宮崎旅行記2013その2(飫肥城編)

 続いてバスに乗って飫肥城を目指します。
 当初は飫肥駅で降りて自転車を借りて飫肥城を目指す予定だったのですが,バスの中で爆睡して目覚めた場所が飫肥城前だったので,勢いで飫肥城前で降りてしまいました(なんせバスがこのあと駅に向かうのか違う場所に向かうのか分からない)。

 さて,自分の居場所はGoogle先生が教えてくれるので,迷子にならなくて済みます。いや〜,文明の利器はありがたい。
 バス停向には簡単な神社。そして,城に向かう途中には小村寿太郎誕生の地。小村寿太郎ってここの出身なんですね。これは知らなかった。ただまあ,生家跡って,見たところで特になんの感慨もわくわけでもないのが残念…。


恵比須神社
朱色はどこにもない

商人通完成記念碑
 
燈籠。面白いのだが解説無し

 そして,大手門通りをそのまま城方向に向かって進んでいきます。すると,目標としていた駐車場に到達。とりあえずここでやるべきことは,城の切符を買うことと荷物を預けること,そして自転車を借りることの3つ。とりあえずチケット売場で共通チケットを買い,コインロッカーの場所を尋ねます。すると,ここにはコインロッカーは無く,代わりにこの案内所で預かっていただけるとのこと。もともとは駅のロッカーに入れる予定だったのに,予定がずれてはおりますが,結果的にタダで預かっていただけたので助かりました。
 続いて,時間が中途半端なので昼抜きも考えてはいたのですが(空港でラーメン食べたし),どうもここでは飫肥名物の飫肥天と卵焼きを食べられるようなので,ここで食べていくことにしました。卵焼きは「プリンのよう」との触れ込みがありましたが,プリンかどうかはさておくとしても,一般によく見る卵焼きとは似ても似つかぬ卵焼きでした。ちなみに,当時のメモによると,そばはつゆが透明で(これは今見ても分かるな)もちっとした食感,天ぷらは甘めでジューシー(この食感と味はなんとなくまだ記憶にある)だったようです。
 さらに,自転車を借ります。自転車は横のアイスクリーム屋さんで借りることになります。自転車を借りる際,サドルを調節していて1台自転車を破壊したんじゃないかと不安になっているのですが,大丈夫だったでしょうか。


何があったのか…
鯉ヘルペス?

大手門通り



ここで食事



今回の自転車
電気自転車です

 さて,自転車を借りたはいいものの,大手門前は駐輪禁止というわけで,再度駐車場に自転車を停めに戻るハメになりました。なにやってんだ……。
 気を取り直して,いよいよ飫肥城に入っていきます。入っていきます,といいつつ,やはりその前に気になるのが堀です。見たところ昔からずっと空堀だったとしか思えない姿なのですが,「かつては水があった」と書いているサイトがわりと多く見つかったので,昔は水堀だったのかな?だとしたらもっと深かったのかもしれません。


大手門へ
  
堀が素晴らしい
  
土塁と石垣と門の三重奏が美しいですね

大手門越しに中を見る

礎石
どこかに正徳3年のことが書いてあるはず

 そして,大手門をくぐり抜けた跡の枡形構造も素晴らしい。まず真ん前にそびえる石垣。そこからカクカクと進んでいくことになります。
 いやぁ,ある程度の修復はなされているんでしょうが,それにしても美しい石垣ですね。
 そして,本丸下の曲輪(とりあえず名前はついてないのかな?)が広々していて気持ちいいです。見物客も多すぎず少なすぎずで,なんとなくいい城趾であります。


大手門を抜けて左前方を見る

右奥はこんなどん詰まり

登っていく
階段自体はそこまで急ではない

奥を向く。まだまだ先は見えない

裏から見るとこんな感じ
 
登った先の曲輪

上から見下ろす
 
石垣をアップで
色が変わっているのは火事かなにかあったのか?
ちょっと理由が分からない

こっちに向かって進んでいきます

 そんなわけで,左に向かって進みます。なお,この時点で共通チケットに飫肥城の縄張り図がついていたことに気付いておらず,「縄張りが分からん」と不満を抱いていたことを正直に告白しつつお詫びしたいと思う次第であります。
 さて,そんなわけで,松尾丸方向に進みます。この松尾丸下の石垣がまた苔むしていて趣があります。石垣上のの土塁を見るに,ここはもとからこんな感じで,塀や櫓はなかったのかな。あと,あまりに苔むしていててっきり野面積みなのかと思って今見返したら切込接ぎでした。
 それにしても,全般的に道が広いですね。平時の城だからなのかな。
 そして,本丸の半分くらいは現在は小学校になっており,あわせて史料館があります。てことで,史料館に入って小休止。


