ハンノナンキチ

15.南吉の生家へ

 自転車を手に入れて意気揚々と進んでいたところ、裁判所に遭遇。非常に綺麗な支部ですね。リノベーションするお金があるようでなによりです。

地図 今回の自転車 裁判所

 そして、あっさりと南吉の生家に到着です。自転車って凄いですね。
 完全に不勉強なままのりこんだので、南吉の実家がどのような商売をしていたのかは全く知りませんでした。表から見ると平屋1階建て、裏から見ると2階建てという非常に凝ったつくりの建物で、傾斜地に建物を作ると自身や大雨の時に大変じゃないのかな、と心配になる一方で、こんな凝った建物作って住めるなんて凄いなと思ったりもしてしまいます。
 向かって右が父多蔵の畳屋。向かって左が後妻さんの下駄屋だったようです。時代を感じる商売ですね。
 ここには押しボタン式の案内音声があり、あるだけでもう壊れてるんだろうな、とか舐めた態度で押したところ、きっちりと綺麗な音声ガイドが流れてビックリしました。舐めた態度をとって大変失礼いたしました。

新美南吉生い立ちの地 生家案内板 生家と離れのトイレ 句碑
トイレはこんな感じ 新美南吉の生家 このボタンを押すと、上から音声が流れます
正面から 畳屋へ 畳屋壁面
畳屋 お客さんがいました 天井
下駄屋
奥の居間 掛け時計
止まってましたが、
新美家のものなのかな?
階段入口 逆方向 景観重要建造物
南吉の写真 漢詩 教育委員会のパンフ 現在配布されてるパンフ

 そして、1階へ。ちょっとした秘密基地の探検気分です。

1階に到着 勝手場 小間
勝手場の井戸 くど 天井部を見上げる
煙はどこから出したのかな?
勝手場から物置方向 上に上がります

 というわけで、なんか簡単なアトラクションチックな建物で楽しかったです。

 そして、生家の向かいには常夜灯があります。ここで下駄屋をやるのは理にかなってますね。畳屋についてはよく分かりませんが。


14.八幡社〜常福院(岩滑城跡)

 南吉の生家からちょっと進んだところにあるのが八幡社。
 この八幡社の参道脇にあったとされるのが宝蔵倉。その前で、ごん狐が語られた、ということのようです。ごんぎつね、そもそも誰かが語る形式だったんだっけ。完全に記憶から飛んでるなあ。
 訪問時はちょうど祭礼か何かの準備中か何かでした。何も分かってないので、「何か」ばっかりですな。

鳥居 宝蔵倉跡 境内 鳥居
祭礼について 八幡社について 拝殿 山車倉庫

 続いて、ごん狐にも登場するとされる(覚えてない)赤い井戸。


 さらに進むと、常福院。ここはかつての岩滑城跡です。特に城跡として何かが残っているわけでは無さそうで、まあ私のようなニワカとしては、土塁跡のようなものを見てふむふむいう感じでしょうか。
 なお、「岩滑城」は「いわなべ」でなく「やなべ」と読むようです。今の今まで間違えてました。

常福院 本堂 解説
岩滑城主の中山勝時創建とのこと
手水 常福院のソテツ
慰霊碑 ここに名前のある渡辺益吉さんが、南吉の異母弟であるとのこと 興味深い石仏

 このあたりに南吉のはなれの家跡を示す何かがあるはずなんですが、発見できず。

15.新美南吉記念館

 そこからさらに自転車で西に進むと、新美南吉記念館です。
 公園として地域から愛されている場所のようで、思いのほか混んでました。
 記念館の営業時間の関係もあり、記念館を見てからほかの記念物を見て回りました。

 中は撮影OKなのをいいことに例によって色々記録を残してますが、それをここに載せても仕方がないので、これまた例によって適宜抜粋。
 また、この記念館、非常に凝ったつくりです。記念館によると、新家良浩建築工房が公開コンペを勝ち抜いたとのこと。検索すると、色々な方がこのコンペや建築に言及しているのが見つかります(一例として愛知建築士会)。

記念館外観 入っていきます 展示室入口へ 設立主旨
展示室の様子 ごんぎつねの世界 中山さま 帰ってきたごん
昭和30年代に知多半島から消えたキツネが戻ってきたとのこと
おいたち 南吉の生まれた半田 半田第二尋常小学校 卒業証書 学籍簿が晒されてました
成績優秀です
綴方帳の「冬のムジナ」 旧制半田中学校 一度目の代用教員 その頃の日本 昭和6年。「赤い鳥」「チチノキ」と初めての恋人
人生順風満帆であります
優等賞賞状 益吉のデッサン
先ほど慰霊碑を見たあとだけに
ぐっときます
南吉の由来について 旧友への手紙に書かれた
童謡と絵
絵の才能もあったんですな
昭和4年頃の日記

 なんというか、非常に才能あふれた南吉少年の姿が浮かんできますね。恋人もいたとか(←こっちがメイン)。身体の弱さへのコンプレックスもあったようですが……。

 そして、ごんぎつね。

初期のごんぎつね 赤い鳥版ごん狐 張紅倫
巽聖歌と東京外国語学校 巽聖歌への手紙 北原白秋への手紙の下書き

 このころから才能と体調にギャップが生まれているようです。東京外国語学校在学中に多くの作品を発表しつつも、喀血するなどしていたとのこと。
 そんななか、昭和10年頃に書かれたのが「手袋を買いに」。この作品、確か自分がNYの補習校にいたときに読んだりなんだりした記憶があります。かなり曖昧な記憶だけど。

