釜山遠征2024 その7

7.4 階段!!

 さて、ここで問題が。Google Mapさんを見ると、今私がいる場所から山の上にある釜山倭城跡地にのぼるためには、大回りが必要になるようです。これは聞いてないぞ。
 とおもってふと見たら階段。ここをあがるのか……と思ったら、学校への階段だったようで、行き止まりでした。
 また、Googleのストリートビューも、このチュンサンロという道路ですら一部途切れており、不安定です。
 そんなわけで軽く迷子。

意味ありげな階段 行き止まりです 地図
下が北というトラップ

 で、ふと見ると、目の前に階段。おお、これをのぼっていくのか。
 とはいえ、ほかにも登る方法がないのか気になるので、もうちょっと歩きます。すると、なにやら立派な斜行エレベーターを発見。なんだこれは。誰でも乗れるのか。おいくら万円するのか。韓国だからおいくら万円じゃなくておいくら万ウォンか。
 てな感じで、しばらくエレベーターの様子を見ていたのですが、見ていたところチケット制やお金のやりとりは無さそう。メタボNPとしてはここはやっぱりエレベーターか……と思ったんですが、せっかくここまで来て「城に登る」と意気込んできたのにエレベーターというのは芸がない。心の準備は無かったとはいえ、スリランカとは異なりここは涼しい釜山。シーギリヤロックに登れた自分ならば大丈夫だろう、ということで意を決して階段ルートを選択します。いざ参らん。

斜行エレベーター 安福将軍公衆電話
単なるオブジェかと思ったら、現役の公衆電話ですね
階段途中で見下ろす 頂上から見下ろす

 そんなわけで、息も絶え絶えになって階段をのぼりきりました。メタボで運動不足な私の経験として、どうも階段の段数が50段を超えると乳酸的に危険が危なくなって若干呼吸に影響が出てくるような学びを得ました。心身に余裕があれば、何段あるか数えたりするんでしょうが、私にはそんな余裕も余力もありません。とにかく、釜山城攻略への道のりは長く険しいのであります。

 そして。階段をのぼった先には……道路しかありません。まだ城には到達しないのであります。釜山旅行してる人はみんなこんな階段を歩いて登城してたのか(←文明の利器エレベーターを使わないのが悪い)。
 まだまだ登らないと城に到達できないのですが、Google Mapをみてもどこから登ったら公園に到達できるのかが分からない。というか、道路的には西(左)方向を大回りしないと駄目なようで、これ一歩間違ったらせっかく階段登ったのに下る羽目にならないか。
 とりあえず、階段をのぼりきった正面にある階段をすすみます。当時釜山を攻略する日本兵もこうしてどうやったら攻城できるか悩んだのかな、当時はGoogle Mapなんていう文明の利器がなかったから大変だったろうな、などと遠い昔に思いをはせるのでありました。。

正面階段 ちょっと右に進んでから
元来た方向を見る
このあたりにあった解説文
翻訳しても意味が分からない

7.5 中腹の壁画・階段A

 階段をのぼった先は、公園でした。
 元々帯曲輪的なものだった、と信じたくなりますが、そういう解説はどこにもないので、おそらく後世になって造成した公園でしょう。ですが、帯曲輪だったのではないかと信じることで、エレベーターに乗らずに歩いてきた自分の行動が救われる気がするので、信じるものは救われる精神に基づき、ここは帯曲輪だったと信じてみることにします。いい子はマネしてはいけません。

階段をのぼって正面 ぐるりと公園を見る。帯曲輪だったらいいな。違うんだろうな。 右に進むしか道がない
公園を振り返る 翻訳は怪しいですが、とりあえず「子供公園」なようです 公園からの眺め 下には斜行エレベーターの乗り場

 写真を見ても明らかなとおり、この公園からすぐ上に上がる階段は存在しないので、とりあえず公園を右に進みます。すると、さらに斜行エレベーターが登場しました。先ほどの斜行エレベーターに乗った人は、こちらのエレベーターに乗り継ぐことで上に行けたわけですね。
 他方、階段をひぃひぃのぼってきた私は、このエレベーターの存在に気付かず、またも階段でのぼる羽目になったのであります。
 で、公園から、斜行エレベーターを橋でまたいで、階段に出ます。小さな上り下りでも、精神的にきついぞ。

