メイショウモウリ

パンフレット 防府市観光案内 案内図


10.旧毛利家本邸

 毛利家本邸+毛利庭園に到着。
 前回は毛利家本邸には入りませんでした。本邸の観覧料、凄く高かったような記憶があるのですが、今当時(2017年)のパンフレットを見たら700円でした。ううむ、高かったという記憶だけで2000円クラスを想定していた。なお、2025年時点では本邸900円、庭園500円、セットで1200円。200円くらい値上がってます。

 てなわけで、中へ。この建物、「毛利」という名前に加え、文化遺産にもなっているので、江戸時代からある建物だとばかり思っていましたが、なんと完成は大正5年。明治ですらなかった。時代的には、コンドルさんが設計した東京の旧古河邸洋館(大正6年竣工)桑名の六華苑旧諸戸氏邸(大正2年竣工)と同時期ですね。現在は、庭園と合わせて名勝指定

 では、中に入ります。パンフレットに案内図が載ってなかったので、公式ウェブサイト地図を見ながら進みます。

10.1 1階大広間

 大広間は、江戸時代の大書院形式を踏襲して天井には格天井が用いられているとのことです。しかし、このときは小倉城の記憶も薄れていたのか、私は天井部を1枚しか撮っておりませんでした。

入ります 庭園側の廊下 縁側 縁側から庭園を見る 重要文化財です
大広間(客室) 百万一心について 天井の格子

 大広間の縁側から庭園側を眺められるのですが、眺めはイマイチでした。
 そこで、続いては中庭を眺めます。こちらは巨大な岩があったりソテツがあったりして、毛利家がお金持ちであることがよく分かりますね。これだけ大きなソテツがあると、小市民な私は虫とか大丈夫か不安になります。

狩野探幽の鳳凰図の複製
応接室にあったはずなのだけれど、
なぜ応接室の写真それ自体がないのか不明です
中庭側の廊下
右手は大広間
トイレ
中庭

10.2 2階

 そして、2階へあがります。2階にも大広間。
 2階からの方が庭園の眺めが良いですね。1階広間と2階広間の使い分けが気になるところです。
 他方で中庭は1階から見ることが前提のつくり。まあそりゃそうか。
 2階に水屋があるあたり、江戸時代の屋敷ではなく近代化した建物であることが分かりますね。

階段 階段をのぼったところ
大広間 大広間から庭方向
庭沿いの廊下と縁側 庭をのぞむ
こちらの方が綺麗
中庭を見下ろす
中庭は1階の方がいいですね
水屋。なんでフラッシュ焚かなかったんだろうか

 再び1階。どうも1階大広間の舞台裏が特別公開されていたようなのですが、残された写真を見てもなにがなんだか分かりません。気にしないことにします。

特別公開 中庭側の廊下 庭へ向かう廊下 ここの眺めはいい感じです

10.3 皇室御用達

 廊下を抜けると、いよいよ公居間。大正天皇、貞明皇太后、昭和天皇、昭和天皇皇后がお泊まりになったお部屋です。建物の大きさ的に仕方がないのですが、思ったより大広間から近い。最初から将軍を迎えるためにつくっていた名古屋城御殿などとはそもそもの設計思想が違うのだと思われます。

公居間 大正天皇のあとにくるのは
句点でなく読点だと思う
右奥

 続いて寝室へ向かいます。向かう途中、中庭を眺めることになります。先ほどはソテツの庭でしたが、こちらは松などの庭。真ん中に大きな石があるのは同じですね。

御上用厠
一般人向けと何が違うのだろう
中庭 廊下

 そして、皇族の方々がお泊まりになった寝室。


10.4 水回り

 最後は水回り。2階の水屋はこの上になります。2階の水屋に水を引き上げるポンプは外にあったのかな?

