ベルファストの虜

10.ベルファスト城
10.1 ブランチ


 3日目です。まずは腹ごなし。
 今回旅をしているインド人はベジタリアンなので、ベジタリアンフードを出している店が条件となります。まあ北アイルランドとはいえイギリスなので、ある程度探せばベジタリアンフードを出す店は見つかります。そして、そのインド人のリクエストで日本食店へ。見るからに量産型えせ日本食店で、日本人が積極的に行きたい店かというと全くそんなことはないのですが、じゃあ積極的に拒むだけの理由はあるとかというとそんなものはないので入店。写真を見る限り、私はインド人への当てつけかのようにカツカレーを注文していますが、特にそのことをネタに何か会話をした記憶もないので、単に私が長期間イギリスにいて日本的なカレーが懐かしくなっただけかと思います。

 なお、今回行った店はSUSHI HOUSEという店であることは残された写真からも容易に想像がつくのですが、Google Mapで検索しても出てきません。店名があまりに安直なせいかとも思いましたが、とりあえず残された電話番号をもとに"028 9023 4418 Belfast"で検索したところ、yelpで発見し、住所も判明。Googleのストリートビューを見ると、2012年10月2014年6月2015年5月はTEATROという名前の店で、2016年6月にSHUSHI HOUSEになったものの、2017年4月にはFOO KIN GUSTOという別の店になっているようで、さらにその後もコロコロと店が変わっています。オーナーが同じ人なのか違う人なのかは分かりませんが、まあそういう場所だということですね。「所詮は量産型怪しげな日本食店であった」とみるか、「短い期間しか営業していなかった日本食店に行くことができた」とみるか、何事も前向き後ろ向きどっちにも考えられますのであとは心の持ちようです。

ホステル前の道 ホステル
SUSHI HOUSE外観 店内。安直な提灯がいい味出してます カツカレー
ゴマがいい味出してます

10.2 ベルファスト城

 続いて、ベルファスト城へ。正直、写真を見たらここの風景はなんとなく脳の奥の方から記憶がよみがえってきましたが、行ったことは完全に忘れてました。ここにきて城に行くとは、これも自分のオーダーな可能性があるな。
 付き合ってもらってありがたい限り。

 日本のお城マニアもベルファストにはあまり行かないのか、ベルファスト城のWikipediaは英語版しかありません。競馬マニアの頭のおかしさがあらためて際立ちます。
 長い文章を読めない現代っ子の私は、とりあえず例によってChat GPTに歴史をまとめてもらいました。
ベルファスト城(Belfast Castle)は、北アイルランドの首府ベルファスト市北部、ケーブヒル(Cave Hill)の南斜面に建つ城館で、街の歴史とともに姿を変えてきました。

最初のベルファスト城は、12世紀後半のノルマン人侵攻の時代に木造の要塞として建てられたと考えられています。その後、17世紀初頭の「アルスター植民(プランテーション・オブ・アルスター)」政策の中で、イングランド・スコットランド系入植者の拠点として石造の城へと発展しました。当時の城は現在の市中心部、リバー・ラガン河口付近にあり、港町ベルファストの防衛と行政の中心でした。

しかし市街地の拡大や火災により、旧市街の城は次第に役割を失います。18世紀に入ると城は取り壊され、ベルファストは商業都市として急速に成長していきました。現在私たちが目にするベルファスト城は、この中世の城の直接の遺構ではありません。

現在のベルファスト城は、1867年から1870年にかけて、ベルファスト一帯の有力地主であった第3代ドニゴール侯爵のために再建されたものです。建築を手がけたのは建築家チャールズ・ラニヨンで、スコットランド・バロニアル様式とネオ・ゴシック様式を融合させた優雅なデザインが特徴です。城は防御施設というより、貴族の邸宅としての性格が強く、眺望を重視した立地からはベルファスト湾を一望できます。

20世紀に入ると城は私的邸宅としての役割を終え、1934年にベルファスト市に寄贈されました。その後は公園・公共施設として整備され、現在ではレストラン、展示室、結婚式会場などとして市民や観光客に親しまれています。ベルファスト城は、軍事拠点から貴族の館、そして市民の憩いの場へと変遷してきた、ベルファストの歴史そのものを象徴する建物と言えるでしょう。