斜行エレベーター エレベーターをまたぐ橋
数段の上り下りも精神的に負担です
橋から公園を見下ろす 橋から北東方向
禁煙電源ビルって翻訳はあってるのだろうか
橋からの眺め

 さて、橋を渡るとそこには細い階段があります。これだけ細いと渋滞が起きそうですが、そもそも真っ当な人は階段を使わずにエレベーターを使うので階段で渋滞にはならないのでしょう。
 橋から少しのぼると、今度は向かって右手に休憩スペースというか帯曲輪的スペースが登場します。繰り返しますが、これもおそらく帯曲輪ではないと思われるところ、「エレベーターを使って楽した奴は帯曲輪見逃したな。ばーかばーか」と言いたいが為に、ここが帯曲輪跡だと信じてみることにします。いい子はマネしてはいけません。

 帯曲輪かどうかはさておき、ここの壁には日本と朝鮮の戦争の様子が描かれております。鉄砲と刀を装備した日本軍に対し、弓で対抗する朝鮮軍。歴史公証的にどうなのかは私の知るところではありませんが、こういう対比が分かりやすいのはいいですね。
 とりあえず、このモザイク壁画を見られるのは、歩いたご褒美です。

 なお、過去にここを訪れた方の写真を見ると、かつてはこの帯曲輪跡?には監視をする兵士の像が立っていたようです。今もよく見ると、おそらくその像が立っていたであろう場所にその痕跡的なコンクリ跡が見えますが、どうして取っ払ってしまったのでしょうか。いたずらされたのか……。

橋から見上げる エレベーター脇の階段 壁画 日本兵 日本船 その先の絵
戦闘中 朝鮮兵 釜山城? 奥側から見た図

 ちなみに、この壁画スペースの奥には、なにやら石碑がありました。元を遡れば、この石碑を展示するために造成した公園だったのかもしれません。
 この石碑は崔天澤さんの記念碑。検索すると、日本からの独立を果たすために結成されたという義烈団のWikipediaでも紹介されておりました。こちらの解説板にもありますが、釜山警察署爆破事件の際に逮捕されたりしていたようですね。

蘇庭崔天澤先生之碑
漢字を見ると安心します
解説

8.釜山倭城
8.1 エレベーター終点からの石垣

 さて。ここまでは半ば上段で曲輪だのなんだの言ってきましたが、ここからが本番です。
 斜行エレベーターの終点に到達すると、目の前には石垣!これはどう見ても現代にそれっぽくつくられたのではなく、日本軍がつくったものでしょう。これを見に来たのです。興奮してきましたね。

 ちなみに、この階段、石垣のかたちを見るに、後世になってぶち抜いたというよりは、当時からここが虎口になってたのだと思われます。ただ、その先(南西)の石垣は上に立っている団地の安全性確保のためか、明らかに現代的な石垣と法面になっておりますね。

階段をのぼった(エレベーターを降りた)正面
増産倭星というのは、甑山倭城のことでしょう
惚れ惚れする石垣です ここからのぼる階段方向を見る
エレベーターの終点を見下ろす 登り口は城をイメージしてます
ただこれ、西洋式ですよね
その先は現代的な石垣と法面 階段右手の石垣
のぼります ちょっとのぼったところ 石垣の縁 出口

8.2 団地曲輪

 こうしてのぼった先には……大きな団地がありました。日本の城であれば、いかにも武家屋敷がありそうな広々とした曲輪であり、その意味で現代になって団地が作られたのならば武家屋敷の正統進化という感じですが、朝鮮出兵において「武家屋敷」なるものを倭城につくっていたのかというと別に誰もここに定住しようと思ってなかったんじゃないの?という気がしてしまいます。
 細かいことは気にしないとして、石垣の上にある曲輪ということで、これは実際に当時からあった曲輪だと思われます(『倭城を歩く』では三の丸、城ラボの堀口健弐氏の図だとV郭とされております。)。なんですが、いかんせん団地を、しかも韓国という異国の団地を、一介のジャパニーズが写真に撮りまくっていたら不審者どころか何らかの法律に触れてそうで怖いので、そそくさと通り過ぎることにします。

のぼった先には団地がありました 団地の崖側(南東側)を進みます
団地曲輪からの眺め。パノラマで 1枚ずつぐるりと
ちょっと進んだあたりからの景色 団地の奥側 振り返ります

 で、団地の先を見上げると……そこには石垣が。下側は明らかに現代的なコンクリ石垣ですが、見上げた先にはいかにもな、日本的な石垣があります。
 問題は、どうやったらそこに到達できるかです。
 ここは上に直登する階段は無さそうなので、大人しく道なりに進んでいくことにします。明らかに団地住民のためにある道なんですが、私はここを歩いて大丈夫だったんでしょうかね??