苔むした姿がいいですね

のぼっていきます

上方の城壁
これは昔からあったのだろうか…
狭間作っても後ろに人が
入れなさそうに見えますが…

しあわせ杉
歴史的遺構の解説かと
思ったら違っててややがっくり

右手に史料館

 さて,史料館を見終えたので,続いて松尾の丸に向かいます。松尾丸へは階段をのぼっていきます。つまり,本丸を見下ろす位置に松尾丸がある,というわけですな。
 ちなみに,解説にあるように,松尾の丸の御殿建築には日本船舶振興会のお金が入っているようです。時代的に自分が入れたお金は入っていないでしょうが,それでもなんとなく自分のお金が障子紙1枚くらいにはなってるんじゃないかと思ってふんぞり返ってしまうのであります。

 さて,松尾丸御殿。まずここの特徴は,復元ではないということ。そして,復元ではないことを堂々と宣言していること。この歴史に対する真摯な態度が素晴らしい。なんというか,この質問カードを作った人は歴史好きなんだろうな,ということが分かります。
 また,登り口の階段も昭和54年造成で,それまでは階段はなかったと書かれています。凄いですね,ここまで正直に書く姿勢。

 そんなこんなで,この手の御殿建築自体は最近あちこちで見ているので若干食傷気味ではありつつも,今の自分の家にも実家にも畳はないので畳を踏みしめる機会ってこういう場所しかないんだよなあ。見所して挙げられている3点のうち,御座船と献立書写ももちろん興味深いのではありますが,それよりなにより興味深かったのが蒸し風呂。京都西本願寺のものを実物大で復元したようですが,江戸期の蒸し風呂をこうやって構造から何からしっかり見るのはおそらく人生初。これは素晴らしい。解説の絵も分かりやすくてよいです。
 それにしても,現代人的感覚だとこんな小さな木箱の中に一人座ってるってのはなんとも気恥ずかしい気がしてならないです。いやぁ,どういう経緯で蒸し風呂文化が廃れていったのかは分かりませんが(これはこれで興味深い),こういう興味深いものを復元してくれるんなら復元建築もいいものです。


内部の縄張り
入場券にかかれていることに
ここで気付いた

旧本丸方向

本丸方向

登城口方向を見下ろす

復元ではありません
発掘調査もしてないらしいです

見どころ
御殿建築自体を見所として
挙げていないあたりも凄い

階段も新設
   
献立再現

松尾丸奥側土塁

 そして,旧本丸に向かいます。
 解説によると,旧本丸は3度の地震で地割れが起きたとのこと。今は地割れの痕跡は残っておりませんが,まあシラス台地だとそこまで地盤も固くなかっただろうし,地震で崩れることはあり得るんだろうな。本丸移転の結果,本丸が松尾丸や旧本丸よりも下段にあってなんかへんな縄張りになってますが,ある意味面白い状態ではあります。

 この旧本丸,台地の稜線に石垣が作られていて,これもまた興味深いです。この石垣も切込接ぎなので,それなりに新しいものなんだろうと思いますが,そのあたりについては解説無し。


この石垣がいいですね

旧本丸への枡形

本丸を見下ろす
手前の石は城門礎石?

絵に描いたような枡形
 
北側の門
なんとなく歴史的建造物なように見えるのですが
解説が無いのでどういう門なのかが分からない
 
門を上がるとこんな感じ
昔は正面の木はなかったんでしょうが
その脇の石は車止石?

暗くてぶれた
  
帰りがけに再度天然の要害っぷりを眺めていきます

連ドラの舞台地だったらしい
見てないからさっぱりですが

 そんなわけで,非常に独自性に満ちあふれたお城で,単に「地域町おこしのためにとりあえず整備しました」という城とは明らかに一線を画しており,見応えがありました。こういうお城は見学していて非常に気持ちいいですね(もともと荷物を預かってもらった時点で飫肥の印象は10段階くらいアップしてますが,それだけではない)。

 てことで,続きます。若干雨がぱらついているのが気になりますが…(そのせいで光が足りずに写真がぶれてるのが我ながら情けない)。

鵜戸神宮へ飫肥街めぐり

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