 私は「城」と聞くと、どうしても日本中世〜近世の戦闘用の城を思い浮かべてしまうのですが、ここBelfast Castleは商業都市ベルファストにおける、貴族の邸宅として建築され、公園に変化したものです。無理矢理日本風に言うならば、近世の「陣屋」に近いものではないかと思います。なので、ベルファスト陣屋という認識で乗り込むと、戦争色がなくてもがっかりしなくて済むのではないかと思った次第。

 なお、Chat GPTに追加質問で「戦闘用の設備はないということか」を尋ねたところ、ない、との回答で、そういうのが見たいならCarrickfergus城を勧められました。やはり行くべきはカリクファーガス城だったようです。
右下にベルファスト城 Chat GPTに「回答をまとめろ」と指示したら
こんなキャッチーな絵が出てきた

 では、観光スタート。
 非常に「ヨーロッパのお城」という雰囲気の建物(城ではなく「お城」な感じ)と、その前には洋風庭園。非常にインスタ映えするスポットです。インスタに詳しくないので実際にインスタ映えるのかは知りませんが。

 まず、上から城と、庭園を眺めます。

移動しながら城を見ていく 庭園を見下ろす 噴水 ネコ

 さて、上から眺めて気になったモザイクのネコ。どうやらここベルファスト城は、ネコと関係の深いお城のようです。検索すると、9匹見つかるとかなんとか。まあ訪問時にはそんなことは知らなかった訳ですが、とりあえずヨーロッパのことには詳しそうなChatGPTさんに聞いてみました。
 最初の答えは長かったんですが(分かりやすかったけど)、それを500字でオーダーした結果が以下の通り。

ベルファスト城では、ネコの存在がとても印象的に扱われています。これは単なる飾りではなく、城を建てたドニゴール侯爵家に伝わる言い伝えに由来しています。それは「城に白い猫がいるかぎり、侯爵家は繁栄する」というもので、白猫は幸運と安定の象徴と考えられてきました。そのため城の内外には、石彫やレリーフなど、さりげなくネコの姿が取り入れられています。

ヨーロッパでは古くから、ネコは知恵や独立心、どこか神秘的な存在を象徴する動物とされてきました。同時に、ネズミを捕らえて食料や財産を守るという実用的な役割も担っており、大きな邸宅にネコがいることは、館がきちんと管理されている証でもありました。

さらに、ベルファスト城が建てられた19世紀のヴィクトリア朝時代には、建物の中に象徴的なモチーフや遊び心を忍ばせることが好まれていました。ベルファスト城のネコは、こうした文化の中で生まれた存在であり、現在では城の個性として、訪れる人々に親しまれています。

 そんなわけで、ネコを探しつつ、ウロウロします。

The Castle Cat ネコの植え込み ネコの置物
ネコのモザイク ネコのレリーフと置物
 庭から城を眺めながら写真撮影。
 インド人と中国人はなんか結婚式の前撮りみたいな写真撮ってますな。

下から城を見上げる 階段
ポーズをとるインド人と中国人
遠くを見る 庭から城を見る 庭の様子
花壇の様子
 城内の写真はごくわずか。一旦上に上がっている写真が残されているので、庭園からは城内には入れず、駐車場側から入るかたちになっていたのだと思われます。
再度上に上がった様子 中指を立てながら戻ってくるインド人 The Castle Catの解説を読む中国人
再度庭園を眺める ここでパンフレットをゲットしたと思われます
おそらく、在りし日のBelfast Castle Plane Crash on the hill The Castle was occupied
by the Royal Navy
中指を立ててきた罪で牢にぶち込まれたインド人と
なんかよく分からないけれど巻き添えを食らった中国人
The Castle in the deerpark Belfast Castle Steam Litt
 あとから写真を見返していると、この牢獄写真が次のCrumlin Road Gaolのものなのか分からなくなりかけるのですが、城を出た後に1枚庭の写真を撮っていたおかげで、これがベルファスト城内のものであるとの確信を持つことができました。よかったよかった。

11.Crumlin Road Gaol
11.1 導入

 市内に戻って、Crumlin Road Gaol。いわゆる刑務所です。刑務所というと、どうしてもモノポリーで学んだ"JAIL"という表記が頭に浮かぶんですが、ここは色々あってもイギリス。GAOLと呼ばれています。

