エチウノウサギ


51 搦手口〜明丸

 そんなわけで、一旦搦手口へ。城外に出ます。
 今となっては車両も入れる広々とした道ができあがっておりますが、昔はもっと道は狭かったのでしょう。搦手門の位置は配置図とジオラマとで異なっておりますが(配置図だと三の丸に入るところに門があり、ジオラマだと三の丸石垣の下を直進した先に門がある)、遺構は残ってませんし、案内板も出ていないのでとりあえず深くは考えないことにします。

三の丸側から搦手口 搦手口から三の丸方向 三の丸濠(北外濠) 明丸方向の外濠
カメが甲羅干し 三の丸〜明丸の土橋 濠の外を進みます 三の丸濠の様子
水を放出できるようになってますね
裁判所はここにあります

 明丸は現在動物園になっております。ホームページによると、「築城当時火薬庫や硝煙倉があり兵士の集合場所でなかったかと推測されています」とのことです。どうも、この明丸は土塁が周囲を囲っていて、遺構が残っているっぽいのですが、残念ながらこの日は月曜日。休園日であります。無念。
 なお、柱の上にウサギがいたんですが、彼(彼女)は動物園の中のウサギなのか、それとも公園のウサギなのか、野良ウサギなのか、なんなんでしょうか??

あらためて、搦手口 あらためて、明丸方向の外濠 三の丸から明丸方向 明丸の門番を務めるウサギさん
明丸へ 動物園は本日休園 中を覗いてみました 向かいの水堀
三の丸と明丸の土橋から
濠を眺める
このボートは
使われているのかな?
搦手口方向 三の丸方向 西内濠を見る
朝陽橋がきれいです
もうちょっと三の丸側に進んだあたりから西内濠


52 再度三の丸〜梅林〜中の島

 再度三の丸。休憩所にジオラマがありました。学術的に作製されたもの、というよりは、高度な趣味をお持ちの方が製作されたものだと思われます。図面で見るだけでなく、こうして立体的に見ると雰囲気が分かってよいですね。


 そして、三の丸濠を眺めつつ、梅林曲輪へと戻ります。

三の丸濠 梅林に向かう途中にあった
大きな石
石垣だったのかどうかは
分かりません
梅林曲輪 梅林から西外濠を見る 左に降りると中の島
右に進むと小竹藪

 橋を渡って中の島。小竹藪はどういう位置づけだったのかよく分からないのですが、とりあえずその堀側に浅瀬的なものがあったのは絵図等からも見えるところで、それを整備するときや、土塁等を崩して公園を整地した際の土砂を使って島を作ったんでしょうかね?
 対岸には天守台があったであろう台地があるはずなんですが、何も分かりません。ここに石垣がそびえていた、というのはなかなかイメージできません。

中の島へ 小竹藪方向 緑翠亭からの眺め。おそらく右から2枚目の写真のあたりに天守台があったのでしょうが、
緑に囲まれてもはやなにも分からなくなっております

53 ふるさと眺望点〜小竹藪

 二の橋を抜けて、道路脇のふるさと眺望点へ。「県指定のふるさと眺望点」というのがまったくイメージできないのですが、なんと富山県の景観条例37条にしっかりと規定がありました。びっくりであります。

二の橋へ 中の島を振り返る 二の橋から右手
(小竹藪との間)
二の橋から左手
(外濠・天守台方向)
二の橋から正面 天守台方向
ぐるっと眺めます。岸が工事中なのでちょっと見栄えが悪いですね ふるさと眺望点! 眺望点から天守台方向

 最期に、小竹藪へ。「小竹藪」という名前がついておりますが、令和の時代には竹藪は無く、公園として綺麗に整備されておりました。

二の橋 中の島 外濠方向 小竹藪方向へ 小竹藪への上り坂。元々土塁だったのか、高台を切り開いたのか……
見下ろす 小竹藪へ 中は竹藪では無く広場です 奥の方に木が植えられていますが竹はありません

 はい、これで高岡古城見学終了です。
 小竹藪から外にでると、陸橋になっております。ここにも謎のモニュメント。

小竹藪の先 振り返る モーメント。マーブルチョコみたいです

 思ったよりも見所がありました。まあ、水堀の風景に変化がないので、似たような景色が続いて面白みに欠けるといえば欠けます。


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