Cardiff城登城記〜後半

C Keep

 さあ後半戦です。
 久々に開放的な外の空気を吸います(Walesの曇天なのであまり気持ちいいという感じでも無いんだけど)。
 とりあえず、さきほどまでううろしていた時計台とCastle Apartmentを再度眺めて、いよいよ気になっていたKeepへと向かいます。一旦南門前に戻り、そこから北へと向かうかたちです。

時計台 Castle Apartment Keep方向

 南門のあたりから、北のKeepに向かって、城壁があったことが分かります。これは、ノルマン人がつくった城壁の跡で、これによって城内をCourtあるいはWardと呼ばれる区画に分けていたようです。Courtを中庭と訳すると(さすがに裁判所では無かろう)意味が分からなくなる上に、Wardの適訳が見つからないので、これは英語のままそっとしておくべきなのでしょう。日本語だと曲輪にするのが正解なんだろうけど。
 それにしても、城内を曲輪にわけるのはいいとして、平城だったとしても同じ高さの場所を高い城壁だけで区切る、というのは日本的にはあまり見ない気がします。日本だったら片側、あるいは両側に堀がつくられるんじゃなかろうか。というか、壁をつくるとしても堀を掘って出てきた土で土塁を作った上に壁をつくりそうなイメージです。詳しくないからあっさりと反対例出されそうだけど。

 記念碑のあったガリポリの戦いについては、以前どこかで見たな、と思って必死になって記事を探し回ったところ、Readingに行ったときにガリポリの戦いに従軍していたFred Pottsさんの顕彰碑を見ていたことが分かりました。

解説 壁越しに見るKeep
1915年ガリポリの戦い記念碑 壁を通路が突き抜けてますが
当時からここが通路だったのかは
怪しいところ
壁越しに、時計台とCastle Apartment 壁越しに見る南門と南東部

 さてさて。記事を書いている順番の都合上、Keepという言葉を初めてそれなりに意識したのは、翌年のヴァンセンヌ城でのことだと思います。とりあえず、ヨーロッパの城の中央部にあるメインタワー、的な認識なんですが、合ってるんでしょうか。日本語のWikipediaでは、「中世ヨーロッパの城で中心となる建造物」となっているので、まあ間違って無さそうです。
 なお、先ほどCaerphilly城でも引用させていただいた(あくまで引用と言い張る)、中世ヨーロッパ城郭・築城歴史百科さんには当然Keepに関する章があります(Cardiff城のKeepの写真入り)。また、中世ヨーロッパの城塞にも、キープに関する項が設けられております。
 城郭・築城歴史百科によると、キープはシェルキープからタワーキープへと進化を遂げ、タワーキープも技術や武具防具の発達と共に変化を遂げていったようです。
 モット・アンド・ベイリーという用語は日本語Wikipediaも参考文献が多く、参考になります。Motteは字面から見ても丘か山のような意味かと思ったら、語源はまさかの芝でした。

 いずれにしても、ヨーロッパのKeepは、城主の居住空間として用いられていたケースが多そうで、これを天守と名付けるのは日本的には若干違和感があります。じゃあ本丸御殿かというと、日本の御殿建築とは似ても似つかぬ櫓・塔になっているので、まあこれも”キープ”としてそっとしておくのがよいのではないかと。

      

D Keep Gatehouse

 てなわけで、Keepに接近。
 解説板によると、元々のKeepは木造。ノルマン人が11世紀後半(1081年ころ)に建てたもののようです。それが、1130年代に石造に作り替えられたとのこと。かつては今のものよりも大きかったらしいですね。”The Keep was never roofed”とあります。今も残る円形広場は、昔からのざらしっだった、ということでいいのかな??
 入口脇の小部屋には井戸らしきものがあります。水堀の水はここの水だと思うのだけれど、地下水に毒を入れられたら大変なことになりそうな気がしますね。

Keep解説 正面にKeepを見る 階段 左の小部屋 真ん中には井戸があります
小部屋を上から見る 正面を見る Keepを見上げる ぐるりと見回す

 そんなわけで、階段を上りきりました。門を抜けると、先には円形の広場があります。確かに、屋根をつけるにはちょっと広すぎる気がします。ただ、壁を見るとポコポコと、いかにも梁があったような穴があるので、重層構造の建物にはなっていたんじゃないかと思うところです。どんな建物で、中になにがあったのでしょうか。
 階段を上って中を見ていく訳なんだけれど、どうせ後世つくられた階段だろう、とか思ってたら、しっかりとした入口があり、階段自体は後世つくられたものだとして、ここに階段的なものがあるか、広場からの入口があるかしたのだと思われます。

扉をググり抜ける 広場を前に、ぐるりと見回す 建物区画 階段を上ります

 階段を上って、2階。これを1st Floor と読んでいたのかは知りませんが。解説によると、”accomodation for lord's household”とあるので、城主の家族の部屋、ということになります。城主が夜な夜な遊びに来る部屋ということにもなりますね。

部屋に入る 解説 正面の窓 天井
窓から外を見る ぐるっと見回す さっきまでいた
Apartment
Keepの広場をぐるっと 下を見る

 さらに上へとあがります。

鳥がとまってた あらためて、Keepの広場をぐるりと
室内に入ります 狭間と、そこからの眺め
時代的に武器は弓矢だと思うんだけれど、あまり射やすそうには思えません

 部屋に入ってすぐの螺旋階段から、さらに上に上がることができました。螺旋階段の先はほらSecret、ではないのであります。螺旋階段、というとこの歌しか浮かんでこないのが困る。
 屋上から城内を見下ろすというのは大変に気分のいいもので、勇者様が魔王を倒した暁にはこの屋上に立ってわ〜っと盛り上がるのでしょうね。

