リーディングレディング

 Readingという街は、リーディングではなくレディングと読みます。これは、初めてアスコットに行ったときに学びました。あのときは、LondonからAscotへの乗換で利用したのです。
 今回は、方向が逆です。Southamptonからニューベリー競馬場に向かうにあたっての経由地がレディングになります。この駅は翌年アスコットに行くときも使いますし、便利な駅です。レディング、っていう響きもなんかさっぱりしてていいですよね。

 今回は、ニューベリー競馬場に向かう途中の乗換駅で一旦降りて、レディングを探索してみることにしました。まあ、時間もあまりないので駅の近くにあるReading Abbey跡地を見るだけです。

 というわけで、Readingの駅です。イギリスらしく、無駄にごつい駅です。地震が無い国はこれだからうらやましい。

駅に到着 駅の構造がわかりにくいんですが、この順番で並んでいます
右手の正面口っぽい入口から、パブの裏手を通ってホームへ向かうかたち

 駅を出ると、まず登場するのは公園です。Forbury Gardensという名前のようです。
 公演、といってもレンガの壁で囲まれていて、あまり開放的な空気は無く、庭園に近いのかな。1856年〜1864年のあいだに作られた公園のようで、日英和親条約が1854年、日英友好通商条約が1858年ですから、日本が幕末でわちゃわちゃしていることにできた公園ということになりますね。イギリスのビクトリア朝下で、このような公園を作る動きがあったようです。
 公園内には、イギリスにありがちな即席遊園地施設や、簡易的なアイススケートリンクがあったりして、地元の方々がここで楽しめるようになっています。まだ時間が早いので、この時点では誰もいませんが。
 ライオン像、逆光で黒くなっちゃったので1枚目は明るくしてます。Girishk Maiwand(GじゃなくてCかと思って検索に苦労した)とKandaharの名前があり、どうもアフガニスタンの戦死者を祀るための像のようです。世界史は完全に記憶からぶっ飛んでるんですが、第2次アフガン戦争において、マイワンドの戦いで英軍が敗れ、カンダハールの戦いで勝利したという流れになるようです。うん、ビックリするくらい覚えてない。ここによると、このマイワンドの戦いの敗戦は、19世紀におけるイギリス軍の唯一の敗北だったとのことです。これはアフガニスタンを巡る英露の対立ですが、この20年ちょっとのちに英露が東アジアを巡って対立し、日英同盟からの日露戦争に至るというわけですな。

 ちなみに、Forbury GardensMaiwand LionはどっちもWikipediaの記事がありました。

入口 解説と地図。下にはReadingまわりの年表も 遊園地 アイススケートリンク
逆光のライオン。筋骨隆々です 奥の解説 このあたりの雑さがイギリス
奥のGarden入口 入るとこんな感じ 左奥に丘が見えます。これがForbury Hill 地図にあったFerneryの
意味を調べた図
このあたりがFernery
噴水
草が枯れててイマイチ
丘からぐる〜っと見回す Forbury Hill

 Forbury Gardensの奥がReading Abbeyの残骸に繋がっているのですが、順序を戻して、一旦外に出ます。外には、Abbey Gatewayがあります。昔は、内門(Inner Gateway)だったようで、この門で日本の城郭で言うところの本丸と二の丸が区分けられていたわけですな。
 そのGatewayの並びには、Crown Courtがあります。裁判所ですね。
 そして、道路にはVictoria Crossヴィクトリア十字章)を授与された兵士、Frederick William Owen Pottsさんの顕彰碑。日本だと背の高い石碑が建ってることがおおいですが、イギリスは土地に余裕があるのか、こんな感じにどっしりとしています。このFred Pottsさんは、第1次大戦のガリポリの戦いに従軍した兵士のようです。地元では英雄のようで、Potts VC Trustなる基金があるようです。このあたりのイギリスの感覚はよく分からないところで、例えば日本で言うなればミッドウェイの南雲基金や山口基金ができるような感じなのかな?
 また、繰り返し書きますが、イギリスにおける第一次大戦の重さも感じるところです。こういう場所で出てくる慰霊碑的なものは軒並み第1次大戦のもので、第1次大戦が本当にイギリスに大きな傷跡を残したのだと感じます。