 さて、このクラムリンロード刑務所に行く直前、といっても私が留学に行く前だから1年ほど前ですが、私は「父の祈り」をという邦題で知られる映画、"In the Name of the Father"を見ておりました。この事件、最終的にテロが起きたのはイングランドのギルフォードで、おそらく捕まった彼らはイングランドの刑務所に入ったんじゃないかと思うんだけれども、なぜか私は彼らの出身地であるところのベルファストの刑務所に入ったのだと思い込んでいて、「映画でも話題になった牢獄だ」というかたちでここを友人達に話したのを覚えております。ついでにいうと、同行していたインド人はCriminal Lawyerであると聞いていたんですが、「お前Criminal Lawyerなんだから刑務所見に行こうぜ」と誘った記憶もあります。
 てなわけで、何かと刑務所を見たがるわたくしNPなのでありました。

 では、入っていきます。入っていく、といっても建物に入る前に記念撮影ゾーンがあったのでまずは記念撮影。ちゃんと場所の名前が入っているのでどこで撮った写真か悩まずに済みます。ありがたい。

処刑される中国人
おそらく共産党に逆らったのでしょう

 で、中に入っていきます。
 パンフレット的なものがあったかは分かりませんが、なにかガイドブック的なものは買ったようです。例によって泡沫サイトなことをいいことに抜粋してアップ。
 つい先日もノッティンガムで刑務所を見たばかりですが、やはり死刑囚は実名でしっかりのせてます。日本で旧刑務所を見たことはないのですが(旧中野刑務所正門くらい)、日本でもこんなに死刑囚の名前出してるんでしょうか。プライバシーだなんだとうるさそう。

入口へ向かっていく図 表紙と裏表紙 はじめに 1843年〜1996年 歴史など

 では、当時私がつけたメモ。これとガイドブックが今回の旅行記の資料の全てとなります。
- 4ウイング
- ビクトリア時代はadが女性。当時は子供も同じ場所。後に別の場所へ
- 二万人が見物にきた。aの奥から見られるようになっていた
- 移動タンスの奥に処刑室。絞首刑
- 朝食時間にやった
- 50escape成功も失敗も
- burried site。dna検査で。名前が刻まれているが、誰がやったかは不明
 せっかくなので、ChatGPTにもこの刑務所について400文字程度でまとめてもらいました。
クラムリン・ロード刑務所(Crumlin Road Gaol)は、北アイルランド・ベルファストに1850年代に建設された歴史的な刑務所です。ヴィクトリア朝時代の最新思想を取り入れた放射状構造を持ち、看守が中央から全房を監視できる設計が特徴でした。20世紀にはアイルランド独立運動や北アイルランド紛争(トラブルズ)に関連して、政治犯や準軍事組織の関係者が多数収容され、公開処刑も行われました。1996年に閉鎖された後は史跡として保存され、現在は博物館として一般公開され、北アイルランドの複雑な歴史を伝える場となっています。

 じつは、最初に1000文字程度でまとめてもらったんですが、その際この刑務所が「ペンシルバニア方式」であるとの説明を受けました。それがなんなのか聞いてみたところ、以下の回答。
**ペンシルバニア方式(Pennsylvania System)**とは、19世紀初頭にアメリカ・ペンシルバニア州で生まれた刑務所の運営方式で、受刑者を徹底的に個別隔離することを最大の特徴とします。

この方式では、受刑者は一人一房の独房に収容され、昼夜を問わず他の受刑者と一切接触しない生活を送ります。作業・食事・祈り・睡眠のすべてを独房内で行い、沈黙(サイレンス)も厳格に求められました。目的は、他者からの影響を断ち、孤独と内省を通じて罪を悔い改め、更生に導くことでした。宗教的(特にクエーカーの思想)影響が強く、「反省(penitence)」を重視した点が特徴です。

一方で、長期の孤独が精神に深刻な悪影響を及ぼすことが次第に明らかになり、精神疾患や自殺の増加が問題となりました。そのため、より集団作業を認めるオーバーン方式などが広まり、ペンシルバニア方式は次第に廃れていきました。

