オカノシモツイ(下津井城その2)

5.8 二の丸

 下まで降りました。二の丸です。三の丸〜中の丸方向を見て向かって左側にちょっとした石の列があって土が盛り上がっているので、おそらくここに番所か何かの建物があったのでしょう。

下から階段を見る 二の丸
向かって左には
なにかがあったはず
本丸への階段と
大手愚痴への通路
この上が本丸ですが、藪に埋もれて
石垣があるかどうかは不明です

 そして、本丸への階段の奥をまわっていくと、休憩所があり、合わせて解説板もあります。本丸でなければ駐車場でもなく、二の丸のこんなところに解説板を設置するとは、一体何を企んでいるのでしょうか。

休憩所への案内 進むと、二の丸です 遺構図 二の丸の様子

 この二の丸からは、瀬戸内海の景色がしっかりと見えます。いやあ、瀬戸内海っていいですよね。

二の丸からの眺め 下津井祇園神社 別角度からの眺め

5.9 二の丸腰曲輪〜大手口〜二の丸西側上段

 さて、休憩所のあるスペースを突き進むと、先ほどの本丸〜二の丸上段の下部分、一般には腰曲輪と呼ばれる部分を進むことになります。このあたりにも石垣が見られたり、大きな石がゴロゴロしていたりしております。人為的に破壊されたのか自然に破壊されたのかは素人には分かりませんが、兵どもが夢の跡感は出ております。

奥に進んでいきます 右手の石垣 十七番 さらに進みます 右手は石垣の残骸
十八番 さらに進みます 十九番 どんどん進みます 下の石垣
さらに進みます 山側(本丸側)の石 さらに進む 山側の石アゲイン 先が見えた

 二の丸腰曲輪を突き進んだ結果、正面に緑の芝生が見えてきました。下津井城を訪れてからはや2年半。完全に記憶がぶっ飛んでいたため、この先に見えてきたのは二の丸西側下段だとばかり思い込んで写真を見ておりました。が、よく見ると、正面に見える石垣と石仏は、さっきみた二の丸西側上段の屋門櫓台石垣ですね。というわけで、二の丸腰曲輪を突き進むと、二の丸西側上段の曲輪に到達するのです。そして、そこから左手を見ると、大手筋に到達するのでありました。
 つまり、さきほど私が二の丸西側下段からおりていった道は大手筋ではなく、大手の一本先(西)の通路だった、ということになります。もちろん、どこかで大手筋と合流してるんだろうけど。

 大手筋から下津井城に登城するルートを考えると、登ってきて左に平地が開けていると、二の丸西側上段に行き着くわけで、やはりあそこから本丸に直登する道は無かったんじゃないかと思ったりします。

 んで、せっかくなのでちょっと大手筋を降りてみます。

大手から登って
左を見ると二の丸西側上段
大手筋の下山路 さらに進んで、ここで折り返し
大手虎口を見上げる ちょっと下がって見上げる
あらためて、石垣と虎口を見る

 この大手虎口も一部石垣が崩れてますし、そもそも大手から入るに当たって石垣が丸められているようにも見えるので、かつての姿はちょっと想像つかない部分があります。どこかに復元模型とかないのだろうか。

石垣が崩れている箇所

 で、もときた道を戻ります。


こんなところに石仏
何番かは不明

5.10 二の丸〜三の丸

 あらためて、本丸から降りてきた二の丸東側曲輪に戻ります。さっきも見ましたが、ここは三の丸に向かって左側、法学としては北側に、石垣遺構があり、おそらくなにか建物があったのだという空気感が残されております。

二の丸に戻り、東側に進んでいきます 十四番 振り返る

 そして、三の丸へ。ここはそのまま一直線に三の丸に入れる構造になってますが、これでいいんでしょうか。北側の石垣と相まって、なんらかのギミックがあったような気はします。もちろん、大手口から登ってきた人を(本丸でなく)三の丸に流すために、あえてこっちを広くとった可能性もあるのかもしれませんが。