見上げれば石垣 登り道はない 石垣を見上げながら進む 私有地っぽいゲート 道路に復帰

8.3 工事曲輪〜帯曲輪

 工事曲輪、というのはもちろんこのとき工事中で何が何だか分からなかっただけのことで、正式名称でも何でもありません。『倭城を歩く』では名称なし、城ラボの堀口健弐氏の図だとIV郭となっている場所ですね。曲輪の中の緑の幕で囲われたものがなんなのかは私にはわかりません。当時もこうして外敵を惑わせていたのでしょう。
 この曲輪には綺麗に現代的に整備された階段をのぼっていくことになりますが、ここにあるのが矢印案内。この時点でも私は半迷子で、どこをどう進むと城跡に到達するのか分かっておりません。ということで、翻訳するわけですが……「城北VR漫画カフェ」ってなに!?

 この階段をのぼりながら左右を見ると、大きめの石がゴロゴロしてます。これが昔の石垣の残骸なのかは分かりませんが、昔の石垣の残骸であるとしておいた方が浪漫があるので、昔の石垣の残骸だということにしておきたいと思います。ちょっと佐和山城を思い出しました。

道を進むと案内板 現地で翻訳
城北VR漫画カフェ!?
とりあえずここをのぼります
いくつか転がっている石が気になる
積み上がってるのとか、意図的?
南東方向を進みます
狭くなるあたりを見ると、竪堀かと思ってしまいますが
多分気のせいでしょう
ここで上ルートと
下ルートに分かれます

 この工事曲輪をすすむと、上下に道が分かれます。とりあえず、上に行くと下を見ることなく終わりそうなので下を進みます。本丸の下をぐるりとまわっていくかたちです。いわゆる帯曲輪ということになるでしょうか。先程来、自分が通ってきた場所を無理矢理「帯曲輪だ!」と言い張ってきましたが、ここは正真正銘の帯曲輪なんじゃないかと思います。
 そして、本丸を支えるかたちになる石垣、最初はコンクリで固められた現代的な奴だったのですが、途中からいかにもな打込接ぎっぽい石垣が登場しました。うむ、これを見たかったのですよ。

ここから団地曲輪におりられるみたい
ここの石垣は現代につくられたっぽいかな?
このあたりで石垣が切り替わる 打込接ぎっぽい石垣
さらにすすむと、現代的な公園が登場 そこから上を見上げる

 そこからまた上にあがる階段を横目に見つつ、ゆるい下り坂。公園的には、そこから外に出る出口になります。公園的には、北東の出入り口ということになりますが、『倭城を歩く』の地図を見ると、このあたりから登り石垣がのびていたようです。

さらに進みます
左側に、上にのぼる階段があります
下り坂の先に出口 出口側から
左が歩いてきた帯曲輪
右に登ると二の丸
石垣

8.4 解説ボード

 北東の出口側から、二の丸方面にあがっていきます。
 すると、なにやら意味のありげな解説ボード。

解説ボードが見えてきた

 とりあえず、写真に撮ってGoogleさんに翻訳して貰います。現地翻訳と帰国後にあらためて画像から翻訳したもの、翻訳しているのがどっちもGoogleさんなのですが、微妙に翻訳がズレることもあります。まあ、どうせ真面目に読んでないので気にしない気にしない。
 気にしないといえば、特に釜山鎮城の戦いのところでは例によって色々と書かれておりますが、これを気にしていたらやってられないので、議論は学者さんにお任せして、こちらはスルーしておきます。

Korean
Japanese
現地
釜山の名前の由来について 釜山鎮城について 釜山鎮城の戦いについて

 で、このあたりに椅子があったので、ここで小休止。目の前に、本丸への階段が見えます。

目の前に本丸 ここで一休み 今回の行程

 一休みして、本丸を攻略します。


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