東京での文学活動と帰郷 外国語学校の卒業証書 失恋 手袋を買いに デンデンムシノ カナシミ

 昭和12年に帰郷してからの南吉。このあたりからかなり辛そうで、見ているこっちもきつくなります。
 それにしても、作家さんは次々とラブレターが晒されて大変ですな……。

河和第一尋常高等小学校教員に 空気ポンプ ラブレター 表札 杉治商会への就職
辞令 日記 安城高等女学校教員に 教員免許
作文指導と英語の答案用紙
先生が有名人だと答案やらなんやらが晒されるのであります
童話の執筆再開
さらっと中山ちゑさんの不幸も

 昭和16年からのまとめが、「初めての出版から永眠まで」。
 もうなんというか、激動の人生という感じが正面から出ている題名です。

初めての単行本と童話集 おぢいさんのランプ

 おぢいさんのランプって読んだことあったかな。青空文庫にあるので読もうと思ったらいつでも読めるわけだけど。
 そして、永眠へ……

益吉への遺言 南吉の最期 天狗
昭和17年の日記 巽聖歌への手紙 告別式 第2童話集
牛をつないだ椿の木

 なんというか、30年弱の人生が非常に密度の濃いもので、その人生をこうして博物館で追いかけると、新美南吉氏の才能の凄さと、自分が南吉さんの作品で育ってきたこと、そして死に至るまでの南吉さんの気持ちが色々と混ざり合って、こちら側にも複雑な感情が生まれます。この複雑な感情を言語化できない私は人生を何度繰り返しても作家にはなれないわけだけど。

南吉顕彰のあゆみ 巽聖歌の死と新たな全集 新美南吉17歳の作品日記 美智子様と南吉 教科書への掲載
年譜

 南吉の川村家への下宿時代の部屋が再現されておりました。ここで手袋を買いにを書いたとか。


 その他の特別展示として、榊原澄香さんのペーパーアート展示もおこなわれておりました。

ごあいさつ 榊原澄香さんについて うまやのそばのなたね でんでんむしのかなしみ
ごんぎつねより

 さらに、ベラルーシからの絵も展示されておりました。


 また、図書室脇には手袋を買いに来たと思われる子ギツネがおりました。
 現在は狐というとエキノコックス!という感じで触るな危険状態でありますが、これが克服されて、キツネが安心して手袋を買いに来られるような世の中が来るとよいですな。


 そんなわけで、内部見学終了。外に出ます。
 このあたりはかつて中山氏が治めるお城があったとされているようですが、解説板にもあるとおり、中山氏の居城自体は先ほど見てきた岩滑城のようで、このあたりは誰かしらの屋敷があったりしたのではないでしょうか。

案内板 南吉のふるさと半田
記念館 小川と脇にある様々な石碑 ごんのふるさと中山 ごんぎつねのふるさと岩滑
シンボルタワー
手袋を買いに碑 デンデンムシノカナシミ碑
ごんぎつねのステンドグラスを両面から ごんぎつねふるさとポスト JFEスチール知多製造所より 句碑

16.ごんぎつねの湯

 最期に、一日の汗を流しにごんぎつねの湯へ。ここに行きたいので自転車を借りたのでありました。
 道中の上り坂でひーひー言う羽目になり、果たして自分は癒やされに行っているのか疲れに行っているのか分からなくなりかけました。
 まあ結論としては気持ちのいいお風呂には入れたので満足です。半年経った2024年9月時点で既にどんなお風呂だったか記憶から飛んでるけど。

道中の平和橋もごんぎつね 平和橋
私のようなメタボには地味にきつかった
ごんぎつねの湯営業中 まるは食堂について

17.住吉神社

 そんなこんなで、無事時間内に自転車を返却できました。よかったよかった。残り5分とかそんなレベルのギリギリ到着だったけど、間に合えばいいのです。

最後に赤レンガ建物を撮影

 そして、住吉町駅に向かう道すがら、住吉神社に立ち寄ります。赤レンガ倉庫側の社号標が「入水神社」だったんですが、肝心の入水神社が見当たらずに参拝できませんでした。あれ、何か見落とした??

住吉神社へ 入水神社の社号標 参道 住吉神社拝殿
宮池 境内 鳥居 こちらは半田警察署交通棟仮庁舎

18.住吉町〜青山

 そんなこんなで1日のアクティビティは終了。あとはいつもの夜を過ごすのみです。

住吉町駅 周辺マップ 料金表
知多新線ってもの凄い勢いで値上がりしますね
停車駅案内
住吉町 スイミングスクールの案内なんですが
宮島競艇のモンタとモミジを思い浮かべました
住吉町駅 青山駅に到着

 なお、この日の夜は快活に宿泊。ちゃんと予約していきました。計画的ですね。こんなところで宿泊先を失ったら地獄ですからな。

お世話になった快活 お世話になったデニーズ 青山駅

 そんなわけで、長い一日お疲れ様でした。


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