エチウノオオボトケ

40 八丁道

 瑞龍寺から、八丁道をまっすぐ歩いて、前田利長のお墓へと向かいます。
 瑞龍寺の中に石廟があったのだからそれでいいではないか、という気もするのですが、残念ながらそうはいかないようです。また、瑞龍寺からお墓までのこの微妙な距離がなにゆえなのかもよく分かりません。解説には、「有事に備える防御線の一部」とありますが、たしかに先ほどのジオラマを見ると、城と街とを見たときに、川で守られている部分とあわせてこの道路が防御線になっているようにも思いますが、他方で、それってお寺とお墓を結ぶ道路じゃ無きゃ行けなかったのか、という疑問もなきにしもあらず。まあ、正々堂々と櫓なり砦なりを作ってしまうと幕府様から怒られるのでしょうから、寺や墓を櫓・砦代わりに使ったのかもしれません。

 まあ、分からないことは多いのですが、旅行者的には歩行者専用道路がまっすぐ延びているのは気持ちがいいとしかいいようがないので、現代に生きるものとしては前田さんありがとう、という気持ちで一杯です。なお、道路は途中までは歩道は道路の真ん中を突っ切ってましたが、途中からは道が細くなって車道が真ん中・歩道が左右という普通の方式に変わりました。



41 前田利長墓所

 そんなわけで、前田利長さんのお墓に到着です。「武将では日本最大」ということです。先ほども勝山の件を確認しましたが、北陸の人が巨大さ日本一が大好きなのは江戸時代からなのでしょうかね?
 水堀に囲まれた立派なお墓でして、家紋を伏せて「天皇陵です」と言われても納得してしまいそうです。これだけの大きさのお墓を作るのは幕府的にOKだったんでしょうかね?

 ここはお墓ですが、神明鳥居があります。このあたりの神道感がよく分からないんですが、神道の汚れの概念ってのはこういうのを気にしないのでしょうかね??

墓域に入っていきます 解説 近づく 鳥居 前田さんの家紋
堀に囲まれたお墓です 中を覗かせていただきました 振り返る 特徴的な形の灯籠がありました
名前はなんというのだろう

 前田利長というと、前田利家没後に徳川家康との関係で、悪く言えば脅されて日和った、よく言えば加賀100万石をきちんとおさえた(特に丹羽氏との対比で)、という部分がクローズアップされるのでは無いかと思います。というか、それしか知りません。すいません。あらためて前田利長前田利常のWikipediaを見てますが、領土の拡大と家臣団の拡大で内部はかなりゴタゴタしてたんですね。大大名も楽じゃ無い。横山長知という存在は恥ずかしながら今知りましたが、結構なキーパーソンっぽいな。
 利常としては、父利政が関ヶ原で西軍についたこともあって色々思うところがあったのでしょうし、当時の家臣団の分裂っぷりをなんとかするために利長を神のように扱って家をまとめようとしたのかもしれませんな。

42 繁久寺

 前田利長墓所の向かいにあるのが繁久寺です。高岡市立博物館の前田利長年表(といいつつ利長が亡くなってからも結構長い)にも名前が出てきますが、前田利長の墓所を守らせるために前田利常が再興した寺院だとのことです。
 お寺自体は、墓守であることを誇るような感じでは無く、どどどどど〜!っと展示されている五百羅漢像が興味深く、そして、さりげなくあるお庭もしっかりと手入れされていて、非常にいい雰囲気のお寺でした。ここは行ってよかった。それにしても、これだけの仏像、誰が彫ったのだろうか。特に解説も無かったんですが、これらの仏像も前田家となにか由緒があるのかな。

繁久寺側出口 繁久寺 山門 境内
回廊 一面の五百羅漢 巻物を広げてる 本を指さしている 巻物を読んでいる 酒瓶?を片手に
さらにぎっしりと 肩を揉んでる? お庭

