ミキノアンジョー

 なんか「安城」が入った馬はいないかと考えてみたんですが、思い浮かびませんでした。なので、ミキノバンジョーをもじって題名をつけたんですが、そもそもなんで私はミキノバンジョーを覚えていたのでしょうか。

5.知立

 そんなわけで、知立で宿泊。知立に泊まったのは安城を巡るのに交通の便が良かったから、だと思います。「知立」と書いてちりゅうと読む程度には知立のことを知ってますが、過去に知立神社に行ったことくらいしか記憶にない場所であります。
 なんか駅近くの踏切が広くて凄かったのを覚えています。こういう場所に初見で車で突っ込みたくないな。どうも高架化工事をやってるようなので、このとんでもない踏切は今後見られなくなるのかもしれませんね。

中京競馬場駅の時刻表
「コロナ開催」と書かれると
コロナを開催してるように見えてしまう
知立に到着 高架化工事の案内 踏切の真ん中の島から

 夜は例によってファミレスに引きこもり。
 そして、夜が明けました。

知立駅 桜井駅

6.安城市めぐり

 安城での目的地はただ1つ。三河一向一揆で有名な本證寺の攻略であります。
 私の日記には、「本来は安祥城〜スーパー銭湯の流れを計画していたんですが、本證寺攻略を優先させ、結果本證寺と、近くにあった桜井城だけ攻めて終わりました。」とあるので、元々は贅沢に安城市観光プランを計画していたようですが、例によって行きたい場所を詰め込みつつ結局行くのは少しだけ、という行動パターンになったようです。

 本證寺は場所的には桜井駅からちょっと離れているので、桜井公民館で自転車を借りることにします。なお、安城市はレンタサイクルの実績をふまえてシェアサイクルを導入し、2023年9月30日を以てレンタサイクル事業を終了させたようです(https://www.city.anjo.aichi.jp/kurasu/dorokotsu/jitensya/rentasaikuru.html)。今時「rentasaikuru」というページ名をつける自治体があるとは、担当者さんも色々頑張ったんだな、と思うところですが、なんにせよ2023年10月1日以降はHello Cyclingの対応となっているようです。Hello Cycling、自治体によっては自転車がボロボロになってて大変なところもあったりしますが、安城市はどうなんでしょうね。

歴史の散歩道 桜井公民館 本日の自転車 信号の押しボタンが気になったため、写真が3枚も残されていた

 道中、小川天神社に立ち寄ってお参り。

境内 Google Photoさん作成のパノラマ
(修正面倒なのでサムネはこのサイズ)
拝殿へ

7.本證寺

 そんなわけで、本證寺に到着です。
 本證寺は名前はお寺ですが、若き家康が手を焼いた三河一向一揆の拠点として著名なお寺ですね。そして、今や面影もなく移転後完全に住宅地に飲み込まれた長島願証寺や、姿形を留めずに記念碑だけ建つ石山本願寺などとは異なり、しっかりと堀を残して防衛拠点としての城郭要素を残しております。こういうお寺、ワクワクしますね。

 そんなわけで、まずは山門から。
 山門よりも、寺と道路を区切る立派な堀がなんとも素晴らしい。

向かって左手の堀 山門。非常に立派ですが、案内文でも遺構とはされていないので
新しく建てられたのだと思います
なんとも気になる鼓楼と、向かって右手の堀

 とりあえず、まずは本堂でお参り。私は別に一向宗に恨みはありません。当地がこれらかも平和でありますように。

本堂 中に入れます 南無阿弥陀仏

 そして、詳細な解説板があります。これは助かる。安城市教育委員会には感謝であります。
 これによると、山門は遺構ではなく、どう見ても隅櫓にしか見えない鼓楼も出来たのは1760年。江戸時代、吉宗よりもあとです。これよりも古いのが鐘楼。これが1703年なので、家康が征夷大将軍になってから100年後。本堂が1663年なので4代家綱の時代につくられております。
 結果、本堂が県指定文化財、残りが市指定文化財とのことで、しっかりと保護していってほしいですね。