それでもこの方式は、近代的刑務所建築(放射状配置の独房)や受刑者処遇の思想に大きな影響を与え、刑罰と更生を考える上で重要な歴史的モデルとされています。

 なるほど、これは知らなかった。

 ついでに、この刑務所のホームページを見たら、結婚式用の撮影にも対応してるんですね。刑務所で結婚式向けの撮影をする、っていうのはわりとビックリです。文化の違いは恐ろしいですな。それとも、自分が知らないだけで日本でも刑務所で結婚式向けの撮影をするのが流行してるのでしょうか。

11.2 内部探索

 まずは、博物館パート。
 なぜか4枚だけ写真が残っておりました。

囚人の基礎的な事項を記入して
房の外に表示していたらしい
Visiting order Order of Internment
(強制収容命令)
James Doyle氏のもの
夜間警備の刑務官が持っていた時計

 そして、Entrance Part。
 メモもないし、解説文もないし、ガイドブックにもこの部分に関する記載がないしで、よく分かりませんが、とりあえずの感想として、サッカースタジアムのロッカーみたいだな、と。おそらくはここに連れてこられた囚人が最初に検査を受ける場所ではないかと思います。

Entrance 個室 そこから上を見上げる 荷物入れ 天井部 外への道

 続いて、Courtyardへの地下通路。これも1つしか解説がはっきりないのですが、おそらくこの刑務所の向かいにあったCrumlin Road Courthouseへと向かう通路だと思われます。
 唯一私が撮った解説はパイプについてもので、どうも刑務所からパイプが伸びて、裁判所を温めていたようです。このような構造になった理由は不明。最大出力で温めていると中はサウナのようだった、というのは分かるんですが、それ以前に火傷しなかったのか、というか囚人が暴れていろんな人が怪我をしなかったのか心配になります。


 さあ、そしてお待ちかねの収容者ゾーン。監視塔がThe Circleと呼ばれております。そこから、A〜Dの4つのウイングが伸びております。なんかA〜Dだのウイングだのと聞くと、空港みたいですね。

 自分のメモは
- ビクトリア時代はadが女性。当時は子供も同じ場所。後に別の場所へ
だけですので、私の英語力で聞き取れたのはこれだけだったのだと思います。
ぐるりと見回す あらためてひいた写真 誰かいた
適当に何枚か Bウイング方向

 では、おそらく見学可能になっていたと思われるCウイングを見ていきます。
 トイレの解説が残されておりませんが、いちいち看守に言ってトイレしにいってたのでしょうかね??

Cウイングへ ウイングを封鎖する鉄格子 これがなにかは不明 逆側から
懲罰に用いられていたとされるCrank。よく分からんのだけれど、1分間に20回回すのが罰だったのかな? セルフで罰を受ける
Chinese
1846年の独房 Medical Officer's Office さっき用紙を見た
収容者情報
手紙の検閲 1970〜80年代の監獄
収容者が増加して2段ベッドを使うようになっております
ウイングキッチン
メインキッチンからこっちに運ばれていたようです
懲罰房
Double Cells 木のドア
ぞろぞろと移動 ここで折り返し トイレ。よく見たら、独房にトイレついてませんね

 続いて、executionの現場。絞首刑に用いられたと思われる輪っかが残されております。私のメモから、ここに関するものと思われるのは以下の2つ。

- 移動タンスの奥に処刑室。絞首刑
- 朝食時間にやった

 残された写真を見てもなんとなく分かることもあり、他方でよく分からないことが多いですが、死刑の方法について深掘りするのもなんか嫌なのでとりあえず写真を眺めるだけで終わっておきます。


 そして、運動場。
- burried site。dna検査で。名前が刻まれているが、誰がやったかは不明

というメモが残っております。なんか聞き取れた単語を羅列してるだけですね。DNA検査をやったなら誰がやったかは分かっているのではなかろうか。というか、死刑執行した人をここに埋めて、DNA検査をしたと言うことか。それと、後半部分は別のことかもしれないな。

出入り口 監視塔方向 別のウイング方向 広場の様子 広場の奥から建物の方向
1922という文字が読めます
 と、いうわけで、Crumlin Road Gaolの見学終了であります。お疲れ様でした。
売店にあった商品
こういうネタは好きです
向かいにあるCrumlin Road Courthouse

 犯罪について学んだ?あとは、平和について学びに行くことにします。

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