ノトノコマルヤマ

 そんなわけで,電車で七尾に乗り込みます。
 七尾というと,みんな大好き七尾城。一度は行ってみたいと,誰もが憧れる土地であります。他方で,行ってみたい行ってみたいと言うのは容易いんですが,なかなか行く機会がないのも事実。たまたま仕事で七尾に転勤している友人がおり,ここに金沢競馬の予定が組み合わさったので,旅行の後半戦は七尾攻略に向けられたのであります。加賀と七尾の2カ所を攻略するという大作戦。織田信長もビックリであります。

 てなわけで。友人(広末さん)には駅までお出迎えいただきました。ホテルに荷物を置いて,そのまま寿司からのとり野菜みそからの庄や。広末さんは巻鰤がお好きで無いようですが,私は下戸なくせに酒の肴は大好きなので,おいしくいただきました。もちろん,寿司もとり野菜みそも素晴らしい。

電車のルールがよく分からんけど
切符がこういう表示になった
とり野菜みそ鍋 庄やの巻鰤

 さて,そんなわけで七尾の夜もふけました。
 翌日はまずは七尾城登城。
 この日の予定は,七尾城を攻略し,和倉温泉に行き,帰りは能登空港から羽田に飛ぶ,というなかなかにハードなスケジュール。
 今回能登に行って分かったのは,能登空港から羽田に行く便の出発が案外早い,ということ。どうもこれは,羽田に18時に着いて羽田から各地に飛ぶ便に接続できるようにしている設定のようです。つまり,乗ることが期待されているのは能登観光にやってきた東京民ではないんですね。ううむ,これは想定外。能登空港に16時30分には着かないといけないとは。
 そして,能登空港へのアクセスが悪い。悪いというか,ホームページを見ても分かりづらい。車社会ですから,公共交通機関の案内がいまいちなのは仕方ないといえば仕方ないんですが,空港のページを見ると,「北陸鉄道のページに飛ばしてあげるから,あとは自分で調べてね」方式です。なぜこうなるかというと,おそらくは事前に予約してふるさとタクシーを利用することが期待されているからだと思われます。
 というわけで,七尾城を早めにクリアしてから,11時43分の電車で和倉温泉に乗り込み,11時49分和倉温泉着。14時15分和倉温泉発14時48分穴水着。15時10分穴水駅発のバスで空港に乗り込む,という流れになります。11時43分に電車に乗らないといけないというところからの逆算で気合いで8時ころにホテルを出ます。早朝から,ホテルの水洗レバーが壊れるというアクシデント。幸いシャワーが近かったので,シャワー水で水を流しましたが……。朝から縁起が悪い。




 ページ分けの都合上,これは別のページに飛ばすことにします。

 そして,七尾城を攻略し,下界に戻りました。
 広末さんの職場でホテルの水洗レバーの破損によりできなかった生理現象の処理をさせていただき,いざ小丸山城です。
 小丸山城の麓には,おそらく利家とまつの大河のときに作られたのであろう銅像が設置されております。いかにもインスタ映えしそうな銅像でありますね。

広末さんの職場 前田利家松子之像 城趾碑 今の案内図 天明5年の絵図 解説

 小丸山城趾は良くも悪くも公園として整備されすぎておりまして,特に困難なくうろうろすることができるのですが,他方で城趾としての楽しみはほとんどなくなっております。まあ,細かいことは気にしない。
 坂道をのぼりきると,広々とした公園に到着です。

のぼります 解説板 城趾碑 公園

 ところで。この七尾は,かの有名な長谷川等伯の出身地として知られております。駅には,長谷川等伯由来のゆるキャラ,とうはくんの像が建っておりました。「とうはくん」という名前を聞くと東博(東京の国立博物館)のゆるキャラであるトーハクくんを思い出してしまうのですが,こちらはきちんと「う」を発音した上で,「く」は1つだけです。
 それはいいのですが,困ったことがあります。長谷川等伯という名は知ってるんですが,長谷川等伯が何をした人なのか,さっぱり分かりません。誰だお前。
 なんとなく,商人じゃないかと予想して検索してみたところ,大外れ。有名な絵師でした(とりあえずWikipedia)。そりゃゆるキャラ見たら筆を持ってるんだからそっち方面の人であることくらい予想しろ,って話ですね。

駅にあったとうはくんの像 長谷川等伯出生地碑

 で,長谷川等伯の碑文を眺めると,その後ろにあるのが櫓台。先ほどの七尾城では櫓台の存在感はゼロでしたが,全体的に公園化したこの小丸山城趾では逆に櫓台がしっかりと存在感を放っております。南東だの南西だのといわれても,適当に歩いているとよく分からなくなるんですが(珍しく早起きしたせいで太陽の位置が上にあって太陽から判別するのも容易ではない),のぼってきて正面(等伯碑の裏)にあるのが南西の櫓台です。
 ↑の解説板の絵図では,ここに3層の天守っぽい建物が建ってた扱いになってますが,果たしてどんな櫓が立っていたのでしょうか。