 というわけで、案内図を見ながら境内を巡ります。本丸と二の丸という呼称はないと思いますが、とりあえず本堂がある曲輪と、庫裏がある曲輪の間を隔てる水堀を眺めながら、庫裏の曲輪へと向かいます。
 今となっては堀も幅は2メートル程度で、深さもたいしたことがありませんが、往時はどうだったんでしょうかね。

通行禁止の龍宮橋とその右手 堀を見る 庫裏
裏門 裏門を出て北側の堀 北側 奥に土塁が見えます
裏門を出て南方向 南方向の水堀 ツルとウサギ

 そして、再び本堂のある曲輪へ。

南方向を見る 経堂 経堂の上の擬宝珠 鐘楼

 そして、南側の水堀。ここはかなり本格的な堀です。北側に土塁があることを考えると、南側にも土塁があったと考えた方が自然な気がするので、こちら側の防御はかなり堅かったように見えますね。

水堀に近付く 広い水堀です
ちょっと進むと堀が浅くなって田んぼの用水路っぽくなりますね ここは水が流れておらず、浅くなってます

 若干順番が前後しますが、どう見ても隅櫓にしか見えない鼓楼。上で見たとおり、できあがったのは江戸時代なので隅櫓ではありません。廃仏毀釈の運動の際にお寺が隅櫓として防衛に使ったのかどうかは知りません。

内側から鼓楼を見る 外側から鼓楼を見る 北側の水堀
東側の堀 ちょっと引いて撮影 山門と鼓楼をセットにしようと
苦労した図
諦めて鼓楼を

 寺から東方向に三角形の外堀跡があるようなので、行ってみました。特別なものは特にありません。ただ、何も知らないと単なる放棄された耕作地にしか見えませんね。

外堀跡

 そんなわけで、最後に遠目から本證寺を眺めます。

山門を内側から 外側から 道路の反対側から

 これも順番が前後しますが、最初に見た北側の土塁。これ、道路自体が土塁の上にあるんだと思うんですが、実際の土塁はどの程度の規模だったんでしょうかね。

遠目に見た方が土塁感がありますね 頑張って土塁感を出そうとしてる図 奥は低くなっております 逆方向を
この角度だとあまり土塁感ないですね

8.桜井城

 最後に、近くにある桜井城に寄ってみます。
 脇には桜井靖霊神社が鎮座しておりますので、とりあえずお参り。

境内 鳥居 拝殿

 道路から桜井城方向を見ると、道路脇に土塁があり、冠木門への道が設けられています。この冠木門への道が昔からの虎口なのかどうかは私には分かりません。
 ちなみに、土塁の歴史についてはこちらのサイトに現地の方のコメント(思い出話)とともに詳細に載っておりました(https://shiro200303.sakura.ne.jp/sakuraijyou.html
 また、桜井松平家については全然知らなかったのですが、Wikipediaによると、東京さぬき倶楽部の建物は桜井松平家の屋敷の払い下げのようです。墓所の家紋、松平家のものってこんなんでしたっけ。

解説板 虎口なのかどうかは不明
とりあえずここから公園内へ
向かって右手の土塁 灯籠
向かって左手の土塁 これも後世に削られたのかどうか不明 土塁上に城趾碑 道路側から
桜井松平家の墓所 意味ありげな石碑でしたが
昭和5年にどなたかが寄付したようです
公園内

9.おしまい

 そんなわけで、公民館に自転車を返して探索終了。とにかく、本證寺は凄かった。

桜井駅 安城市観光案内 人身事故のお知らせ

 駅に着いたら人身事故と振り替え輸送のお知らせが出ててびっくりしましたが、特に影響を受けることなく中京競馬場に向かうことが出来ました。
 そんなわけで、2日続けて中京です。2日続けて同じ競馬場に行くのってかなり久々な気がしますね。



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