臼杵好きその2
国宝。国の宝です。
国宝の仏様は基本的に京都奈良に集中しており,九州では多分ここ臼杵の石仏(磨崖仏)が唯一の国宝仏です。
しかも,1体が国宝,などというレベルではなく,国宝指定が59体!あれも国宝これも国宝。みんなみんな国宝です。びっくりです。
制作は平安時代とのことですが,屋外で風雪にさらされて1000年以上形を保ったってのは凄いことですね。今の姿に修復されるまで多くの作業が行われたようでありますが…一般的に有名だとされる「胴体の前に据え置かれた首」の絵柄はここに行くまで見たことが無く,その意味での感慨はそんなに無かったのでありました。
そんな臼杵石仏。駐車場まわりはいかにもな観光売店がありますが,所詮臼杵なので規模はたかがしれております。観光客も多くなく,マイペースで見られて快適でありました。
敦煌と友好都市になってるらしい 敦煌って名前はよく聞くけど 実際どんな感じなんだろうか |
こんな道を歩く | 少年団作成 | 解説 | 国宝 | 国宝指定前の石塔はこれ |
まずは簡単な清浄香と観音の水。
実は,ここに行くまで,この石仏は,「法隆寺の釈迦三尊像」という感じで「○○寺の石仏」というような感じになってるんだと思っていたのです。ところが,近くにお寺はありますが,お寺の管理下にあるわけではなく,それゆえ料金も入山料ではなく単純に観覧料という扱いになっておりました。維持管理もお寺ではなく臼杵市がやってるんだろうな。
清浄香 | 観音の水 |
そんなわけで,石仏ゾーンに入ります。
まずはホキ石仏第二群。この第二群は2つの龕からなるようです。人生,ここにきて初めて「龕」という文字を目にしました。一応コピペでこのページに貼り付けたわけですが,本当にこの感じが登録されているのか不安でたまりません。しかし,龍が合わさって龕ですか。てっきり龍が合わさることと仏様が合わさることが重なって,仏様の集合体を龕というのだと思ったら,仏像を納める厨子を龕というようです。ううむ,漢字の世界は深い。そういえば,漢和辞典を実家に置き去りにして久しいけど,自分用に買おうかな。
しかも,検索してみたら土肥金山跡地に「龕」と名のつくものがあったことが判明。土肥金山には高校の修学旅行で行っているので,もしかしたら龕も見てる可能性があります。これだから高校生の修学旅行はダメだな。
それと,「ホキ」というのはがけという意味の地名らしいです。なるほど。崖を「ホキ」と呼ぶのはこの地方だけなんだろうか。
それはさておき,第1龕は阿弥陀如来坐像とその脇を固める菩薩の立像から,第2龕は阿弥陀如来坐像とその脇を固める各4体の阿弥陀如来立像から構成されております。仏像に対する知識がなさ過ぎて,こういう構成がいったいどういう意味を持つのかさっぱり分からないのであります。
ただ,こうやって岩に9体も阿弥陀如来を彫るってのは失敗できないことも含め(失敗できないのは一木造のものとかも同じですが),相当根気のいる作業だと思いますし。
ホキ石仏第二群 | 第2龕 | |||
第1龕 |
続いて第1群。基本的に施設側が想定している通りの順番で回ったはずなので,番号が逆転するのは見学順と発見順に違いがあるんでしょう。
で,見ている当時は全く意識していなかったのでありますが,「近くにある」というだけで制作者や制作年代が一緒である保証はどこにもないんですよね。仏像に関してはとんと疎いので,表情がどうとか装束がどうとかそういうのは全然分からんのであります。
第一群は1〜4龕に分かれております。4321の順番で見ていくことになります。
素人的には仏像の表情よりも,仏像の下に空いている丸や四角の穴が一体何なのかにまず目が行ってしまいます。どうもお経や願文などを入れる場所だったようですね。
第4龕の左右に5体いるのは十王像ですね。十王っていう思想はいつ日本に入ってきたのだろうか……。どうも,末法思想全盛期に日本でも大流行したようですね。この石仏の制作年代と一致してるっぽいな。
第3龕は左右の立像がぼろぼろになって存在感を失っております。真ん中の3像は下にくっきりと分かる●と■があって素人の目をひいてしまう分余計に。しかし,立ってるのに真ん中の3像より背が低いので,なんとなく悲しく見えてしまうな……
で,第2龕。偶数なのでちょっとバランスが悪く見えてしまいます。本当は逆側にも立像があったんじゃなかろうか,ということはみんな考えるだろうから,無かったんだろうな。
第1龕も,特に真ん中の(伝)釈迦如来像なんかは見るからにボロボロだったっぽいので,修復した人は相当頑張ったんだろうなぁ。
第1群 | 第4龕 案外色と装飾が残っているのが凄い |
第3龕 | |||
第2龕 | 第1龕。見るからにボロボロになっていたことが分かる |
続きましては,山王山石仏。
