建中津島

 とあるお仕事で名古屋に何回か行くことになり、そのお仕事は幸か不幸か30分もかからずに終わるため、時間が余ることになります。
 名古屋まわり自体は何回か歩いており、特に2022年訪問時に、今回の仕事場所まわりを歩いてしまったのでなかなかにやることが失われておりました。

1.那古屋神社など

 とはいえ、一応那古屋神社に参拝。もちろん、名古屋東照宮もセットです。

お仕事 那古屋神社 東照宮

 そして、名古屋東照宮に、「尾張徳川文化をたどる」という観光案内板がありました。2023年大河のどうする家康に合わせて2023年に設置されたのかと思ったら、2022年訪問時にもあって、ちゃんと写真をアップしてました。まったく、忘れるんだったら写真をアップする意味がないじゃないか。なお、2023年大河の存在は2022年時点で明らかになっていたので、この案内板がどうする家康に合わせて設置されたのかどうかに対する回答は不明なままです。


 ごたくはどうでもよく、久々に(見てみたら前回訪問は12年前の2012年だった)徳川園に行くことも考えたのですが、行ったことのない建中寺に行って、そのあとひとっ風呂浴びて帰ることにしました。というわけで、建中寺へレッツゴー。

2.建中寺

 というわけで、建中寺。どうやって移動したのか、なにも痕跡が残っていませんが、おそらくバス移動です。バスで移動しやすかったことも、ここに行った理由の1つだったはず。
 建中寺は、尾張徳川家の菩提寺として歴代尾張藩主の廟が置かれていたことで知られる、由緒正しきお寺であります。尾張藩主の廟が置かれていたお寺というと、廃仏毀釈でどうなったのかが気になりますが、Wikipediaを見るとそのあたりはスルーされており、7つあった塔頭がいつか無くなった、程度の情報だけでした。また、建中寺のサイトの歴史概要によると、明治になって寺格が無本寺から知恩院の末寺へと降格させられたようです。
 まあ細かいことはどうでもよくて、大曽根の大火で飛んできて寺院全体を焼いた布団が恨めしいですね、というのがとりあえずの感想であります。

 それにしても、こんな住宅街っぽい場所にどでかい山門が登場するのはなかなかにビックリです。壮観壮観。

山門 葵の御紋 寺号標もデカい

 山門はどでかいのですが、中に入ると参拝者もおらず、非常に静か。山門だけ見たら観光寺院のようにも見えてしまいますが、実際のところは地域密着型葬式寺院となっているのかもしれません。
 正面に見えるのは大きな本堂。お参りお参り。

灯籠も豪華 正面の本堂 本堂内
お地蔵様 開山堂 不動堂 賽銭ドロが出たようです
お地蔵様 経蔵

 自分の探索の仕方が悪かったのかもしれませんが、尾張徳川家全面プッシュ、という空気感もなく、なんなら移転された結果、御霊屋やただ1つ残る霊廟(源正公廟)も普段は非公開のようです。
 お寺の向かいにある建中寺公園に行くと、もっと色々と楽しめたのかもしれませんが、如何せん仕事のための大荷物もあって距離を歩ける状態ではなかったので、ここでオシマイ。

3.大曽根温泉湯の城

 今回はお城巡りはしないのですが、スーパー銭湯の名前に城という文字がついていました。まあ、だからどうした感はありますね。
 訪問から10カ月程度経ち、すでにどんなお風呂だったかは記憶からぶっ飛んでいますが、とりあえず旅先でお風呂には入れることが重要なのです。

湯の城 狸がお出迎え
家康と関係あるのでしょうか
各地のお湯を使っております

4.大曽根駅&JR名古屋駅&名鉄名古屋駅

 そんなわけで、帰ります。
 大曽根駅は、駅改札を入ってからホームまでが長くて面白い駅でした。


 名古屋駅の中央線階段は、この数ヶ月後に平地神明社のおまんとを見に行く際にも写真を撮りました。
 この日は昼間で、ほかのお客さんの邪魔になったので、早朝に訪れた4月に再度撮った、という流れであります。

7番線8番線は中央線です 階段 向かって左側
向かって右側

 そしてときがうつって6月。
 暑くなってきましたね。再度お仕事で名古屋。この日は朝イチだったので、前回よりも時間があります。
 というわけで、行きたかったけれど積み残していた場所、津島へと向かいます。津島へは名鉄ですね。名鉄の名古屋駅、様々な路線の電車が入り乱れて大変なことになっている駅であることは認識してましたが、基本的には乗換案内と列車の表示に頼れば足りることは認識してました。
 そのため、ここを使うのは何回目になるのか分からないレベルなのに、ホームの正面に次に来る列車の路線表示が色々と創意工夫されていることに今さら気付いたのでした。面白いなこれ。

