ノトノヤマジロ

 さて,この日の予定から逆算して,8時半ころにタクシーに乗って七尾城に乗り込みます。
 山城をどのように攻略するか,もっというと,歩いて上るのかいきなり上に行くのか,あるいは上りは文明の利器を使って下りだけ歩くのか,というあたりはなかなかに悩ましい問題で,特にNPのような中年メタボとしては,「こういうところにきて歩かないと運動不足になるのでできれば歩きたい」という思いと,「疲れるから上だけ回って終わらせたい」という思いとが交錯してハムレットの気分に陥るのであります。なにせ山城というのは交通の便がよろしくないことが多いので,1回行って失敗したら「また行けばいい」なんて軽々しく言えないものな。

↑パンフレット
50分とあるじゃないか!!
資料館はお休み
 で,七尾城については,どうも麓に資料館があるようで,そこから山を登っていく「制覇コース」が150分の設定になっております。そして,山の上だけをお手軽に回る「中心部散策コース」が50分の設定。
 ネット(普段参考にしている城オタの皆様のサイト)を見ていると,どうも下から歩く人はすくないようで,上だけを回っている人が多いようです。

 という状況で。この日の持ち時間が少ない(11時40分の電車に乗ることを考えると手持ち時間はあまりに短い)こと,月曜日なので資料館が休みなことを考えて,中心部散策コースだけを歩くことにしたのでありました。真の城オタならば「和倉温泉よりも七尾城」となるところでしょうが,いかんせんこちらは急造お城マニア(=にわか)ですので,和倉温泉にも入りたいのです。

 で,そんなこんなでタクシー。運転手さんから,戻り時間について相談されました。
 こちらは,通常の人が50分かかる場面であれば,例によってだらだらと写真を撮ったりしながら進む自分はその倍近く時間を食うだろう,という想定で「90分後」とお伝えしました。すると,運転手さんから衝撃のお言葉。「みなさん10分〜15分くらいで帰ってきますよ」とのこと。なぬ。もしかして,想像以上に城域が小さいのか。50分というのは脅しの時間なのか。いったいなにが起きている。「過去最大で60分」「みなさん景色を見て帰ってくるくらい」ということです。なんだと。過去最大で60分のところを一気に1.5倍の90分と指定したのか。これはちょっと悩む。いかんせん11月の山の上寒い中凍えてタクシーを待つのはつらい。ということで,到着時間が8時45分だったので,間を取って「10時に迎えに来てください」とお伝えしました。75分です。「時間が余ったらトイレの中で寒さをしのぎますわ。はははは。」と,強気の発言をして,タクシーから降りたのでした。
 ちなみに,駅からのタクシー代金は実績値で2540円。万札しか持ってなかったので,カードが使えて助かりました(こんな山の上でお釣りが無いとかなったら大惨事)。そんじょそこらの愛媛のタクシーよりよほど便利ですな。

 さて。まずは案内板を見に行きます。案内板の下にはパンフレット入れがありました。しかしなかは空っぽでした……。ミミック(この場合は変な虫になるのだろうか)が出てこなかっただけよしとします。
 そして,地蔵堂にご挨拶。横の手書きの案内文によると,すでに個人となられた西川順道さんという方がこのあたりを保全されていたようで,そのあとを継ぐ方がこの文書を書かれたようです。書かれた方のお名前がないあたり,非常に謙虚な,ザ・ジャパニーズという方なのではないかと思われます。このような山城がきれいに整備されているのはいろいろな方々のお力があってこそ,ということに改めて感謝しつつ,いざ城に乗り込みます。
 ところで,お地蔵さんのお参りとかしてたらそれだけで5分くらい経ったんですが,みなさん本当に10分で帰ってこられたのでしょうか。


 さてさて。いざ乗り込もうとするNPを出迎えてくれるのが,いかにも!な立派な堀切です。
 凄い凄い。この堀がどういうルートを切ってるのか,まだ城の全体構造が分かってないのでなんともいえんのですが(どうも,本丸と長屋敷を切っている様子),とにかくこういうわかりやすい堀切を見ると嬉しくなりますね。

いざ七尾城! 堀切 本丸の下の土台部分
ここは石垣は無かった様子
こっちに進んでいきます 堀切!!
きれいに整備された道を進む 右手には堀切が続いていきます 気持ちのいい散歩道


 逍遙馬道ならぬウッドチップの散歩道を歩いていくと,まず調度丸があらわれます。
 そして,その調度丸から見上げると……七尾城の代名詞とも言える,石垣が現れます!!いきなりメインイベント発生であります!

