タガジョーノーブルPart1(東北歴史博物館編) 〜三景松島杯その2〜

※無理に題名を競馬に近づけようとするから意味不明になるのは百も承知です

 今回の旅行で知った話でありますが,仙台から北に向かう電車は2本あり,1つは仙石線。もう1つがおなじみ東北本線。そして,震災で大きな被害に遭ったのは仙台と石巻を結ぶ仙石線のようです。この2本,もちろんせっかく2本走らせるんだからすぐ横を走っても仕方がないわけで,ちょっと距離の開いた場所を走っております。そして,それゆえ相互に行き来するのが(すくなくともバス路線がどう走っているのかよく分からない観光客には)極めて難しい。今回の旅行でいうと,観光地としての国府多賀城は東北本線,松島海岸は仙石線,最終目的地涌谷に行くには東北本線です。てことで,今回の旅行においては,この2本の間を移動しないといけません。地元の方々なら(そもそも車を使うから電車はいらない,というのはさておき)バスを駆使してなんとかするんでしょうが,地域バスは駆使するのが難しい。しかも,学校が休みな土日はバスの本数が減っていることが多く,さらに難度が上がります。
 というわけで,今回の旅行では,国府多賀城→(景勝地としての)松島間の移動は,タクシー+船を採用することにしました。結果として,一度タクシーを使うのは何かに負けたような気がしてしまうのはさておき,時間的にもなかなかいい旅行ができていたのではないかと思います。とりあえず例によって前日に突貫工事で旅程を組み立てた割にはうまくいってたかと。

 そんなわけで,東北本線で国府多賀城に向かいます。ここで,本を読んでたらあっさりと1駅乗り過ごし,塩釜まで行ってしまうというまさかのアクシデント。ですが,東北本線は本数が多いのでわりとすぐに戻ってこられました。よかったよかった。

 で,まず,東北歴史博物館に向かいます。ここは多賀城をはじめとして東北における歴史的遺構の国家的発掘調査の拠点てことでしょうね。
 展示としては,常設展に最初に登場する土偶の数々。基本的に複製が多いのですが,「遮光器土偶」なんて久々に見ます(実はこのあと津軽馬市まつり遠征を企んで,遮光器土偶をなお意識することになったんですが,結局行かなかったのでまあ別の話)。考えてみたら,土偶って歴史の授業の最初の方で出てくるから絶対記憶に残るけど,結局それっきりでその後の人生に全く影響を与えてこないよなあ。

 で,その後の農耕や埴輪の時代を経て,多賀城です。場所的にも当然多賀城の解説がしっかりしております。これが多賀城本体よりも先にここを訪れた理由であります。現物を見てからここを見るのとこっちを先に見るのと,どっちがいいかは人それぞれでしょうが,個人的にはこっちが先でよかったかな(但し,廃寺を訪れることを前提とすると無駄歩きが増えるのが欠点)。
 で,東北のいわゆる蝦夷征討の歴史については正直当時はよく分かっておらず,というか多分小学校〜高校の日本史ではちゃんと勉強していて完全にその知識が吹っ飛んでおり(ちなみにこれを書いている時点では多賀城に加えて水沢の胆沢城にも行ってるので,多少知識が加わってます),坂上田村麻呂が多賀城にいたんだと思ってたんだよな。まあ,いたことはいたんだろうけれど,彼の時代に征服したのは北の胆沢城近辺であり,多賀城ではないのであります。
 それにしても,奥州は広いです。そして,木が生い茂っていて,完全に魔境の地です。しかも,当時は衛星地図なんてなかったわけで,「どこまで北に進めば終わりが来るのか」ってどこまで分かってたかも疑問です(さらにいえば,「終わりに見えるもの(おそらく海)は本当に終わりなのか」も分からんよな)。そんな時代に,北に向かって進軍し,北にいるエミシというよく分からん集団と対峙しないといかんのだから,多賀城に勤務する人たちも大変です。雪とかも凄かっただろうしな。精神的に耐えられる気がしません。
 もちろん,これはヤマト側の視点であり,エミシ側からしたら南から訳の分からん奴らが勝手な領有権主張してわーわー言ってきてるわけで,それはそれで大変だったであろうことは想像に難くありません。