名鉄名古屋

5.津島到着

 津島駅に到着です。津島は西側に津島神社などの観光地があり、東側は特に何も無い……のですが、東側にホームセンターを取り囲むショッピングセンターがあり、ここで昼食をとることにします。

津島駅からの眺め ようこそ・尾張津島へ 料金表 上が西で下が東
佐屋駅が無人になるようです 喫茶ニューカントリー
検索すると昔の賑やかな店舗外観が出てきますが、
現在は閉店しているようです

 というわけで、名古屋名物あんかけパスタ。安心安全のチェーン店であります。パスタ・デ・ココ。
 中に入ると何が書かれているわけでもないのに、CoCo壱番屋と同系列の店であることが分かりました。なにがCoCo壱っぽさを出しているんでしょうかね。


6.天王通(行き)

 津島駅西口から津島神社までの道は古い街の色を残した非常に興味深い通りでした。
 一応、津島神社の参道、ということになるのでしょうかね?天王通りという名前のようです。
 行きと帰りで寄った場所も違うのですが、とりあえず旅行記なので立ち寄った順番通りに載せていきます。

駅前の観光看板 真っ直ぐ伸びる天王通

 まずは常楽寺。静かなお寺でした。
 解説のあった苧之座については、写真で解説をちゃんと見るまで苧でなく芋だと思ってました。

常楽寺 苧之座

 もうちょっと進むと、地図も出てきました。
 かつては本町筋が街道筋だったとのこと。津島湊に向かって南北に延びている通りですね。ここを北に進むとどこに行き着くのでしょうか?

いわゆるシャッター街 津島観光案内図 味のある建物
イトウ写真館
きれいだけど、現役なのでしょうか?

 津島神社の祭礼である天王祭はユネスコの無形文化遺産に登録されているようで、そのあたりの解説はあちこちに見られます。


 そして、ここでも人気があるのが加藤清正。福島正則とどこでこんなに差が開いたのでしょうかね?
 と、いうわけで、清正公社。清正の叔父の家がこのあたりにあって、清正の伝承も残っているようであります。明治18年建立って、かなり最近だけれど、明治政府の徳川下げと関係あるのだろうか。
 そして、その近くには地蔵堂もありました。上河原地蔵堂という名前のようです。

清正公社
上河原地蔵堂

7.津島神社

 とまあ、そんな感じで周囲を見ながら歩いていたらあっさりと津島神社に到着です。

大イチョウ ここから道が狭まります 津島神社のイチョウ
県指定天然記念物
鳥居

 立派な楼門があって、さすが有名神社だと思わされますね。重要文化財になっているようです。石造りの神橋もいい味出しておりますな。

神橋と楼門 神橋 六社まいり 楼門解説 楼門から境内を見る 楼門天井

 そして。立派な楼門があったからてっきりこちらが正面なのかと思ったら、拝殿は南向きでした。
 そして、さすが愛知という気分になったのが、南方向にある蕃塀。懐かしい。清須に行ったときの旅行記を書いてるときにちょっとだけネットを見て回った記憶がよみがえってきました。こういう地域性があるものを見ると楽しい気分になりますね。

案内図 天王祭について 工事の趣意書
拝殿 拝殿右手 拝殿 蕃塀 拝殿
山車庫 斜めの角度から
確かに年季が入っております
内側から楼門を こちらも年季が入っております

8.宝寿院

 続いて、津島神社のすぐ北にある宝寿院。津島天王社の神宮司であります。

解説 参道 縁起 池を眺める
門の左右にいるのは象でしょうかね? 境内
本堂 大師堂 弘法大師様
涅槃仏 水子地蔵と地蔵堂 地蔵堂
かたちがインパクトありすぎです
降魔成道の釈迦如来

 そんなわけで、津島神社まわりの散策終了です。
 信秀や信長由来のなにかがあったりはしないんですね。津島神社の歴史をちゃんと勉強してないので、信秀信長あたりと津島神社の関係を理解できていません。
 とりあえず、このあと読んだ谷口克広さんの織田信秀の本にいくらか記述があったので泡沫サイトの特権を生かしてちょっと見てみます。



 さて、津島神社参道には大神社あるあるの地元の銘菓店があります。その商品は「くつわ」と「あかだ」。固い食感が有名なお菓子のようです。参道の左右にお店があったんですが、片方は常連っぽいおじさんがカウンターで長話してたので、もう片方のお店に入りました。ここでくつわを購入。ここも総本家やら元祖やらの対立はあったりするんですかね?誰かこのあたりをまとめてる人とかいないでしょうか。
 この手のもの、店で買ったときは袋に入れていただくので写真を撮ることができず、職場で配ったり自分で食べたりするときは写真なんか撮らないので、結果買ったものの写真が残りません。買った瞬間は「配る/食べる前に写真残そう」って思うんだけど、私の脳みそじゃ覚えていられません。