しっかりとした木の覆いの中に3体が鎮座しております。3体とも,特に真ん中の釈迦如来さまと向かって左の阿弥陀如来さまはこどもっぽい雰囲気を残してますね。これ,つくった人にこどもがいたとかそういう事情があるんでしょうか。教科書なんかで「柔和な表情」云々書かれても特になんとも思わないですが,この釈迦如来サマに関しては面白い表情だな,と思います。やっぱり生で見ないとダメですね。
山王山石仏 |
ここで少し脇に逸れて,日吉神社へ向かいます。
しかし,こんな場所のこんな神社までも菅原さんを神としてお祀りしているから驚きです。雷で何か被害にあったりしたのかな。
鳥居 | 日吉神社 | 脇から入ったのでまず本殿 | 拝殿 | |
中から | 木の狛犬 | 脇の彫刻 昔の人の姿なんだろうな なかなかこういうのは見ないので面白い |
しっかり残っています 結構新しいお社なのかな |
さらに,五輪塔を目指していると,やけにアピールしてくる仏様がおります。まあ,みなさんなかなか裏の仏様まで手(足)が回らないんでしょう。
でも,管理している方の仏様への愛情が感じられて,こういうアピールはいいですね。人によっては御利益でアピールするのを嫌うでしょうが。
アピール | 裏の仏様 | これも個人作なのかな? | 隠れてますがここにもアピール | ! |
ちなみい,NPの「馬券的中」というお願いはかなえてもらえませんでした。
さて,五輪塔にも寄ってみます。まずは県指定文化財の方の五輪塔。
そして,さらに進むと国の重文の中尾五輪塔であります。
後者は個人所有らしく,所有者の方のメッセージが数多く書かれておりました。さらに,ノートには所有者様の暖かい解説も10ページにわたって書かれておりました。実はこれも写真に撮ってあるのですが,一応個人の方のつくられたものですのでアップは控えておきます。ご自身で相当研究をされたこと,この塔に愛情を持っていることが読んでいて伝わってきます。いやぁ,こういうものを見られるのが嬉しいですね。
なお,例によってホワイトバランス設定に大失敗してます。大反省。
何メートルなのだろうか | 新しい説明 | 五輪塔 | 大小2つ | 解説 | 小 | |
大 | 暖かいメッセージ | 欠損片 |
さて,石仏群に戻り,古園石仏であります。
この古園石仏が,かの有名な(但し自分は知らなかった)頭部がもげ落ちていた石仏であります。まさしく,臼杵石仏のシンボルたる石仏なわけです。
その「頭が落ちていた」仏様は,大日如来サマであります。これ,頭がどうやって落ちたのかは分かりませんが,頭が落ちたのに頭は割れなかったわけですよね。これってかなり奇跡的なんじゃないかと思います。そうでもないんでしょうか。文系には分からんとです。
あと,一体離れていた仁王様はこれだけでなんでしょうか。
古園石仏。これだけ見ると,かつて頭が下に落ちていたとは思えないな | この頭部が前にある姿って 何も知らずに見たら衝撃的ですよね |
仁王様 |
そんなわけで,石仏群の見学はこれにて終了。
続いて,石仏公園とはす池を挟んで反対側に向かいます。
お釈迦様といえば蓮なのですが,このはす池はいつからここにあるのかな?
ついでに,化粧の井戸にも寄ります。ぱっと見白く濁ってそうな井戸でしたが一応無色透明無臭でありました。でもまあ飲む勇気はなし。柄杓があるし飲むなとも書いてないから飲む人もいるんだろうけど。
満月寺 | 石仏公園の広場 | 化粧の井戸 | ||
井戸水 | 水 | 水 | はす池 |
満月寺側にも見所はたくさん。このあたりの管理はこの満月寺がしてるんでしょうかね?
そんなわけで,最後はちょっとお土産屋さんに寄っておしまい。
時間が余ってたらだご汁を食べてみたかったのですが,白馬渓に行かねばならんので今回はパス。また大分に来たときのお楽しみであります。といいつつ,結局今日に至るまで大分のだご汁(熊本のドーミーでは食べたのだけれど大分と一緒なのだろうか?)を食べずにいるのであります。大分は国東半島の富貴寺やらその他諸々のお寺が興味深く(宇佐神宮もね),さらに今回行かなかった臼杵城を始め,府内・杵築など行ってみたいお城も多いのよねん。
あと,旅行記という名の防備録を書くにあたって,公式ページやWikipediaを見て知識を補充しつつ復習するのが通例なのでありますが,臼杵石仏に関してはここが充実してました。石仏に特化したサイトのようですが,読んでいて非常に勉強になります。ネットって本当に凄いですね。
おみやげ | その前に石仏の頭のレプリカ | 赤ネコ | 英語の解説が日本語の直訳ではなく Aka=red,neko=cat,としっかり 解説しているのが 作者のやる気を思わせる |
リアスの風 | …を買わずに, かぼすドリンク |
さわやかトイレ! さすがに大分だと公営競技は出てこない |