洗面所 奥浴室

 なお、このあと博物館を見学。写真が残されていないので、撮影禁止だったのでしょう。ある程度の展示品はネットにアップされてますね。
 また、最後に1枚、なにやら偉い人が座ってそうな椅子の写真が残されておりました。どこにあったかも分からないので(だったら載せなきゃいいのだが)ここにおいておきます。


10.5 外

 外に出ました。
 なにやら武将隊的な方々が演舞?をするようです。案内板を見るに安芸ひろしま武将隊という名前のようで、幟を見るに毛利元就、吉川元春、毛利輝元の3人がいたようです。毛利邸は大正時代に出来たんだからお前ら関係ないだろ、とか言ってはいけません。毛利家を築き上げ安定させたのは元就以下戦国世代の大名がいてこそなのであります。

玄関外 武将隊 本日のおもてなし 解説板 こちらは別の撮影だと思います

11.毛利氏庭園

 続いて、最終目的地の毛利氏庭園。池泉回遊式であります。公式ホームページ上で見所としてあげられている箇所は多くなく、狭い敷地に詰め込んだというよりは大きくのびのびと作り上げた感じでしょうか。庭園の地図は公式ページににあるわけですが、当日はあの簡素な地図だけで歩いたのだろうか。なにか見てたような遠い記憶もあるのだけれど。

解説 入っていきます 真っ直ぐ

 あらためて写真を見て思うのは、大きな庭園だけに、青空がよく似合います。そして下の通路の白い砂地と青空と緑とのコントラストもいいですね。ギリギリ緑が濃い季節に行けてよかった。

庭側から本邸を見る
本邸まわりの眺め。白いのは博物館かな?

 ひょうたん池に向かって歩いて行きます。ひょうたん池っていかにも昭和の公園につけられてそうな名前の池ですが、大名庭園にもこんな名前つくんですね。

水の流れ 築山 石塔

 ひょうたん池に出ました。このあたりは日射しを遮るものが何も無いので暑いです。が、池泉回遊式庭園に来て池泉のまわりを回遊しないのはさすがにダメだろうということで、頑張って歩きます。

池に出ました 歩き出します 遠くに毛利氏邸と石橋 石組みも気になります
対岸から石組みを眺める 石橋と毛利邸を上手く撮ろうと移動しながら撮影している図 角度を変えて池を眺める

 私に能力がなさすぎてなかなかこれといった構図を見つけられないまま、池をぐるりと回ってしまいました。続いて河口と浜。

小川 河口の飛び石 河口の石と石橋と四阿と池を撮ろうとした図
浜越しのいけ 角度を変えて池を撮る

 最後に、小さな池まわり。こちらにも石組みがあったり、先程来見えていた石橋があったりして、コンパクトにまとまっております。
 このあたりの景色が一番良いな。

池越しに石組みを見る 毛利氏邸方向をぐるっと。意味もなく縦に撮ったりもしてみる
ひょうたん池 あずまや 石橋 石橋越しに毛利氏邸
逆側から 反対側から石橋を 水が落ちてます あらためて毛利氏邸

 と、いうわけで、あらためて庭園をぐるっと回れてよかったです。ひょうたん池よりも石橋のある小さな池まわりの方が個人的には好みでした。ひょうたん池は船を浮かべたりするんですかね?

行き場を失った配布物。「侯爵毛利邸の100年」より

12.防府駅へ
12.1 周防国衙跡


 防府駅へ戻ります。先ほどと同じ道を通っても面白くないので、南を進みます。
 まず登場するのは周防国衙。先ほど国衙の西北隅を見ましたが、本体もちゃんと土地が確保されております。建物の復元はされておりませんが、ある程度発掘調査が進んでどこに何があったなどが分かりつつあるようです(解説板を斜め読みしただけなので違ってるかもしれない)。