調度丸跡
再現CGがあるあたり,高取城を思い出す
調度丸 調度丸も切り立った
崖の上にあるようです
奥に見えるは五段石垣!!
おそらくは,壁の基礎になっていた石垣の跡 よく分かる配置図
環境庁作成なので
かなり古いはずですが
見やすく保存されてます
右手が大手口 これから登ります! ここに解説板
これも古そうだけど
見やすく保存されている

 というわけで,みんな知ってる七尾城五段石垣に向かいます。緑の芝が気持ちよく(これは当時は無かっただろうけど),石垣の色とのコントラストがはっきりしていて美しい。いやあ,素晴らしい。片道2540円払ってここまでやってきた甲斐があります。
 もうちょっと技術が進んだあとの高石垣もいいですが,こういう石垣もよいですね。畠山氏の石垣技術・築城技術がみえて素晴らしいです。


 そして,遊佐屋敷跡地。ここから右に行くと桜馬場,左に登ると本丸です。この虎口が枡形だったかはよく分からないですね。
 (20年前の)信長の野望知識しかない人間としては,遊佐と言ったら遊佐続光,遊佐続光といったら暗殺と裏切りであります。畠山七人衆の中で自分が知ってる遊佐・長・温井の3人の中で,一番キャラが立ってる印象です(というか,北陸からスタートしないので彼らが出てくるときには畠山家臣はすでに有象無象)。
 そんな,自分が信長の野望をやってたとき以来に目にした「遊佐」の文字。いやあ,懐かしいですね。

五段石垣の脇から上を見上げる まっすぐいくと,遊佐屋敷と
桜馬場の間の石垣が見える
あまり枡形感はない
石垣 スマホに表示した案内図
桜馬場跡地 遊佐屋敷跡へ 遊佐屋敷跡地

 そんな遊佐さんの思い出を頭の片隅に置きながら,本丸へと向かっていきます。ある意味,畠山さんよりも遊佐さんの方が武将としては記憶に強く残ってるなあ,と自分の中の信長の野望知識を振り返りつつ登っていくのであります。

 本丸の下は,これも有名な三段石垣。下から見づらいので五段石垣のような美しさを感じるのは難しいですが,この構造も素晴らしいですね。

いざ本丸 イノシシ対策中 たぶんこのあたり 登っていきます 右手の石垣
この上はかつては
平坦で櫓でもあったのだろうか
右に曲がると,左手に三段石垣
三段石垣!!段になっている場所の広さ的に,ここにはなにも建築物はなかったんでしょうね(再現CGみてもそのとおり) ちょっと扇の反りっぽくなってます
技術の進展過程,という感じでありますね

 そんなわけで,本丸!!
 この時点ですでに15分。いったい皆さん,どうやって10分で帰ってきてるのでしょうかね。
 まあ,それはさておき,本丸です。広い。そして,平坦。これは素晴らしい。景色も気になりますが,鳥居が見えるのでまずは神社にご挨拶。

再現CGを見ると
懸け造りの構造に
なってたみたいです
本丸をぐる〜っと
城山神社へ 上からの眺め 城山神社のあたり。なんとなく,土塁っぽいものがあったようにも見える

 そして,そのあとは,本丸を探索。そして,下を見下ろして,美しい景色を見ることができます。この眺望があれば,船で七尾湾にやってきた敵を見つけることができたのでしょうな。

