釜山遠征2024 その6

5.チェックアウト&移動

 おはようございます。チェックアウトのシステムは、カードキーをエレベーター内のボックスに入れる方式。これでいいのか不安になりますが、特にクレームもきていないので大丈夫だったのでしょう。

ここに入れろとのこと

 3日間お世話になった沙上駅にも別れを告げます。出口工事中だったせいでどこから出るか迷ったことが懐かしいです。

出口の閉鎖案内 閉鎖されている出口 改札 ホーム 路線図

 そして、西面駅で乗換。2日前にここで飲んだのが懐かしい。なお、乗換のホームの場所が分からずちょっと迷いました。

西面駅 最初違うホームに出た図 迷ってホーム表示を探している図
無事目的地に到着しました

 そして、目的地の佐川駅に到着です。佐川駅は「さがわえき」としか読めませんし、読む気もありません。
 なお、一旦外に出かかったんですが、トイレを借りるために戻ったりしてちょっと時間をロス。それにしても、駅に綺麗なトイレがある国はよいですね。しかも無料。

ホームが狭いので駅名表示をとるのに苦労した図 Jwacheonと書いて、
なんと読むのでしょうか……
改札階 外に出ました

6.鄭公壇

 この日の目的地はいうまでもなく釜山倭城なのですが、まずは鄭公壇に寄り道。ぶっちゃけ、鄭公がどなたなのか分からずに訪問しました。ここは、釜山倭城への行き方を検討するためにGoogle Mapを見ていたらたまたま発見した場所になります。
 鄭公というのは、鄭撥のことで、文禄の役の緒戦となった釜山鎮の戦いで戦死した朝鮮側の武将とのことです。日本語のWikipediaもあります。
 それをふまえて、Wikipediaの釜山鎮の戦いを見てみることにします。……こっちだとあっさりと戦死していました。まあ日本側から見た敵国武将の扱いなんてこんなもんでしょう。
 韓国版のWikipediaを読むと、どうも鄭撥は死体が見つからなかったことで生存説が流れていたようですね。

見えてきました 解説板その1 解説板その2
パンフレットがあったので、1部いただきました

 中は2段構成になっております。便宜上下段と上段と呼びます。まずは下段。鄭公壇保存会の看板が出ています。
 そして、何やら石碑が並び、門の右手には忠壮公鄭撥戦亡碑。漢字を使ってくれるとなんとなく雰囲気が分かるから助かります。韓国は政権を巡ってクーデター的なことやってる暇があったら、漢字を復活させる運動してくれませんでしょうか。

入って左 正面 正面から石碑を見る 石段を斜めの角度から 近寄る
忠壮公鄭撥戦亡碑。解説文もあります 参拝の心得

 続いて上段。こちらは立派な祭壇となっております。正面には、忠壮公鄭撥将軍碑。左右の碑文についてはよく分かりませんでしたが、おそらく一緒に戦った方々のための何かでしょう。

上段の祭壇 接近 見下ろす

7.坂を登る

 せっかくここまで階段であがってきたのに、また下りて坂を登る羽目になります。このあたり、平坦なGoogle Mapを見ているだけでは全く分からなかったのですが、想像以上に急峻な坂道になっておりました。まあ上に城があったんだからそういう場所であることは想定していかなければならなかったのですが、それにしてもなかなかの坂。
 写真だと坂のきつさが伝わらないのは今に始まったことではないですが、本当に伝わらないのが残念です。特に下りは、手すりを持って下りないとなかなかに危険。釜山は雪降ったりしないのだろうか。
 ちなみに、Google Mapのストリートビューの車もこの坂に進入しておりません。坂がきついからなのか、ストリートビューを残す価値がないからなのかは不明です。

鄭公壇の交差点と上り坂 案内地図

7.1 釜山鎮教会

 そんなわけで、坂を登ります。
 すると、なにやら楽しげな壁が見えてきました。さらに、なにやら解説が。釜山鎮教会という教会のようです。さすがキリスト教国韓国。「young glorious chane」が「青年賞賛ディー」と翻訳されているのがよく分かりませんが、キリスト教的にchainというのにはなにか意味があるのでしょうか。

駐車場の壁が賑やか 解説板
young glorious chainの訳が私には分からない
解説をアップで 教会脇の坂
教会を見上げる 解説板 あとで撮った写真
塔の文字は普通に釜山鎮教会でした

7.2 釜山鎮日新女学校

 その釜山鎮教会の向かいにあるのが、釜山鎮日新女学校記念展示館。オーストラリアの先生が開いた学校とのことで、向いに教会があることからしておそらくキリスト教系の学校ではないかと思います。「日新」というのが韓国的にどういう意味なのか、日は日本なのかDayなのかそれとも別の意味なのか、私に学がなさ過ぎて困ります。とりあえず、3.1独立運動の起点となった学校であるようです。

漢字があると助かります
釜山鎮日新女学校記念展示館です
解説板
ジンイルというのは、「鎮日」を読んだのだとおもうのですが、
釜山鎮を切って、なにか意味があるのでしょうか……

7.3 1919独立運動記念壁

壁への案内
日本語訳が使い物になりませんが、こういうときに英語は便利


 韓国語とそのGoogle翻訳を見ても意味が分からないのですが、その下に英語があると助かりますね。”1919 declaration of independence / independence activist memorial wall”であります。independence activist memorial wall、というかmemorial wallの翻訳が「記念壁」というのはなんか日本語の語感としてむずがゆいのだけれども、致し方なし。
 25年前の私の世界史知識などもはや残っているはずもなく、1919年の独立運動というのがなんなのか、とりあえず検索してみる必要があります。Wikipediaの三・一独立運動を読むと、運動自体はソウルがメインで釜山のことは書かれておりません。世界史の窓も同様。とはいえ、重要な独立運動であるようなので、とりあえず読んでおきます。

 で、壁。こういう壁があると、坂道をのぼっていても飽きが来ないので助かりますね。
 登っていきながら見ていくと、左から右に見ていく流れになるのですが、日本の横書きは右から左に書く関係で、写真も右から左に流れていきます。

Korean
Japanese
by Google
東区の独立運動 地図 壁面の様子 1907年国債補償運動
Wikipediaでは国債報償運動
1918年一新女子校万世運動
Googleさんに数字を誤読されました
おそらく、正しくは
1919年日新女子校万歳運動
Korean
Japanese
by Google
シミは己未ですね 独立宣言書(ウィキソース
漢字とハングルが混じっているのが今となっては違和感あります
その先の壁の様子
パク・ジェヒョク
釜山警察を爆破したらしい
この人は検索してもよく分からなかった
54回拘禁されたとのことですが、53回釈放されたのでしょうか……
チャン・ゴンサン

 さらにのぼっていくと、別の方々の顔写真が埋まった壁。おそらく、釜山で戦った方々なのだと思います。

壁が登場 多くの方々がおられます

 ここまでは、普通に観光してました。心身ともに平和でした。

 だがしかし。その7へ続く。

今回の行程

釜山遠征2024 その5 / 釜山遠征その7


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