防府のゆるキャラだと思われます 国衙の北側にある解説板 北側から南方向を見る
南側から北を見る 意味ありげに芝が生えていない場所があります

 ここには立派な石標があったりして、防府市のやる気が伝わってきます。ただ、何種類かある解説板のうち、最も詳しいものが古くて文字が読みにくく、ここらへんはもうちょっとなんとかしてほしいところ。防府競輪が儲かればなんとかなるのかもしれないので、みなさん是非競輪場に行きましょう。なんとかならなくても責任はとりません。

国衙の碑 そのあたりから北方向 椿が咲くようです
「国庁」の碑と国庁寺 国庁の碑 国庁寺境内図 国庁碑
国庁の保存 国庁のしくみと仕事
史跡周防国衙跡 周防国衙跡 周防国衙跡

 南に進むと、発掘調査中でした。こうしてまたなにか新しい事実が分かるのでしょう。私のような素人には分からない世界ですが、とにかく頑張って調査してください。

発掘調査中

12.2 馬神様

 さて、案内を見ると、「馬神様」という気になる文字が。競輪の街防府になにゆえ馬が。気になりますね。

 というわけで、到着。別名を石人神社と呼ぶようです。解説板によると、神を祀ったのちに藁で馬をつくって備えたところ、咳、風邪、筋の痛み、神経痛が治癒したという言い伝えがあるようです。「神を祀って」というのが最初に来てますが、本当に少彦名命だったのでしょうか。なんとなく仏教の影響を無理矢理消した解説になってるんじゃないかという疑念が拭えません。

 それはさておき、こういう流れで出来た馬神様、御利益は病気平癒ではなく、筋の神様として男性が強くなるということのようです。まあ馬のアレは元気に大きくなりますから、なるほど確かにとは思う一方で、当初の病気対策はどこに行ったのでしょうか。

気になる案内 到着 解説板 馬神様
中を覗かせていただきました 藁の馬が供えられておりますが、供えた方は咳や風邪のために供えたのか、男性を強くするために供えたのか、どちらなのでしょう

12.3 天満屋

 防府天神のはす向かいにある天満屋。あの有名な天満屋と同系列のお店ということでいいんでしょうかね??

天満屋
2階3階の窓枠に味があります
花の妖精ぶっちーというらしい ういろう豆知識 たぶんここだけ
というコーヒーういろう
正直でよろしい
セルビアの男女バレーチームの
ホストタウンだったようです

12.4 宮市本陣兄部家・萩往還

 本陣跡地のようですね。本陣は、あたりまえですが、宿場ごとにあるので、あちこち行っているとそこまで「本陣」というものに惹かれません。もうちょっと「この本陣はほかとはここが違う!」というのをアピールしていただけると、私のような感度の低いニワカも反応できるんですが。


 ついでに、萩往還の石標と解説。


12.5 宮市観音定念寺(西念寺)

 解説によると、休無大和尚という、名前だけ聞くと単なる社畜としか思えない和尚さんがこのお寺を開いたようで、なんと観音様を背負ってきた旅の僧から源信さんの三十三観音のお話を聞き、旅の僧が翌朝には三十三身の観音様に変わっていたという言い伝えがあるようです。てっきり背負ってきた1体の観音様が残されていたとかいう話かと思ったら、まさかの三十三観音でした。

山門 解説 本堂
中。赤いです
三十三観音は
中に収められてるのかな?
中が赤いだけに
車も赤い
石像 入口の観音様

13.防府競輪駅前サービスセンター

 ここ、前回行かなかったから今回は是非とも行かねば、と思って乗り込んだんですが、なんとなく行ったことあったような気もしてきました。あとで写真確認します。

 ここは駅前サービスセンターというわけで、福山競馬場の駅前場外のようなレース実況を見られる場所ではなく、発売と払戻だけをおこなう、松山のサービスセンターに近いタイプですね。このあたりの設置根拠を知らないんですが、レース放映をしないと設置が簡単になるなにかがあるのでしょうか。
 とりあえず、線路下にあるので、変なおじさんが騒いでも電車の音でかき消してもらえそうですね。


 では、帰路柳井港へと向かいます。

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