遊佐屋敷側の土塁
再現CGをみると
こっちにも石垣と壁があった様子
城趾碑 畠山さんだけだとインパクトがないので
上杉謙信と前田利家の名前を入れた
絶景の案内板
素晴らしい景色 能登島大橋あたり 三段石垣を見下ろす
本丸を振り返る 遊佐屋敷側土塁 先ほど登ってきた虎口。ここもあまり枡形感はないです

 やはり,どう考えても案内の50分が正しいということが分かり,ぐるっと一周するのにそこそこ時間がかかりそうなので,本丸であまりのんびりしていられません。めでたく本丸を攻め落としたので,このまま進軍していくことにします。
 遊佐屋敷の裏手側に下りていくことができるようなので,神社の右手奥にすすむかたちになります。
 そういえば,このあたりの虎口を歩いていて思ったんですが,通常の城跡だと「●●門跡」という遺構が出てくるのに,ここにはそういう案内がありません。常識的に考えて門が一切無かったとは考えがたいですし,再現CGにも門の姿はかかれているので門があったのは間違いないでしょうが,礎石が見つかってないのかな?それとも,門に名前をつける文化が無かったのだろうか。
 などと思いながら進んでいたら,「本丸外枡形のCG」という案内板を発見。なんか門が二重になっていたりして,複雑な構造になっていたようです。

神社の右手側へ なにか意味ありげなへこみ
単にここで草や枯れ木を
焼いただけかもしれない
こっちに進んでいく
ことになります
神社側を見る 土塁に大きめの石が紛れているので,
土塁の上に石垣があったりしたのかもしれません
振り返る
こっちに進んでいきます あらためて,
遊佐屋敷側土塁
こっち側には石垣がある 多分ここに門があったはず こんな道を進みます 道の右手(遊佐屋敷裏手)
には石垣跡が見えます
虎口を振り返る
さっきから「遊佐屋敷側土塁」といってた部分に
石垣が埋もれていることが判明
これが道の右手の石垣跡 本丸外枡形のCG このあたりが本丸外枡形
ということなのだろうな

 というわけで,裏切り者の遊佐くんの家の上をてくてく歩いて行きます。というよりも,本丸に向かって敵がきたら家老の遊佐君が(裏切らずに)最後まで本丸を守り,それを上から援護する,という防御構造になっていたのでしょう。
 本丸まで登った以上,今度は下りなければなりませんが,これが結構な急坂です。晴れてたからいいけど,雨や雪が降ったりして下がぬかるんでたら怖かっただろうな。

ここを下りていきます 狭く,急な道です
一人ずつしか進めない
構造になってます
上を見る 折れながら下りていきますが
ここも石垣で支えてたっぽいですね
さらに下ります 振り返る

 そんなわけで,本丸探索終了。桜馬場に戻りました。
 というか,こんな楽しい場所を15分で回って帰ってくる人がいることが信じられないんですが,おそらく世の皆様からしてみたら,こんな危なっかしくて暗い場所を15分以上楽しそうに回る奴がいることが信じられないのでしょうね。

 で,桜馬場と遊佐屋敷をさっきとは逆側から眺めるかたちになります。逆から見ると,自分がさっきどこにいたのか分からなくなります。ほんと,整備してくれなかったら迷子になりかねん。山菜採りなんて怖くてできません。
 再現CGを見る限り,桜馬場は馬場だけあって広々としていたようで,ここにある木々は当時は無かったんでしょう。これだけ木が生い茂っていて,よくぞ根っこで石垣が破壊されなかったものです。ありがたやありがたや。

下りてきました 桜馬場跡 遊佐屋敷と石垣 さっき来た道
調度丸側を見下ろす 五段石垣を見下ろす
桜馬場跡
東西45m,南北25mというのは破格の広さでは
振り返る 脇の大きめの石 左手
この上は西の丸です
崩れた形跡がみえます

 長くなってきたので,ここで後半戦に続くことにします。
 どう考えても15分じゃ回りきれません。75分設定にした自分を褒めてあげたい。

七尾街歩きノトノシロマワリ(七尾城後半)


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