 いずれにしても,ここ多賀城に大きな政庁が築かれたことは間違いないようであります。こんなところにこんな巨大なものを作ったってことは,ここを整地して木を切って材木を組み立てねばならないわけで,ひとことに「多賀城を築いた」とか言っても一大プロジェクトですよね。そのための人も雇わないといけないし,人を雇うなら少なくとも食料は用意しないといけないし。いやぁ,気が遠くなります。

遮光器土偶。右は重文なので,
複製ではないと思われます
なんとなく太陽の塔に似てる 猪と四つ足人面獣 当時の城柵配置と多賀城
この板碑がこれだけ読めるだけしっかりと残ってたってのが凄い 第2期の模型
外の築地は1辺900m,中の政庁は100m四方とのことであります
変遷
多賀城廃寺模型
当時は仏教国家だったってことですな
東門まわりが枡形に近い 出土品

 で,坂上田村麻呂を経て時代は中世にうつっていきます。この時代の展示は主として熊野新宮寺の一切経への協力寺や中尊寺等,寺院を中心とした展示になっております。これは,単に寺院がからむと歴史が継承・保存されやすいってことなんではないかと思います。
 んで,個人的に色遣いも含めて興味深かったのが,鳥屋神社にあるという奥州石ノ巻図。なんともいえない色合いで,素晴らしい。鳥屋神社自体は今は小さな町の神社で,おそらくこれの一般公開なんてしてない(すくなくとも常時公開はしてない)だろうから,こうして複製を見られるのは喜ばしいことです。あと,複製なら写真撮れるのも記憶喚起的にありがたいですね。

金色堂内陣柱(の復元) 懸仏 一切経の一巻 水晶製舎利容器 奥州石ノ巻図

 さて。このあとです。ちょっと奥まった一画に,「ワラの神々」の展示がありました。衝撃の展示です。普段見慣れている神像や祭祀用具なんかとは全然違います。なんともいえない独特の表情をしたワラの神々。そして,各地でまたことなるワラの神々の扱い。各地のお祭りについて,数分で解説するビデオが4つくらいあったんですが,時間がそんなにないのに全部見てしまいました。それくらい興味深かったです。いやぁ,面白い。歴史博物館なのに民俗的なことも扱ってるんですね。そうならそうと言ってくれればよかったのに。いけずう。
 それにしても,なまはげ以外にもこんなにいろいろな神様の祀り方があるんだな〜。いやぁ,日本は広い。
 できれば,この展示についてなにか図録なり解説本なりがあればよかったんですが,とりあえずミュージアムショップを見た限りではなかったです。残念。

なんという異空間
正面は田村市屋形地区のお人形様
大館市繋沢地区の人形様 鹿島舟と鹿島人形 芭蕉の辻模型。これは宝くじのお金でできているようです

 そんなわけで,戦国〜近世期の展示は思ったよりも控えめでしたが(ほかにいくらでも博物館がありそうだしね),それ以外の展示は素晴らしかったです。公設博物館はこうでないと。ちょっとまた行ってみたくなりました。

 そして,そのあとは特別展と,レディーガガのカップ。レディーガガについてはいまいちすごさがよく分かってないんですが(ファッションが奇抜なのは分かってますが),とにかくガガ様が復興チャリティーのために出品したカップが展示されておりました。どうも,落札した方は既に亡くなっていて,このカップは世界各国からのチャリティーの象徴として飾られているようであります。落札された弓さん,出品したガガさん(どっちも読むと2文字だな),その他いろいろな人の思いを背負って展示されているようでした。

 特別展は杉山コレクションの土偶,柄鏡,刀剣甲冑類の3つ。杉山寿栄男氏については浅学すぎて知らんのですが,これだけの数の土偶をこれだけの品質で保存して蒐集してたってんだからすごいっす。


 で,外には北上町の古い住宅が展示されておりました。県の有形文化財のようです。

今野家住宅 母屋 外観にも金かかってるなー
金かけすぎじゃないかなー

 そんなわけで,駅をこえて多賀城跡地に向かいます。

仙台東北歴史博物館多賀城跡松島瑞巌寺東北輓馬大会涌谷天平

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