参道左右にあります どちらのお店も昔の看板を大事にしているのが分かります

 津島には、天王祭のほかに秋祭りもあるようです。てっきり同じものかと思ってたら、どうも違うっぽいですね。


9.津島湊

 では、津島湊に向かいます。
 途中、銭湯がありましたが営業時間外でした。

 そして、旧天王橋の案内。地図を見ても、イマイチ昔の街道筋のと天王川の位置関係を理解できません。

池須温泉 旧天王橋
地図を見てもイマイチピンとこない

 そして、見えてきました。津島湊跡。今は静かな川辺という感じですね。織田家がここの収益で儲かっていた、という噂は常々耳にしておりましたが、令和の世の中においては川の流れも変わり、湊らしさはまったくなく、色々と開発が進み、往時の姿は浮かんできません。いたって静かな公園であります。
 津島湊の解説板だと思って見てみたらさくらと楓の解説でちょっとがっくり。

到着。鳥居がありました
特に解説はなかったのですが、
湊側から津島神社への鳥居でしょうかね??
鳥居から津島神社方向 静かな湊を眺める 階段を下に降りて眺める 下から鳥居方向
パノラマ 天王川公園の桜と楓 山桜一千本 楓五百本

 で、ちょっと移動すると、もっと「川」らしい場所に到着(色々見てると実際には池のようです)。ここにありました、津島湊の解説。
 この場所は川の中に島があり、そこになにやら櫓が組まれています。解説板にある車河戸というのはどうやらこいつのことらしく、天王祭の際にまきわら船を準備してどうもこの櫓というか屋形を船の上に載せるとのこと。これは実際に見てみないと分からないな。探せば動画も出てきそうだけれど、残念ながらこれを書いているのは釜山でして、あまりギガを無駄にできない。

津島湊解説 車河戸と川っぽい景色

 そして、この川(池)沿いの土手を歩いていると、濃尾地震の石碑。
 東京に住んでいると濃尾地震や伊勢湾台風、あるいは木曽川の輪中など、このあたりの様々な災害等について、教科書的な知識はあっても、実際の被害を意識することはありません(まあ関東大震災や東京大空襲を意識してるかというと意識してないんだけど)。こうして石碑などを見ると、教科書上の被害が現実のものとして意識されて、平和ぼけしながらも、平和な世の中をありがたく思うのでありました。

濃尾大地震記念碑

 まあ結局、津島湊が当時どんな具合だったのかは現地を訪れてもさっぱり分かりませんでした。おそらく津島市立博物館的な場所に行かないとダメなのでしょう。

 近くにあった御嶽神社に参拝しつつ、津島駅に戻ることにします。


10.天王通(帰り)・奴野城

 天王通りに復帰するみちすがらも、いろいろ解説板がありました。さすが、古い街であります。

明治天皇御在所という石標が立っていた、浄光寺 片町
天王川の東側の堤防に面した街だったようです
氷室作太夫家住居
橋詰町
その名の通り、天王橋のたもとにあった街とのこと
本町筋
堤下神社。かつては川を隔てて津島神社の遙拝所だったとのことです。
橋を渡れない人もいたのでしょうか。
堤下神社の井戸

 天王通りに復帰しました。
 ここで気になるのは古いタバコ自販機。検索したら多くの人の興味関心を惹いているようで、過去の姿も色々と見つかります。
 こちらを見ると、4年前の2020年にもタバコは微妙な角度だったことが分かります。当時よりも少し左下に下がってるようにも見えますが、写真の角度の問題でしょうかね??


 続いて、西方寺。ここにはかつて奴野城があったとのこと。西方寺も橋詰町から火災被害を逃れてここにやってきたようなので、土台なんかが旧城として建物などを設置しやすい状態になっていたのでしょうか。
 奴野城の奴野は「ぬのや」と呼ぶようで、このあたりの名称だった布屋と奴野はどっちが先についた名前なのか興味深いところです。

布屋 このあたりの道 西方寺 参道 山門 本堂
観音様 庚申塔 何事も程々に 裏側から、山門 参道脇にあった地蔵堂

 そして、天王通りを歩いて津島駅に戻りました。

天王通りに復帰 西芳寺の本堂が見えます 天王通りの様子

 そんなこんなで、とりあえず行きたい場所そこそこ上位に位置していた津島に行けてよかったです。
 もうちょっと準備して下調べをしてから行けていたらよかったんでしょうが、まあ仕方がない。

津島駅 改札 質屋さんの圧が凄い ホームからの眺め



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