階段を上がっていきます 途中階の部屋 南方向の眺め 部屋の様子
屋上
ここから出てきます
ウェールズ国旗だと思う 入口 さらに上への道は
封鎖されてました
北方向の眺め ぐるっと見回す
南方向をぐるっと

 Keep Gatehouseからおりて、いつもの自分だったら広場の真ん中からぐるっと見回したりするんでしょうが、なぜかそっちに行くのを忘れました。

E North Gate

 そんなわけで、Keepの脇をぐるっとまわってNorth Gateに向かいます。
 いつもの自分なら、もうちょっとKeepまわりの堀をもうちょっとしっかり見ていくと思うのだけれど、時間に追われていたのか、軽くスルーしています。
 あらためて写真を見ると、Keepへと向かう道は石橋のようになっていて、橋の土台に穴が見えるので、かつては木で欄干をつくるなり何なりしていたのかもしれません。知識がなさ過ぎて、妄想の膨らみに限界があります。

南東部から 移動しながらKeepを見る 水堀の様子

 北門に入ります。門は閉まっておりますが、脇の入口から上に上がっていくことができます。
 かなり高い土塁があり、その中に門があるという景色。当時はあまりなんとも思ってなかったんですが(なので残された写真も少ない)、これってかなりいい景色だし、珍しい景色ですよね。日本だと埋門的な感じになるのかなあ。
 そして、北門の中からは道が上下2本。土塁の中を進む道と、土塁の上を進む道です。これ、最初から土塁の中にも道が通っていたのでしょうか……。ダンジョン感があってわくわくしますね。

解説 北門 入口 入ると、こんな螺旋階段
北門の先
堀があって、橋も昔は跳ね橋だったのでしょうかね?
土塁の中の道
北門から外に出る 土塁上の道 土塁上から北門を見る
土塁上からKeep、水堀方向

F 土塁内部〜Wartime Shelters

 せっかくなので、土塁の中を進んでいきます。土塁の中の方が経験値がたまりそうな気がしますね。ちなみに、上から進んだ図はGoogle Mapさんのストリートビューで見ることができます。Google Mapさんも入ってこられなかった土塁内通路、これははぐれメタルくらいいるでしょう。
 さて、この土塁内の通路、いつからあるのでしょうか。また、北側の土塁と、東側の土塁、同じ時期に内部の通路が通ったのでしょうか。このあたりが正直よく分からないところです。
 東側は、第2次世界大戦においていわゆる防空壕的な役割を果たしたようです。それをふまえた展示が多く見られます。他方で、北側にはそういった展示がありません。なので、北側の通路の成立時期が気になるのであります。普通に考えればほぼ同時期なんでしょうが……。
 というか、そもそもこの土塁自体、いつつくられたのだろうか。先ほどまで見てきた南門は1316年よりも前にできていたと解説があり、城壁自体は古くからあったんだろうけれど、土塁となるとどんな具合なのかなあ。

土塁内通路 小部屋の様子
中間地点の円塔ですね
折れ曲がります 振り返る
窓からの眺め
土塁内通路が古くからあるなら矢狭間・鉄砲狭間、ということなのでしょうが
果たしていつからあるのでしょうか
The Castle Wall Shelters 角の小部屋の様子
さらに進みます ここの小部屋からは上に登れます Canteen。設備は現代向けに見えますが、果たして戦時中から食堂として使われていたのでしょうか
Dig on for Victory
メッセージと絵が合ってない
さらに進みます 奥は広々として
展示室のようになってます
当時の写真
1939年にビュート卿から許可を得て工事が始まったようです
出口 上にあったものと同じ解説 ドイツの爆弾 こっちもそうかな? さらに奥は行き止まり 振り返る
戦時中のカーディフ

G 最後

 そんなわけで、土塁内の防空壕から外に出ます。
 これ、土塁の出口前に大きな木があり、出口が隠れるようになっています。戦争の際に出口隠しで木を移してきたのか、木があるところに出口をつくったのか、それともたまたまか。

出たところからぐるっと眺める 上方向 土塁の上
出口前の大木で出口が隠れます ぐるっと見回す

 そんなわけで、お疲れ様でした。城壁の上から南門内に戻り、カーディフ城探索終了であります。CADW管轄では無いこともあり、ちょっと異色なお城でありましたが、様々な時代に使われてきた城で、時代時代による使われ方の違いが分かり、非常に見所の多いお城でありました。

西方向を見る 南門近くの土塁上から
東方向
同じく西方向 Castle Green
ぐるっと見回す 下からKeep方向

H Cardiff街歩き

 そんなわけで、城が閉まる時間なので、城を出ます。城の壁にあった電球に明かりがともりました。


 城の向かいにあるCastle Arcadeへ。ウェールズであるとはいえ、イギリスなので、ここも閉店が早いです。
 天井からの採光にも配慮された、非常に綺麗なアーケードで、多分盛り上がるときは非常に盛り上がっていそうであります。


 そして、今日もHigh Street。雰囲気だけ見るとSouthamptonとあまり変わりません。つい、ここが首都であることを忘れてしまいそうになります。
 土産物屋さんを物色しましたが、やはりWalesといったらドラゴンですね。このウェールズの赤い竜、ウェールズの伝承に基づくものであります。この竜、舌か炎の矢印がなんなのか非常に気になるのですが、検索しても見つかりません。みんな気にならないのかな……。

High Streetのライトアップ St John教会
土産物屋さん

 この日の夜に何を食べたかは、写真がないので謎です。多分、ろくなものを食べてません。

 明日は久々に(といってもLingfieldに行ったばかりなのだけど)競馬です。

Cardiff城登城記前半Ffos Las競馬場


大人の冬休み2015 Wales & Manchester

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