Readding Abbeyの地図。新旧対比があって非常に分かりやすい Fred Pottsさんの顕彰碑 慰霊碑
ボーア戦争〜
第1次・第2次大戦
人が多いのは第1次です
Victoria Crossについて ガリポリの戦いについて
Abbey Gateway その右手には裁判所 さらに奥の建物はホテルです

 そして、修道院跡をもうすこし探索します。
 そもそも、修道院というのはなんなのか、というと、まあイメージは「天使にラブ・ソングを」やサウンドオブミュージックあたりに出てくるイメージです。これがイギリスでは、ヘンリー8世の宗教改革で一斉に王権の支配下におかれることになり、修道院が一斉に廃墟と化したようです。英語版WikipediaにはDissolution of Monasteriesという項目が設けられております。

 そして、Reading Abbey。日本だとこういう所に来れば紙のパンフレットがあって非常に探索しやすいんですが、イギリス、というか日本以外でそんな親切な国ってほとんどないですよね。代わりといってはなんですが、Readding Abbey関係でAbbey Quarterのサイトと、Friends of Abbeyのサイトがあります。後者は日本でいうところの○○友の会だとして、前者はなんなのでしょうかね。教会系のページなのかな?
 そして、忘れてはいけないWikipedia。さすがに日本語はありません。
 修道院を建てたのはヘンリー1世。1121年ですから、日本でいう平安時代ですね。ホーホケキョ。
 何が怖いって、最後の修道院長は反逆罪で有罪になったのはまあ時代的に仕方ないとして、"Hanged, drawn and quartered"とのことです。この刑罰、Wikipediaがあり、しかも日本語版もつくられています。日本語では「首吊り・内臓抉り・四つ裂きの刑」と訳されているようです。字面を見ただけで恐ろしい。みんな大好きガイ・フォークスさんもこの刑を執行されたみたいですね。

 そんなReading Abbeyですが、2009年から立入禁止になっているようで、ここでおしまい!
 今は2015年ですので6年間も封印されてるのか……。これはもうオープンする気ないな。
 でも、Google Mapのストリートビューを見てると、工事をしている空気感も出てますね。もしまたアスコットなりニューベリーなりに行く機会があったら、もう一度寄ってみようかな。

 というわけで、何をしに来たのか分からなくなってしまいました。ううむ。仕方がないので、まわりを歩くことにします。

King Henry I's Memorial Cross
とGoogle Mapさんにでていた
これは現役の教会
St James Church
解説板 下の門から入れるはずが……
一般公開禁止中!
正面の教会はNursery/保育園のようです
よく分からない彫刻
1936〜39のスペイン
これは第2次大戦の慰霊
ビルまでの戦死者を祀っていると思われます
ナーサリーの脇から見えた構図 歩きながら見えた遺構
川沿いの公園から見える遺構 別角度のもの 公園内のモニュメント
川沿いから見える遺構 ここも立入禁止です 建設許可的な張り紙 門から撮った写真

 というわけでして、外観を眺めただけで終わってしまいました。当時の記憶もぶっ飛んでいるので(書いているのは2020年12月31日)、漠然と川沿いから遺構外観を眺めたことしか記憶にありません。まあ、戦争用の城では無く修道院跡地なので、縄張りとかを気にしても仕方がないしな。

 最後に川縁を歩いて駅へと向かいます。

川の周りの様子 あらためて、修道院遺構 昔の橋か何かの遺構だと思うんですが、この運河も含めて、どういう意図で残しているのか
解説が無いのでよく分かりません
セントローレンス教会 Town Hallの並び。赤レンガが印象的な建築物です
ここにReading Museumも入っているようですが、スルーしました

 というわけで、とりあえずReadingと書いてレディングと読むことを学んでから15年以上、ようやくReadingに行くことができた、というお話でありました。
 さあ、ニューベリー競馬場です。
 


Newbury競馬場に到着・バックヤードツアー1〜4レース・内馬場ツアーHennessyGoldCup


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