三の丸へ 二の丸が名残惜しい 十三番 三の丸に入ります 十二番
三の丸の西側から北〜東をぐるっと 三の丸の南側から西〜北をぐるっと

 通路から三の丸がフルオープンになっているのですが、おそらく三の丸にはなんらかの屋敷があったからなのでしょう。
 三の丸の北側は、石垣・土塁の跡が残っております。

北側の土塁〜石垣 北側から三の丸を見る


5.11 三の丸下石垣

 さて、三の丸から下におります。
 このまままっすぐ行けば中の丸のはずが、どうも自分のとっている行動が謎でして、なにをやっていたのか旅行から2年半経って写真を見ながらうんうんうなっていたところ、どうやら自分はここで右折して、三の丸石垣の下を舐めるように西進していたと思われます。完全に石垣に釣られてふらふらしてますね。お菓子の家があったらまず間違いなく引っかかるタイプの人間なのであります。

三の丸から下へ向かう ここからの瀬戸内海 十一番 さらに下へ 振り返る

 ここで右折して、三の丸下の石垣を眺めながら進みます。

ここを進みます 石垣は非常に綺麗に残っております 櫓台?
ちょっと壊されてるかな?
このあたりからの
瀬戸内海
木が邪魔ですね……
ここでちょっと振り返る 石垣を正面から さらに進むとちょっとした広場に出ます
自動車用に整地されたのか、
それとも昔からなにかあったのか……
ここは意図的に破却されたように見えます
広場まわりの石垣の様子
その先も石垣は続きますが、下に降りそうだったのでここでUターン 広場を見る ここからは瀬戸内海と瀬戸大橋が綺麗に見えます

 で、三の丸から降りてきた場所に戻り、今度は北へ。北方向にも、石垣が続いています。あまり先へは進めなさそうなので、こっちはすぐにUターン。

北方向へ進みます 石垣 ここの道標はもはや読めず こっちはここで行き止まりなので、ここで引き返します
木や草でダメージ受けてそうですが、案外しっかり残ってますね

5.12 堀切(掘割跡)

 三の丸と中の丸の間に走る堀切は、下津井城最大のものです。例によって例のごとく、堀切を利用して通路が作られており、現代人はこの階段を使って城に上がってくることができます。現代人がこの堀切を通路化するにあたってどの程度掘りを広げたり埋めたりしたのかは分かりませんが、とりあえずこんな山を真ん中でぶった切ろうってんだから恐ろしいですな。

堀切から三の丸方向 掘割跡、という表現になってます
意味は一緒でしょうが、
なんとなく掘割の方が
現代的な用語に聞こえます
南方向に見下ろす 見上げる

5.13 中の丸

 堀切からぐるっと上がる道が設置されているのが、中の丸です。
 西があって中がある、となると、もちろん東もあるのですが、東の丸(「東丸」だと「ヒガシマル」と変換されてしまう。まあ、うどんだしは大事ですものね)は公園の散策ルートの外にあるようで、東の丸への道案内表示は出ておりませんでした。

 中の丸は非常に広く、東西に長い曲輪です。本丸に近い西側は平坦ですが、東の方は若干盛り上がっていてでこぼこしてます。いかにもなにか櫓があったであろう場所がでこぼこしてるので、城を破却する際になにかやったのかもしれません。

中の丸広場へ 登っていきます
昔からこのように回り込むようなルートだったのかは
謎だけど、さっきまでの道の広さと比べると
ちょっと違和感があります
中の丸。東方向を見る 東方向に進みます
中の丸の東端 ここから下に降りることはできなさそうです 十番 東端から西方向を見る
南東から西を見る 東北から西を見る 西に進みます 最後に中の丸を振り返る

 ちなみに、この中の丸からは鷲羽山ハイランドをよく見通すことができます。現代なので見ている先が鷲羽山ハイランドですが、もしかしたら秀家なり池田さんなりは、こっちの方角に別のものをみていたのかもしれません。いずれにしても、見晴らしは非常によい場所であります。


 ここで下津井城攻略は終了であります。ヘタレなので、自転車や自動車で山城に向かう際は、山城を攻略してるときに足をひねったらどうしよう、という恐怖と常に戦ってる訳なんですが、今回も無事五体満足で下山できました。これも神仏のご加護、といいたいところですが、結果的に拝んだ石仏は12体。分母が33だとしても、1/3程度だけでした。これでも無事だったのだから、33体全部拝んだらおそらくとんでもないことが起きるのではないでしょうか。

下山

 んで。このまま風の道に復帰し、下津井駅を目指し、児島駅帰還後に児島競艇場へと向かうのであります。

オカノシモツイ(下津井城その1)オカノカゼミチ(風の道)オカノコジマ(児島競艇場)




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