43 高岡駅まわり

 満足したので、高岡駅の方向に歩きます。
 歩いていると、ボロボロになったバス停がありました。富山競輪場&金沢競馬場行きのバス停です。うむ、なんとはなしにこういうものを見つけてしまうと嬉しくなりますね。
 北陸のギャンブル場の無料バスが充実していることはよく知られており、ギャンブルバスを乗り継ぐことで無料でかなりの距離を移動できる(高岡から無料で七尾・能登まで抜けられる)、というのもしばしば話題になります。そのため、ファンページ(歴史もしっかりと載っていて、このページ本当に凄いです)なんかもあったりします。
 現時点では、金沢競馬場行きのバスの最東端はこの高岡駅南口発のもののようですね。乗り逃がすと大変なことになってしまうので、目覚まし時計は必須です。
 他方、富山競輪場行きのバスについては、どうも2020年3月で廃止魚拓)となったようです。利用者がどれだけいたのかは分かりませんが、ライトレールでのアクセスが抜群なこともあり、予算の削減という意味では正しい判断だな。ということで、この日競輪場行きのバス停を見られたのは本当にラッキーだったわけですね。

競輪場行きバス停。ボロボロ 競馬場行きバス停案内
競輪場の案内板の直下に
ひっそりと立っていますが
生き残ったのはこっち
近くにあった
ウィラーのバス停
きれいです
地下通路が閉鎖されていました 高岡駅

 時間もあまりないので高岡駅では、甘酒を購入してちょっとカロリー補給。少しくらいは地元の会社にお金を落とさねば。

甘酒 駅前 万葉線の曲線美 大友家持一家の像

44 ドラえもんの散歩道と高岡銅器

 さて。高岡駅前には「ドラえもんの散歩道」と呼ばれる場所があります。別にドラえもんがここを散歩していた、というわけではなく、散歩中のドラえもんがここで新型メドゥーサに見つかって銅に固められた、ということのようです。ドラえもんあたりは別にいいんだけれど、スネ夫は逆立ちをしておりまして、スネ夫ってそもそも逆立ちのイメージないんだよな。どこかでそういうシーンあったのだろうか。


 そこから高岡大仏に向けて歩いて行きます。
 いかにも歴史のありそうな名前の御旅屋通りには、アーケードがかかっています。まあ、商店街として元気かどうかはさておくとして、いかにも古くからある街だな、という感じであります。商店街のアーケードも朽ち果てて雰囲気が悪い、という感じでは無く、普通に綺麗でした。
 関東にいると、「鋳物」と言われると「川口!」と即答するように教育されているのですが、ここ高岡も鋳物の町として栄えていたようで、高岡銅器組合のページなんかには「高岡開町と鋳物産業」といった案内ページもあります。

水飲み獅子像 バックレス
「現代女性」という表現がなんかいいですね
御旅屋通り
桃太郎と仲間たち
猿が犬の上に載ってるという構図は実は珍しい気がする
御旅屋メルヘン広場 楽隊の窓。
ウマはメンコつけてるように見えますが、たてがみが出てるので気のせいなのでしょう
狼と7匹の子ヤギ 伝えの扉
鳥獣戯画がモチーフのようです
ここに色々埋まっている
と思われます
鳥獣戯画から出ていた動物たち

45 高岡大仏

 そして、高岡大仏です。どうもまんが道にもこの大仏が出てくるらしいのですが、残念なことに私はまんが道は読んでいないのであります……。

 この高岡大仏、入口に「日本三大佛」という表示がなされています。「どうせまた勝手に名乗ってて誰にも相手されてないんだろう」と思って、念のためWikipediaで「日本三大仏」をみてみたところ、戦後期の三大仏として、岐阜・東京板橋と並んで、「三大『三大仏の3つめ』」の一角を占めていることが分かりました。岐阜には行ったことがありますが、板橋は未踏なのでいつか行ってみたいところですね。是非とも三大仏の3つめの座を懸けてお坊さんたちの討論会のようなものをしていただきたいところです。
 高岡大仏のWikipediaによると、与謝野晶子さんが「鎌倉大仏より一段と美男」と評したとされております。美しさについては色々見解があるところでしょうが、頭と身体のバランスや、頭の形を考えたときに、バランス・安定感があるのはそのとおりな気がします。「美しい大仏総選挙」みたいなのがあったらちょっとどうなるか見てみたいですね。

高岡大仏! 仁王像も銅像です 参道 鐘。市指定文化財
大仏に近づいていきます 諸々の解説。いろいろな時代に次々と解説が作られていったのがよく分かります 回廊の仏様
千羽鶴も銅! 木製の仏頭の由来について 七本杉 こちらがご本尊 高岡城への道
このあたりは昔の城下町の
空気が残っています


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