クマノワスキ
2024年10月。福岡の八女で仕事があり、なんとか仕事を月曜日にすることに成功したので、前日自由に旅行できることになりました。じゃあどうするか、というわけで、色々と日程表を眺めていたところ、実は前日まで熊本記念がおこなわれていることが判明。新装熊本競輪場に入ったことがないので(改装前にも行ったことないけど)、これは行かないわけにはいかない。
というわけで、福岡八女に行くのに何故か熊本空港へと向かったのでした。
1.1 熊本の夜
土曜日の夜、昼間でお仕事をしてから、熊本へ飛びます。乗るのは値段を考えてソラシドエア。パラパラと機内誌を開いたら、西川君の記事がありました。浦和サポがこんなもの見ないだろとか油断してトリニータが日本一とか書いてないかと思って読んでみましたが、さすが西川、油断も隙もありません。
熊本へ! 機内誌 笑顔の西川
熊本には、10年ほど前は仕事で頻繁に行っていましたが、行くのはそれ以来(注:2年前に荒尾に行ったことは完全に記憶から飛んでました)、つまり10年以上ぶりじゃなかろうか。熊本空港もかなり久々です。熊本競輪場のみならず、熊本空港もかなりリニューアルされている印象です。熊本の地震被害については恥ずかしながら完全に不勉強なのですが、空港ビルにも被害が大きかったのでしょうか……。
九州の真ん中らしいです きれいになった空港ロビー バスの時刻 配布されていた、空港アクセス鉄道に関するパンフレット
この日の宿は、熊本和数奇司館。お値段が安かったことに加え、全面畳敷きの大浴場なるものがあるとのことで、トライしてみたくなったのでした。
小学生の頃、熊本と行ったらい草!と習ったわたくしは、「さすが熊本、畳敷きの浴場文化があるのか」と素直に感心してここを予約したんですが、実際のところそういう文化があるのかどうか、ChatGPTさんに問い合わせてみたところ……
「良いご質問です。
「畳敷きの大浴場」というのは、実は日本全国に普遍的に存在するものではなく、比較的新しい工夫・サービスとして一部の旅館や温泉施設で取り入れられているスタイルです。」
と、質問を褒められました。えっへん。
というわけで、別にい草の地熊本で発達した特殊文化、というわけではなさそうです。な〜んだ。
まあ、ここの大浴場を利用した感想として、畳を踏んだときにじわっと水がしみ出す感じはなかなか体験したことがないもので、ちょっと面白かったです。他方で、畳の目に並行に進むと滑りそうにもなるので、若干注意が必要。まあ石造りのところとは違って、滑って転んで大分県、とはならず、滑って転んでもそんなに痛くないのは熊本県、でとどまるのではないでしょうか。
なお、ホテルから目と鼻の先にあり、夕食は遅めの時間にも営業している熊本ラーメンのお店を利用。ラーメン赤組というチェーンのようです。人気店のようで、夜にもかかわらずちょっとだけ待ちました。普段待つのが嫌いな私でも、この時間になるとほかに候補がないから待たざるを得ません。
上通アーケード
遅い時間にもあいている
珈琲人という喫茶店も気になった和数奇司館 部屋の様子 翌朝撮影 赤組の建物はマユの保管倉庫を再利用しているとのことです 店頭 ラーメン
1.2 藤崎八旛宮
おはようございます。競輪場に向かう前に、ちょっと観光。とりあえずサンマルクで軽く朝食。
続いて、藤崎八旛宮を目指します。熊本の電車事情のことはさっぱり分かってませんが、藤崎宮前駅というのがありました。熊本の電車というと路面電車しか意識してなかったので、こんなところに駅があってビックリしたのでした。低レベルなことを書いている自覚はあります。
熊本なのにかがわ
上は夜にはキラキラになるのかな?
あと、今日日手形の割引というのもよいですね藤崎八旛宮の石鳥居
こういう車道をまたぐ鳥居は好きです西南戦争で焼けて
ここにやってきたようです参道 鳥居 神門 内側から 神像 拝殿
藤崎八旛宮は、知名度の割には大きさも程々の神社でした。一旦焼けて移転したことが影響しているのでしょうかね。
1.3 手取天満宮
2024年〜25年にかけて、「手取りを増やす」をスローガンにしたタマキン国民民主党が大躍進しました。これを何年か後にに見返したとき、2024年〜25年はどのように見えているのか大変気になるところです。そんな玉木さん、そういえば香川の人でした。さきほど「かがわ」の文字を見ましたね。
てなわけで、手取天満宮。「手取」というと手取川の戦いがイメージされて、熊本のイメージはありませんでした。熊本にも、手取被分町という町があるようです。天満宮は全国各地にあるため、こんな感じに地名が頭に着く場所が多く見られ、部外者は毎度その地名を知らないことで頭を悩ませるのであります。こうして頭を悩ませることでまた1つ賢くなる、という天神様の深いご配慮がありがたいですな。
裏側から入りました 石鳥居 御由緒 拝殿 赤い鳥居 参道
続いて、路面電車で味噌天神へと向かいます。実はここから徒歩圏内に、上田晋也さんが野ぐそをしたことで有名な大甲橋があるということは、のちに知りました。まさかこんな街中の橋でやってたとは……。いや、当時はどの程度の街並みだったのかは知らんけど。
ところで、Google Mapさんに「大甲橋」と入れると、「大甲橋 上田」と予測されて出てきたんですが、これは私の環境だけなのでしょうか。
熊本水遺産 水道町
水つながりなら、野ぐそ跡地もギリギリ
遺産登録できないでしょうか予測変換
1.4 味噌天神
味噌天神前駅で下車。熊本の路面電車はホームが狭く、ちょっと怖いですね。
○○前駅にはトラップも多いですが、ここ味噌天神は、駅からすぐの場所にあります。ありがたい。
手取天満宮が地名由来だとするならば、味噌天神はなんなのか。味噌町というのはパッと聞くと変な感じがするけれど、とはいえ味噌をつくってた町にそういう名がつけられても不思議ではない。
というわけで、由緒書を見ますと、正式名は本村神社。元々は薬の神を祀った御祖天神であったのが、国分寺の味噌蔵の守護神を祀ったために転じて味噌天神となったようです。全国唯一の味噌の神様を祀った神社であるとのこと。全国唯一と断言してしまって大丈夫か、ちょっと心配になりますが、まあこういう営業トークに突っ込んだら負けでしょう。それよりビックリしたのが和銅6年(713年)に御祖天神として創建されていたこと。そう、天神は天神でも、菅原道真さんとは全く関係がないのでありました。
なお、先ほどの藤崎八旛宮は西南戦争で焼けたようですが、こちらは第二次大戦の熊本空襲で焼けてしまったとのこと。戦争反対!と言わざるを得ません。
鳥居 新旧由緒書 境内 鳥居寄進者 熊本地震で破損した鳥居の扁額 社殿復興記念碑 拝殿 「祈願 初回合格」には心がこもっていてよいですね
そんなわけで、無事市内探索を終えたので、水前寺成趣園に向かいます。暑いので歩かずに再度電車に乗ります。ヘタレであります。
駅と味噌天神市場 電車内 ホームが狭い 水前寺公園へ
では、園内へ入ります。超有名観光地ですから、中は観光客であふれているのではないか、びくびくですね。