 そして,その脇から三更橋を渡って天性丸に渡ることができます。この本丸と天性丸との間の堀切が,この小丸山城最大の見所として知られている訳ですね。
 今は天性丸に向かって橋から階段を下りていく形になりますが,実際問題過去にどのような橋が架けられていたかは不明であります。

三更橋 堀切を左右に見下ろす 振り返る 天性丸へ
天性丸を見回す 土塁跡。正直,よく分からない
港と緑のまち 乾の展望台。
乾方向にある展望台なのはいいとして,
かつてここに乾櫓があったのでしょうか。
いかにもありそうな場所ではあるけれど。
ここからぐるっと見回す 天性丸

 本丸に戻ります。
 続いて,南東の櫓台を目指します。ここには日像上人像が鎮座しております。櫓台の解説は南西の櫓台にあったので,ここには追加の解説はありません。残念。

南東櫓台 縁起 逆光でした。無念 国家安全 四海唱導

 公園には日本庭園があります。ニワカ庭園マニアとしては一応確認しなければなりません。が……天気のいい日の平和な公園。中年おじさんの居場所ではなく,元気な幼稚園児の皆様のための場所であります。カメラを持ってうろうろしていると単なる不審者になってしまうので,素早く退散するのでありました。


 そして,先まで進むとそこには丑寅の展望台と名のつく場所があります。先ほどの解説では櫓台は2つとあったので,ここには櫓台はなかったのだろうと思われます。でも,いかにもありそうな場所ではあるんだよな。さっき見た絵図では丑寅の位置に櫓自体はあったので(信用できる絵図とは思えんけど),櫓台がなかった,というだけのことかもしれない。

丑寅展望台からの眺め 丑寅方向

 宮丸への道を探っていると,右手におりる小道を発見。これが昔からの道なのかどうかはまったく分かりません。多分違うだろうな。まあ,気にせず下りていきます。あまり使われていない道だと思われ,歩きづらいです。
 そして,堀切の底に到達しました。おお,あとで見ようと思ってた場所なので手間が省けた。
 さらに,氷室跡まで発見。おお,こんなところに氷室があったんですね。

ここから下りる
特に案内もなし
こんな道を進む 堀切
堀切!! 堀切から天性丸 堀切から本丸 氷室跡

 そして,最後に宮丸。宮丸の真ん中には愛宕山相撲場。観客席付きの立派な土俵が設置されております。
 そして,その奥は一段高くなっております。これは単に愛宕山にのぼっているだけなのか,城として曲輪の半分が高くなっていたのか,私にはまったく見当がつきません。

愛宕山相撲場 大森玉木像 心技体 闘魂の森 阿?
奥は一段高くなります 愛宕山 立派な木が2本 立派な遊び場 アンパンマン 忠魂碑跡

 そんなこんなで,小丸山城趾の探索終了であります。
 この時点で11時5分。電車まで35分あるので,あとは駅に向かってゆっくり歩けばいいのであります。
 駅に向かって,と書きつつ,城側からその屋根が目立っていた光徳寺を参拝してみます。どでかい本堂はザ・浄土真宗という感じですね。(なぜか非常に見づらくなっている)略歴を見て,石川の半分を占める加賀と言えば一向一揆の国であることを思い出しました。そう,石川県と言えば浄土真宗なんだよな。加賀が一向一揆の国であるとすれば,じゃあ能登はどうだったのか,ということになるわけです。今のところの自分の中の結論としては「よく分からんけど,畠山が頑張ってたんじゃないのか」ということにしておきます。

花嫁のれん館 光徳寺 山門 誰の家紋でしょう?
境内 本堂 略歴。読みづらい……
なぜここに設置したのか
旧鬼瓦 親鸞聖人

 で,商店街を通って帰ります。古くからある街なので,歴史を感じさせるお店が並んでおります。

商店街 宝石・貴金属
力尽きかかってますが
大丈夫でしょうか
和蝋燭で有名らしい 酒屋さん 令和の明治 時計のシモハラ
合名会社中山薬局 川沿いの道
広々しております
飲み屋街 昨日行った桜寿し

 そして,無事時間内に七尾駅に到着しました。コインロッカーに入れた荷物を拾い忘れることなく,次の目的,和倉温泉に向かいます。

ノトノニジュウイチノトノヤマジロノトノワクラ



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