせた杭材

 あとでTwitterで検索したら,まるっと動画を撮ってる人を発見。善し悪し考えずに貼ってみる。

古照遺跡の説明 pic.twitter.com/MaOfReuAbT

— ナラノナカイ (@Naranonakai) November 22, 2019


 いやあ,葉佐池古墳の展示を見るためにやってきた考古館で,まさかこんなに興味深い遺跡展示に出会えるとは。
 全プロまで時間があまりないんですが,ビデオを2回流すなど,思いっきりここで時間を使ってしまいました。

 このまま途中をすっ飛ばして葉佐池古墳に向かってもいいんですが,いちおうちょっとだけほかの展示も挟みます。まあ,旅行先でこの手の展示を見ても,「ああいつもの土器か」「また鏡か」と流すんですが,やっぱりある程度発掘された場所の地理が分かってると違う思いもあります。

大淵遺跡の彩文土器 分銅形土製品
松山市では土偶が発掘されていない,というのが興味深い
そして,考古館のゆるキャラがこの分銅形土製品なので,
この考古館の目玉はこれなのであります。
絵画土器 矢の刺さった鹿。なぜこれだけでここまで
絵の全体像を思い浮かべられるのか
こっちは何を描いているのか
分からないままのようです
鹿
このころから竜が日本にいたのか
松山平野で一番大きく描かれた鹿 埴輪〜〜 鶏形埴輪 こっちでは鶏ではなく
水鳥だとされている
人物埴輪 円筒埴輪
播磨塚天神山古墳
南梅本にあるらしい
蓋形埴輪 盾形埴輪 鶴ヶ峠古墳群

 展示が古墳時代になると,いよいよ葉佐池古墳が近づいてきます。でもそのまえに。もう1つ,大々的に取り上げられている古墳があります。
 場所は南白水。瀬戸風峠古墳群という,瀬戸風バンクを思い起こさせる名前の古墳です。古墳(4号墳)の石室の奥の区画が木炭床でできているとのこと。全国的にも木炭床の古墳は珍しく,しかも木炭床にした理由もよく分かっていないようです。まあ,合理的な理由が述べられてはいるものの,「作った人の気分」「なんとなく」なんてことがあってもいいんだよな。

瀬戸風峠古墳群について 木炭床について 発掘時の写真 石室のレプリカ

 さてさて。いよいよメイン。葉佐池古墳に関する展示です。
 なんというか,メインのG1につられて競馬場に行ったら午前中のレースから興味のある馬が出ていて興奮しすぎた,という状態ですね。

 これまでもいろいろな凝った展示がありましたが,葉佐池古墳に関する展示も気合いが入っております。それだけの大発見だった,ということでありますね。国指定史跡だけのことはあります。国指定史跡だと,松山市だけで無く国からも多少は予算おりたりするんでしょうかね??
 ところで,完全にどうでもいいんだけど,「埋葬」という言葉を打つたびにマイソールサウンドを思い出すな。本田先生の空気読めなさが広まったきっかけの馬だしな。


墳丘模型。せっかくなので角度を変えてみたが,あまり意味は無かった 埋葬の様子
1号石室出土の様子 遺体についた
ヒメクロバエのサナギのカラ
再現状況 復元木棺と復元ミイラ
これは弁天山古墳の
箱式石棺の復元
弁天山古墳の石棺の説明 古墳公園のオープンは
2,014年7月なので
わりと最近のことです
1つの墳丘に5基の石室。そして1号石室の位置
石室が5つというのが多いのか少ないのか
分からないというレベルで,
古墳のことを分かってないことが分かった
とりあえず,須恵器造りが盛んな場所だったようです
1号石室 2号石室
持ってみよう 様々な出土品。いずれも保存状態良好です

 これで葉佐池古墳関係の展示は終わりです。さすが,これまで外気に当たること無く封印されていただけあって出土品もきれいでいいですね。
 上にも書きましたが,1つの墳丘に石室が5つ。これが多いのか少ないのか分からない,というレベルで古墳のことを理解していないということが分かりました。勝手に1つの古墳には部屋は1つだと思い込んでましたが,考えてみたらピラミッドなんかはたくさん部屋があるものね。下手したら,「古墳なのか自然の山なのか分からなくなったけどそこに埋葬に適した場所があるからとりあえずそこに埋めてみた」的なものがあってもいいものな。


 さて。続いては来住廃寺と久米官衙遺跡。いずれも地図では見たことがあるのですが,一体それがなんなのか,まったく分かっておりません。来住の方は廃寺ってんだから昔寺があったんだな,くらいは分かるけど。整備委員会のウェブサイトが見つかったので,とりあえずリンクをはっておこう。
 これ以上いろいろ載せまくるのは,いかに自分の記憶喚起目的とはいえちょっとやりすぎな感もあるので,控えめに。松山市のページからパンフレットも見られるし。どうせすぐにリンク先が無くなるんだろうが。

解説
完全にぶれたけど
中身はパンフレット見れば
大体分かる
出土品をいくつか
アップしなかったけれど,出土した瓦が実は重要な意味を持っているらしい
このあたりのことは素人には分からない……
寺院の発掘 金堂を発掘 古代・中世の墓制 客谷古墳について

 別室では,特別展も開催されておりました。「四国の風土と暮らし」という広範囲な地域を対象とした展示です。貧乏性なので,ここもしっかり見ましたよ。
 これも全部アップしていったら怒られると思うので,いくつか。




 というわけで,お疲れ様でした。期待以上に充実した展示で,個人的には非常に楽しめました。そして,こういう場所はやっぱりそれなりに時間と体力的余裕をもっていかないといけないな,と思ったのでした。





 では,古照遺跡と関係のある高床倉庫へ。考古館開館以来吹き替えていなかった茅葺き屋根を2015年に葺き替えたようで,その様子の写真も残っておりました。吹き替え前の姿はなかなかにショッキングですが,他方で1989年の開館以降台風もあれば大雨もあっただろうに,よくぞこれで済んでたな,とも思う次第です。


愛媛新聞の記事 改修中の写真 改修前の姿 解説 倉庫

 そして,寄るかどうか若干迷いましたが,今行かないと一生行かないことがほぼ確実なので,案内板に従って客谷古墳へ。
 一カ所に複数の墳丘がまとまっており,非常に興味深いです。まあ,外観しか見られない以上「丘ですね」と言われたら「その通り」以上の回答はできないわけですが。でもまあ,こうして大昔の人のお墓がこうやって一カ所にポコポコまとまっていて,今自分がその上を歩いたりしているわけで,なんとも言えない気分になります。まあ,ヨーロッパ教会なんかでもお墓の上を歩くのは日常茶飯事ではあるけど。

遠目に考古館 埴輪君 徒歩1分の安心感 客谷古墳群解説 上にのぼったときに見える光景
5号墳と4号墳 6号墳 未調査の古墳 4号墳 6号墳 1号墳

 そんなわけで,このままJR松山駅へ。一度は食べてみたかった,謎の喜多方ラーメンのお店でチャーシュー麺。一体どういう経緯でここで喜多方ラーメンを売ることになったのか興味は尽きません。
 そして,松山競輪場へと向かうのでありました。このあとは全プロです。

喜多方ラーメン 競輪場行きバス停 無料バス時刻表 サテライトこまつ行きバス
これを使えば小松までタダで行けてしまう!


全プロ競輪@松山競輪場

ホリノヤマナカ(山中城クラウドファンディング)/マツノハザイケ(葉佐池古墳)


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